| 2004/12/19の礼拝説教 |
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聖霊で満たす
ルカ2:25〜35 イザヤ9:6〜7 コロサイ2:8〜15 皆川尚一牧師 |
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その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。 この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを 待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、 聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。 すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れて はいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて 言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに 去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、 「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり 立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、 定められています。―そして、あなた自身もつるぎで胸を 刺し貫かれるでしょう。―それは多くの人の心にある思いが、 現れるようになるためです」(ルカ2:25〜35)。 聖霊による出会い 神の御子イエス様は、ユダヤ人としてユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。それで、ユダヤ人が守っているモーセの律法に従って、 両親はイエス様が生まれて8日目に割礼をほどこしました。又、40日後には初子(ういご)を神に献げるため、エルサレムの神殿に連れて行きました。彼らが神の宮に入ってきた丁度その時に、シメオンという老預言者も神の宮に入ってきて彼らと出会いました。これは偶然の出会いではなくて聖霊の導きによるものだったのです。 というのは、このシメオンは信仰深い義人であって、 神様が不幸なイスラエル民族を救うために天から遣わされる救い主が 来るのを待ち望んでいたのです。また、聖霊が彼に宿っていました。聖霊はシメオンに「あなたは救い主に会うまで死ぬことはない」というお告げを下さっていました。そして、何かわからないけれども聖霊がシメオンにどうしても神の宮に行かなくてはならないと駆り立てられるような気持ちを 起こさせるので、シメオンが宮に入って行くと、宮の中でイエス様に出会ったのです。その時、シメオンはイエス様をひと目見るなり直ぐ「これこそ自分が待ち望んでいた救い主様である」と分かりました。 それは聖霊による示しですが、彼に示されたのは、それだけではなく、 次の二つです。 第一に、イエス様が神の選民イスラエルの栄光であると同時に 異邦人すなわち全人類の救いをもたらす啓示の光なのだということ。 第二に、イエス様が、神に逆らう人々から迫害を受けることと、 それに伴って、母のマリヤも剣で胸を刺し貫かれるような苦しみを 味わうようになること。 シメオンはこの二つの預言を語りました。これも聖霊が彼の口を通して告げられたものです。この二つの預言は、以後2000年にわたる人類の歴史の中で実現してきました。 第一に、イエス様はイスラエルの栄光であると同時に 全人類の救い主として、人類の3分の1に受け入れられている。 第二に、イエス様はイスラエル人、日本人、その他人類の3分の2からは反対されているか、無視されている。また、我が子の十字架の死を 見て聖母マリヤの胸は苦痛で刺しつらぬかれた。 聖霊の感化 以上、申し上げたことは、すべて、統計上のこと、表面上のことです。 人の心の中に働く聖霊の感化は測り知れません。 例えば、日本では奈良時代の全人口が450万人、畿内の人口は45万人ほどであったと学者は推定していますが、その畿内45万人のうち3分の1は秦氏と呼ばれる渡来人のキリスト教徒であって、仏教勢力に押されて日本全土に分散して行きました。その影響は、日本の神道、仏教、その他の宗教の中に深く広く染み込んでいるようです。 それは聖霊による感化ではないかと思われます。 下って、1949年(天文18年)に、カトリックの宣教師フランシスコ・ ザビエルが鹿児島に渡来した時、彼は鹿児島の人々を見て、 「すでに久しい以前からキリストの福音によって感化された人たちのようだ」と感じて本国に報告を書き送っています。鹿児島は島津氏の領地で、島津氏は秦氏の子孫であり、十字を紋所としていました。