| 2009/12/20の礼拝説教 |
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主の救いを見る
ルカ2:25〜35 イザヤ49:6 Tペテロ1:8〜9 皆川尚一牧師 |
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主の救いを見る 「その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。 この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを、 待ち望んでいた。また聖霊が彼にやどっていた。 そして主のつかわす救い主に会うまでは死ぬことはないと、 聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。 すると律法に定められていることを行うため、両親もその子イエスを 連れてはいって来たので、シメオンはその子を腕に抱き、 神をほめたたえて言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今あなたの救いを見たのですから、 この救いはあなたが万民のまえにお備えになったもので、 異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、 「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり、 立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、 定められています。---そしてあなた自身もつるぎで胸を 刺し貫かれるでしょう。---それは多くの人の心にある思いが、 現われるようになるためです」(ルカ2:25〜35)。 神の御子イエス様は、ユダヤ人としてユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。それで、ユダヤ人が守っているモーセの律法に従って、両親はイエス様が生まれて8日目に割礼をほどこしました。又、40日後には初子(ういご)を神に献げるため、エルサレムの神殿に連れて行きました。彼らが神の宮に入ってきた丁度その時に、シメオンという老預言者も神の宮に入ってきて彼らと出会いました。これは偶然の出会いではなくて聖霊の導きによるものだったのです。 というのは、このシメオンは信仰深い義人であって、神様が不幸なイスラエル民族を救うために天から遣わされる救い主が来るのを待ち望んでいたのです。また、聖霊が彼に宿っていました。聖霊はシメオンに「あなたは救い主に会うまで死ぬことはない」というお告げを下さっていました。そして、何かわからないけれども聖霊がシメオンにどうしても神の宮に行かなくてはならないと駆り立てられるような気持ちを起こさせるので、シメオンが宮に入って行くと、宮の中でイエス様に出会ったのです。その時、シメオンは赤ちゃんのイエス様をひと目見るなり直ぐ「これこそ自分が待ち望んでいた救い主様である」と分かりました。 それは聖霊による示しですが、彼に示されたのは、それだけではなく、次の二つです。 第一に、イエス様がイスラエル民族にだけでなく、全人類の救い主だということ。 第二に、イエス様に出会う人は信じて救われるか、信じないで滅びるか、二手に振り分けられること。イエス様が神に逆らう人々から迫害を受けること。これは神様の裁きです。それに伴って、母のマリヤも剣で胸を刺し貫かれるような苦しみを味わうようになること。これは後にイエス様の十字架の死において実現します。 シメオンが赤ちゃんのイエス様を見て「主の救いを見た」と直感したように、人はだれでも聖霊によって一瞬のうちにイエス様を救い主として信ずるのです。 八木重吉の入信 例えば、有名なクリスチャン詩人の八木重吉は1898(明治31)年、町田市相原町の自作農家に生まれました。代々村会議員を務める由緒ある家柄で、神仏混淆の風習やさまざまの土俗信仰などに囲まれて育ち、父親は仏道を志して宥円(ゆうえん)と号しました。しかし、重吉と弟の純一郎は兄弟でよく「天には神様がいる」と話し合っていたそうです。 重吉は、尋常高等小学校から師範学校、そして当時から難関とされていた東京高等師範学校に進学して、東京で学生生活をするようになりました。そして、1919(大正8年)富永徳麿牧師の創立した本郷の駒込基督会を訪ねました。富永牧師とは全くの初対面でしたが、牧師を通してキリストの福音を聞いたとき重吉は、いきなりイエス・キリストを信ずることを告白して洗礼を願い出ました。そして、それからひと月後の3月2日にバプテスマを授けられました。 重吉は正に一瞬にしてキリストを見たのです。富永徳麿牧師はイエス・キリストとの人格的な出会いと臨在感を説き、神人合一を唱える優れた宗教家でしたから、重吉の詩にもその感化が見られます。 イエスの名を呼びつめよう 入る息出る息ごとに呼びつづけよう いきどおりがわいたら イエスの名で溶かそう 弱くなったら イエスの名でもりあがって強くなろう きたなくなったら イエスの名できれいになろう 死のかげをみたら イエスを呼んで生きかえろう また、次のような詩もあります。 これ すべて みな 神なり わが児 わが妻 わが妻の母 これもまた神なり みよ みちばたの石くれ 草 おおいなる空 きのうまでは われにくみ われをにくみしひとびとのひとみ あかつき まずしき庭にさえずるすずめ あらゆる みゆるもの きこゆるもの また わが食らう この米も 神なり 神は、みずからのからだにして われをやしないたもう 神とわれと そのほかのものこの世にあらず ただ 合掌のこころ 合掌のこころ 重吉は1927(昭和2)年10月26日享年29歳で帰天しましたが、病床で危篤が告げられたとき高熱の中で胸に十字を切りました。そしてパッと目を見開いて両手を高く挙げ「イエス様、イエス様」と呼びました。そして、「不思議だ 確かに見たのに」と言い、とみ子夫人に看取られつつこの世を去りました。イエス様は聖書に書いてある通り、重吉を迎えに天国から下りて来てくださったのです。 あのシメオンにしても、この八木重吉にしても、救い主イエス様を見て信じた人はイエス様の御名を呼んで盛り上がって生きることが出来、また死ぬ時が来たら、イエス様の御名を呼んで安らかに天国に帰ってゆくことが出来ます。このクリスマスがあなたとイエス様にとって特別な日と なるようにお祈り致します。 アーメン 次回予告 09.12.27 神の言葉は真実(箴言30:5〜6) |
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