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幸せを捜せ
伝道の書6:1〜6 Uコリント9:15 マタイ7:7〜11 皆川尚一牧師 |
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富と名誉 わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。 これは人々の上に重い。すなわち神は富と、財産と、誉れとを 人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないように される。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、 他人がこれを持つようになる。これは空である。悪しき病である。 たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、 そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、 また葬られることがなければ、わたしは言う、 流産の子はその人にまさると。これはむなしく来て、 暗やみの中に去って行き、その名は暗やみにおおわれる。 またこれは日を見ず、物を知らない。 けれどもこれは彼よりも安らかである。 たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福を見ない。 みな一つ所に行くのではないか。 (伝道の書6章1節〜6節)。 伝道者ソロモン王は、「日の下に一つの悪のあるのを見た。これは 人々の上に重い」と言っています。それは、どんなに素晴らしいものも 永続性がないという事です。 先ず、第一に取り上げたのは富と名誉です。神様は人に富と財産と 名誉とを与えます。すると人はあれも欲しい、これも欲しいと、これまで心に慕い求めていたものを、金と権力に任せて次々と手に入れて一つも 欠けることがないようにします。何でもありの人生ですね。これは幸せなのだろうか? しかし、神様はその人にこれを持つことを許さないで、他人がこれを 持つようになる。これは空であり、悪しき病であると嘆いています。実際、ソロモン王は栄華の極みを味わいました。しかし、晩年は1000人の妻妾が諸外国から持ちこんだ偶像礼拝のために神様の祝福が乏しくなり、 ソロモンの死後、国は南北に分裂して、相争うようになります。ソロモンの栄華も永続きしませんでした。 * 日本では、今から約1000年前に藤原道長という人が、富と権力と 名誉の絶頂を極めて、その栄華を誇りました。道長は、一条天皇に定子(ていし)という中宮がいるにもかかわらず、自分の娘の彰子(しょうし)を一条天皇の中宮にして、定子を押しのけました。次に彼は、次女の妍子(けんし)を三条天皇の中宮にしました。更に彼は三女の威子(いし)を 後一条天皇の中宮にしました。中宮とは皇后のことです。三人の娘を 三人の天皇の皇后とした時、道長は関白となり摂政となり、天皇の外戚として最高の位につき、最大の名誉と権力と富とを手に入れました。 その時詠んだ有名な歌があります。 この世をば、 わが世とぞ思う望月の 欠けたることも なしと思えば まさに今日の聖書にある通り、心に慕うものは一つも欠けることなく 手に入れて、満月のように満ち足りた気持ちでした。道長一家の繁栄は50年にわたって続き、宮廷文化の全盛期をもたらしました。しかし、道長の死後は、藤原一族の栄光は次第に衰えて行くのです。「わが世の春」は永続きしませんでした。 人の栄華には永続性がない。人から人へと それはうつろうものですから実に空しい。これは伝染病のようなものだと嘆くのも当然でしょう。 子宝と長命 その次に取り上げられるのか、子宝と長命です。子供はいかなる宝物にも優る宝であると、万葉集で山上憶良が詠んでいます。 しろがねも(銀)も くがね(金)も 玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも その子宝を100人もうけたとしても、その寿命が2000年の長きにわたっても、その人の心が幸せでなく、またまともに葬儀を行ってもらえないような死に方をしたら決して幸せとは言えない。流産の子の方が、日の目を見ないだけ幸せだ。なまじこの世に生まれて、お日様の下で労苦を重ね、不満足な気持ちのままでこの世を去るとしたら、子が多かろうと、 長命であろうと、みな一つ所に行くのだ。実に空しい。 幸せを捜せ ソロモンはここで、空しい、空しいと言いながら、実は私たちに問題を 投げかけているのです。空しい事柄にとらわれて、不平不満の気持ちを抱いたままでいてはいけない、あなたの本当の幸せを捜しなさい、と。 主イエス様もいわれます。 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。 捜せ、そうすれば、 見いだすであろう。 門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけて もらえるからである。 〜、〜、 天にいますあなたがたの父は、 なおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」 (マタイ7:7〜11)。 * こうした人の実例として、明治時代に横浜で救われた中国人の貿易商人であった封永生があります。封さんは貿易商で成功して羽振りが 良かったのですが、事業に失敗して、富も財産も名誉も全部失い、絶望の果てに横浜港に飛び込んで自殺を図りました。しかし、それを見ていた通りがかりの人に助けられて、死ねませんでした。ある人が彼をキリスト教会に連れて行ったので、初めてイエス・キリストの救いを知り、入信して洗礼を受けました。それからの封さんはランプ掃除業を始めて、屋台を引いて歩きました。日銭を稼いで食べて行くわけですが、ランプ掃除の 代金を二つに分けて、半分は右の襟のポケットに、他の半分は左の襟のポケットに入れました。右の分は教会への献金とし、左の分は生活費に当てました。正直で気立ての良い親切な封(ほう)おじさんは、町の人々から愛され、ミッションスクールの女学生の人気者でした。やがて彼が 亡くなって、教会でお葬儀が行われた時、会葬者は500人に達したそうです。彼はこのようにして、唯一の天の宝である主イエス・キリストを信じ、永遠不滅の神の国を見出して、毎日を喜びと感謝のうちに生き、そして天の父の家に帰って行ったのです。 このように、本当の幸せは天に宝を持つことであり、天に宝を積むことであります。天に宝を持つとは、神の子イエス・キリスト様を信じ、罪を悔い改めて、神の子として生まれ変わることです。そしてこの世で受ける神の恵みを活用して、天に宝を積む良い生き方を求めることです。 他人の幸せをうらやまず、妬まず、今自分に与えられた人生を楽しんで生きることです。 アーメン |
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