又、島津氏の子孫は福井の浄土真宗の有名な寺の僧侶にもなっています。 中越地震の被災地で 話はさらに下って、去る10月23日新潟県中部を襲った中越地震の被災地の長岡市に、私たちの教会の関係者で渡辺健治さんという方がおられます。もう90歳近い方ですが、地震の二日後にやっと電話で連絡がとれて、「二晩車の中に泊まった、家の壁に大きな亀裂が出来たけれど、 水、電気、ガスが使えるようになった」との事でホッとしました。 その渡辺さんから献金と一緒に、週報にはさんだ内容のお便りが送られて来ました。これを読んで胸がいっぱいになりました。特に感動させられたのは、「『災害のときは災害に逢うが宜しく候』これは越後の三条地震のとき、三条の友におくった『良寛様』のお見舞いの一部分だそうです。自然の大災害であり、我々は耐えることしかありません。頑張る外は ないのです。頑張りましょう。頑張ります。 〜中 略〜 地震で大きな被害を受けたのは、新潟県の中部地方だけのこと、 その他の方々は景気よく元気で年を越して下さい。 それが私達の元気のもとになります。」という文章です。 わたしはこれを読んで二つの点で感銘を受けました。 * 一つは、良寛さんの言葉です。 わたしも良寛さんが大好きで、 彼の歌や漢詩などを愛誦して来ました。良寛さんは江戸時代末期の人で越後の出雲崎に生まれ、18歳で出家して漂々(ひょうひょう)とした無欲の生涯を過ごしました。橘諸兄(たちばなのもろえ)の子孫で山本姓を 名乗り、代々庄屋の家柄で父は石井神社の神官をつとめていました。 三条地震の時の手紙は次のとおりです。 荒木忠右衛門老 「地震はまことに大変に候。野僧(やそう) 草庵は何事もなく、親類中死人もなく、 めでたく存じ候。 打ちつけに死なば死なずて長らえて かかるうめきを見るがわびしき しかし災難に逢う時節には災難に逢うが よく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。 これは災難をのがるゝ妙法(すばらしい方法)にて候。かしこ」 これは聖書の伝道の書に、「生るるに時があり、死ぬるに時があり、 〜泣くに時があり、笑うに時がある。〜神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3:1〜11)とあるのに似ています。又、ヨブ記の中で、ヨブが災害で全財産と10人の子供を失った時、「わたしは裸で 母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:20)と言ったのと似ています。 * 今ひとつは、渡辺健治さんの言葉です。 「被害を受けなかった皆さんは景気よく元気で年を越して下さい。 それが私達の元気のもとになります」と。これは、聖書のテサロニケ人への手紙の中で使徒パウロが、「あなたがたが主に在って堅く立ってくれるなら、わたしたちは今、生き甲斐がある」(Tテサロニケ3:8新改訳)と 言っているのと似ています。神の聖霊は日本人全体の集合無意識の中に生きておいでになるとわたしは感じるのです。 聖霊で満たす そこで、このクリスマスには、無意識ではなく、わたしたちの顕在意識の中に救い主イエス様を迎えたいものです。なぜならイエス様は私たちを良いもので満たすために天から降って来られたからです。良いものとは何か。世の中に良いものは多くありますが、最も良いものはただ一つ、 それは聖霊です。イエス様の中に充満している聖霊を満たしていただけば、わたしたちは永遠不滅の霊となることが出来ます。 * かつて、昭和20年8月6日に広島に原爆が投下されました。あれほどの災害を日本人は未だかつて経験したことがありませんでした。 私は昭和28年に神学校を卒業して下関の任地に赴く途中、広島に立ち寄って大手町の広島教会に四竈(しかま)一郎牧師をお訪ねしました。 被爆されたのは牧師夫妻・長女。長男の4人で、他の二人の男の子は 疎開していて無事でした。被爆した人の中でも長女の佑子(ゆうこ)さんは重傷で、手当の甲斐もなく、その年の9月、17歳の若さで秋の虫の鳴き始めるころに天のふるさとに帰って行きました。その召される日、家族は6人で礼拝をささげ、ウドン粉で焼いたパンとトマト汁とで聖餐式を守りましたが、その時、「佑子は神様のところへ帰っても、お父様の伝道なさる所へいつもついて行ってお手伝いします」と言い、死の間際に「白い衣のイエス様が見える」と言いました。悲しくはあったが、そこには愛の光が あふれ、生命がみずみずしく輝いていたそうです。佑子さんは聖霊で 満たされていたのです。いや、佑子さんだけでなく一家6人みな聖霊で みたされていました。一発で20万人の生命を奪ったかに見えた原爆で あっても、この一輪の花に宿る聖霊の力を消滅させることは できなかったのです。 皆さんのお心の中に不滅の生命を満たすイエス様がいつまでも かわらずに住んで下さいますようにと、祈ります。 アーメン |
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