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  色メガネを外せ

   伝道の書1:12〜18
   Tコリント15:56〜58
   ヨハネ15:5〜7                  皆川尚一牧師
人生の意義
  伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
  わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われる
  すべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、
  ほねおらせれられる苦しい仕事である。わたしは日の下で
  人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって
  風を捕えるようである。 曲ったものは、まっすぐにすることができない、
  欠けたものは数えることができない。
  わたしは心の中で語って言った、
  「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者に
  まさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
  わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、
  これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
  それは知恵が多ければ悩みが多く、
  知恵を増す者は憂いを増すからである。 (伝道の書1章12〜18節)

 ソロモンは人生の意義を知りたいと思いました。人は何のために生きるのか、人には何ができるのか、「わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、
人の子らに与えて、ほねをおらせる苦しい仕事である」(13節)。
 考えるとか、学ぶとか言うのは決して楽なことではありません。「苦しい」(ラア)仕事、いやな仕事だ、とソロモンは言いながら、なぜ全力を傾けて人生の意義を知るために努力したのでしょうか?それは神様がソロモンに命じたからです。しかもそれはソロモンが先ず願い、神様に誰よりも
優れた知恵をお与えくださいと祈ったからです。その祈りに応えて知恵を授かり、「考える人」になったのですから、ソロモンは神様に対して文句を言うことができません。
 フランスの有名な哲学者ブレーズ・パスカルは、「人間は考える葦で
ある」と言いました。「考える」という能力は神様が人に授けた特性です。犬はワンといい、猫はニャンと鳴きますが、犬や猫が「私は何のために生きるのか」とは考えないでしょう。しかし、人間はそれを考えるのです。どうしても考えてしまうのです。考えることは無意味でしょうか?

  「わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって
 風を捕えるようである。 曲ったものは、まっすぐにすることができない、  欠けたものは数えることができない」 (14〜15節)

色メガネを外せ
 人生を考えるのも苦労なことだが、人が行っているすべてのわざが、
みんな空しくて、風を捕えるようなものだとソロモンが言うのは、かなり
否定的な見方です。「すべて空しい」と彼は見ます。その証拠に当時知者が語った格言 曲がったものは、真直ぐにできない。
欠けたものは、数えることができない。
 を引用するのです。この意味は【7章13節】を読むとわかります。
「神のみわざを考えてみよ、 神の曲げられたものを、
だれがまっすぐにすることができるか」。
 * たとえば空の虹を考えて見ましょう。虹は大きく半円を描く場合が
多いですが、たまには円形の虹が宙天にかかることもあります。これが気に入らないと言って、人がいくらがんばって真直ぐにしようとしても
できるものではありません。
 * 「欠けたもの」も同じです。たとえば、私は2歳6カ月で父親を失いました。急性肺炎で父が死に、私の家庭は母と5人の子供たちになりました。私は物心ついたときから、「父がいてくれたらよかったのに」と折に触れて幾たびも思いましたが、欠けたものは数えることができないのです。
 この二つの事実が教えてくれるのは、「人生にはどんなに願っても、
がんばっても変えられないものがある」という真理です。これを「ああ、空しい」と否定的に考えるは色メガネをかけて人生を見る態度なのです。
それしか人生の見方はないのでしょうか。そんなことはありません。
色メガネを外して見れば、二つの生き方が見えてきます。
 第一に、「神が曲げられたものは、真直ぐにできない」という真理に逆らわないで、現実をありのまま、素直に受け入れること。変えられないことを変えようとしないこと。
第二に、今の環境と条件の中で変えられるものに挑戦すること。
つまり、今自分ができるベターなものへと積極的に踏み出すことです。

キリストにあって生きる
 私はイエス・キリスト様を知ってから、天の父なる神様を知りました。
肉の父はいませんでしたが、より偉大な霊の父を得ました。大きな慰めを感じました。天のお父様は御子をキリスト・イエス様として、この苦しみと矛盾だらけの罪の世に送り込んでくださったのです。そして、イエス様はソロモンと同じように人生の苦悩と空しさを味わい尽くして、私たちみんなの罪を背負って十字架へとのぼられたのです。それは私たちと一つになるためです。そして私たちの罪の赦しを祈り、罪と死と悪魔の力に勝利して復活されました。父なる神様は御子イエス様を死から甦らせたように信じる者をキリストにあって生かしてくださいます。《Tコリント15:57〜58》を見てください。
 「神はわたしたちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を賜った のである。だから、愛する兄弟達よ、堅く立って動かされず、
  いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」
 * インドのロイ・スンダラクマール・アパローズ牧師は、牧師の子として南インドに生まれました。彼は自分が何をしたらよいか分からなくて、
肉体労働者になって、建設現場で働いていました。膝下ぐらいまでの深さの泥水の中で毎日資材を運ぶ仕事です。こんなことをしていて、どうなるのだろうか? 「神様、私はいったいどうしたらよいのでしょうか」と祈っては、働いたある日、突然、神様の声が心に響きました、「ロイ、あなたはなぜ泥水の中で働いているのか。あなたは地の果てまでわたしの証人となるのだ」と。そこで彼は泥水の中から出て、聖書学院に行きました。
そこから新しい道が開かれて行ったのです。
 ソロモンが言うように 「知恵が多ければ悩みが多く 知識を増す者は
憂いを増す」(18節)のです。 知れば知るほど賢く生きられるなら良いのですが、知れば知るほど心配を増すのでは空しいことです。「買ってはいけない」という本が2ヵ月で130万部も売れたそうですから、あれを読んだ人はかなり憂いを増したことでしょう。健康で賢く生きたいと思うから買って読む本によって生きる力が失われるのは矛盾したことです。
また、受験戦争を無くして子供にのびのびした教育を授けようとして、
小学校卒業の時に、これまでの小学4年程度の学力で良いとする新しい方針が文部省から打ち出されるそうです。日本国民の将来は総体的な学力低下によって危ぶまれるとも言われます。こうした矛盾の中に
主イエス様が入ってきてくださり、有効な知恵を授けて、より発展的・
肯定的に生きる道を開いてくださるように祈りましょう。   アーメン

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