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  全て空しい?

   伝道の書1:1〜11
   ローマ10:9〜13
   マタイ11:28〜30                皆川尚一牧師
全て空しい?
 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 伝道者は言う、
 空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべて
 の労苦は、その身になんの益があるか。 世は去り、世はきたる。
  しかし地は永遠に変らない。 日はいで、日は没し、その出た所に
  急ぎ行く。風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、
  またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入る、
  しかし海は満ちることがない。
  川はその出て来た所にまた帰って行く。 (伝道の書1章1〜7節)

 今日から伝道の書を取り上げます。これは「伝道者」の会衆に対する
メッセージなのです。ヘブライ語では「コーヘレス」、英語では「プリーチャー(説教者)」と訳されています。ちょうど今、私が皆さんにお話している
ような光景を想像してみてください。
 で、この伝道者とは何者でしょうか?「ダビデの子、エルサレムの王」と言いますから、「ソロモン王」だということが直ぐに分かります。ソロモン王といえば、ダビデの子として天地創造の神ヤーウェを信じる信仰の厚い人でした。そして、王に即位したとき、神様に「知恵」を与えてくださいと求めたので、神様は大いに喜んで彼に比類のない知恵を授けられました。(列王上3:12) そのソロモンのすばらしい知恵が記録されたのが、箴言であり、また、この伝道の書であります。これは語られた説教です。
それにしても、この説教の出だしは何たることか?!
「空の空、空の空、いっさいは空である」
「ヘベル ハベリーム、ヘベル ハベリーム、ヘベル ハベリーム」
(空しい、空しい、何もかも全く空しい)
 ヘベルは「息」という意味で、「ハーッ」と出れば直ぐに消えてしまうはかないものです。「空の空」はヘブライ語の最上級ですから、「何もかも全く空しい」という意味です。 説教としてみれば、一番聞きたくない説教の
タイプでしょう。
 * 実は、神学校を卒業して、駆け出しの伝道者だった頃の私は、こういう出だしの説教をしていました。先ず、最初に人間の罪と人生の空しさを語り、次ぎにその原因と救いの必要を語り、最後にイエス・キリストの救いを語るのです。そこで、ある日教会員の人から、「先生の説教は、
初めは中々恵まれないで、最後になって恵まれますねえ」と言われて、
ハッと気がついたのです。やはり、最初から恵まれるような説教をしよう。初めは重苦しくて、皆頭を下げて聞いていて、終わりにやっと頭が上がってきて、ニッコリするのでは駄目だと考えました。そして、最初に神様の愛を語るようにしたら、会衆は皆、初めから頭を上げてうれしそうに
聞くようになりました。
 ですから、私は今日の説教題に「全て空しい?」と疑問符をつけておいたのです。なぜならば、市内のあちこちに立てられた説教の立て看板を見て、「あぁあ、全て空しいんだ。生きていても仕方がない、自殺しよう」
なんていう人が出てきたら大変ですからね。

自然はめぐる
「日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか?」
日の出と共に人は起き出して、お日様の下でいろいろな苦労をして、
日の入りと共に終わる。いや、いや、現代多くの人々は真夜中まで働いて身に負いきれないほどの労苦をしますが、どれだけの利益があるだろうか。今から三千年前の人間も、現代の我々も同じ疑問を抱いている
のです。「ザルで水を汲むような生活」。石川啄木の歌に、

 働けど働けど わが暮らし
 楽にならざり じっと手を見る

とあります。来る日も来る日もそう言う生活が同じように
繰り返されるのは、なぜか?
 個人の生活だけではない。世代が代っても、
人の住む大地は依然として変わらない。

  「国破れて山河あり、城春にして草木深し」

という言葉がありますように、
人は変わっても大自然の営みは変らないです。
 「日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く」
日の出と共に天空をめぐり行く太陽は、日没によって地下をめぐって
日の出る所に「あえぎつつ急ぎ行く」(シャーアフ)のです。風も南に吹き、北に向かい、めぐりめぐって再びもとの所にあえいで戻って行く。
川だってそうだ、川はみな海に流れ込み、海から空へ蒸発し、雨となって山に降り、川となって流れ入る。海は満ちることがない。自然界の全てのものの運行は、初めもなければ終わりもなく、単調なものであります。

歴史もめぐる
 人間の歴史だってそうです。

 「すべての事は人をうみ疲れさせる。人はこれを言いつくすことが
  できない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足する
  ことがない。先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、
  また後にもなされる。日の下に新しいものはない。
  『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、
  それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
  前の者のことは覚えられることがない、また、くるべき後の者のことも、
  後に起こる者はこれを覚えることがない。」(8〜11節)

 したがって人類は一向に進歩してはいないことがわかります。
1万2千年前に、太平洋に栄えたムー帝国と、大西洋に栄えたアトランティス帝国がありました。幻の超古代文明と呼ばれる、現代文明よりはるかに優れた文明があったようです。しかし、それを利用して独裁政治を行った闇の権力が自ら滅びを招いて、2つの大陸とも大海の中に沈没して、跡形もなくなりました。現代の歴史書には記されず、覚えられなくなりました。しかし、歴史は繰り返します。現代の地球世界も似たような闇の権力によって、破滅へと向かって急いでいるように見えます。

天に神様がいる
 進歩がなく、いたずらに悪循環を繰り返す世界の中で、私たちになんの希望があり、生き甲斐があるというのでしょうか?
 ただ「空しい、空しい、全て空しい」では何の救いもないではないかと
文句のひとつも言いたくなるでしょう。
 しかし、ソロモンには救いがあったから、「全て空しい……」なんて愚痴をこぼすことができたのです。それで終わらないからです。ソロモンは
神様を信じ、神様に愚痴をこぼしたのです。そこに解決の道があります。  八木重吉の詩に、

   天に
   神様がおいでなさるとかんがえた
   むかしの人はえらい
   とあります。
   このさびしさを誰に告ぐべきか
   神に告ぐべし

 そうです。神様に祈るのです。そうすると神様の愛がわかってきます。感じられてきます。
 フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは言いました、「人生最上の幸福は、自分自身のいかんにかかわらず愛されているという確信である」と。
あなたは神様に愛されているのです。             アーメン

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