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  救出作戦

   ヤコブ5:19〜20
   箴言24:10〜12
   ヨハネ21:15〜19                皆川尚一牧師
真理の道
  私の兄弟たちよ。あなたがたのうち、
  真理の道から踏み迷う者がありだれかが彼を引きもどすなら、
  かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、
  そのたましいを死から救い出し、かつ、
  多くの罪をおおうものであることを、知るべきである(19〜20節)。

 ここで「真理の道」といっているのは、神の御子イエス様を信じて救われイエス様と共に生きる道を意味しています。それは一口に言えば「神様の愛に生きる」ことです。つまり、キリストの真理は、頭の信仰ではなく、心の信仰ハートの信仰であって、キリストの愛に動かされて生きる実践的な生活です。したがって、もし誰かが真理から外れて、迷いの道に行くのを見たら、助け出してあげたいという愛情がこみ上げてきて何かしないではいられなくなるのです。
まず自分が迷いから救われたお話をしましょう。
 * 私は中学4年生の春にバプテスマを受けて、日本キリスト教会横須賀教会の信徒として生き始めました。そして教会の図書室にあった内村鑑三全集を借りてきて、家で片っ端から読みふけりました。その結果、
内村鑑三の無教会主義の思想に感化されてしまったのです。「キリストの教会もまた人間の集まりに過ぎず、名誉欲、金銭欲、支配欲から免れるものではない。わがはいの教会は人の手によって造られず神の御手によって造られた天然である。ひとたび山に登って空を仰げば、空は青く、太陽の光は草木に降り注いで清々しく、小鳥たちのさえずりは愛らしく心を和ませてくれる。ひとり心をひそめて神を想い、聖書を読み、祈りをささげ、讃美の歌を歌う。これにまさるものはない」といった内村先生の言葉に大いに共鳴して、教会を捨てたのです。受洗後1年を過ぎた頃でした。約3か月のあいだ、毎日曜日一人山に登って天然の教会で神様を礼拝して自己満足をしていました。教会の牧師先生からはがきが来たり、
婦人会長さんから手紙が来たりしましたが、気にもとめませんでした。
 * ところがある日、県立横中5年生の4つのクラスからクリスチャンの生徒が図書室に集まって、私に忠告をしてくれたのです。普段は、長老派、メソジスト派、救世軍などいろいろな教派に属している人たちなのでほとんどお互いに交流を持つことがない間柄だったのに、私一人を迷いの道から引き戻さなくてはならないという愛情で一つになってくれました。私はまずそのことに感謝したのです。「君はなぜ教会を捨てたのか。
その理由を聞かせてくれ」と求められて、内村鑑三の「教会は人間の
集まりで汚れているという」話をしました。いろいろな人がそれぞれ語りましたが、その中の一人が「イエス様は汝ら互いに相愛せよといわれたが、君は自分の教会を愛したことがあるのか。その教会の汚れが清められるように祈ったり、努力したりしたのか?」と尋ねたのには、愕然として、一言も答えられなかったのです。「わかった、僕が間違っていたんだ。教会を愛せず、何の努力もせず、教会を捨てたのは間違いだった。今日から僕は教会に帰る」と悔い改めました。それ以来、私はキリストの教会から離れずに50年真理の道を歩いてきました。それは主イエス様の愛と、それに動かされている兄弟姉妹の愛によるのです。

神の救出作戦
 次に、先ほど朗読した箴言24章を開いてください。

 「もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。
  死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者をを救え。
  あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる
  ものはそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを
  知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、
  人に報いないであろうか」(箴言24:10〜12)。

 先ほどの私の例でいえば、普段はバラバラだったクリスチャンが一つ心になって、私を救出してくれたのです。人を救うのは一人では難しくても力を合わせればできるようになります。救出作戦のための計画を立てるのも必要です。
 * 今から18年ほど前にこの教会の会員であった吉村晴三さんが、
三男の文昭君を統一教会から救い出したお話をしましょう。文昭君は
幼い頃イエス様の絵本を見て、イエス様に心をひかれましたが、信じてはいませんでした。その頃、彼は宇都宮の自衛隊に入隊して満期退職を
目前にしていました。ある日宇都宮の町をぶらぶら歩いていると統一教会の誘いの手にかかって引き込まれ、3日講習→1週間講習→1か月講習という順序でどんどん引き込まれていきました。お父さんが面会に行っても会わせてもらえません。そこで、お父さんと私は作戦計画を立てました。まず、お父さんが統一教会を訪ねて「母親が危篤で息子に会いたがっているから、ぜひ一度家に連れ帰らせてほしい」と申し入れる。もし
拒むようならば「警察に訴える」と言う。そして、家に連れて来たら、
宇都宮に帰る前に、「皆川尚一牧師先生にあって話を聴いてほしい。
それでも統一教会に行くなら、それでも良い」ということにしよう、という
作戦です。もちろん神様の救いのお導きを祈り求めて、お父さんが宇都宮に行き、作戦の通りにことを運ぶことができました。そして、私のところに文昭君が来た時、どのような講習を受けたのか話すうちに、「文鮮明」の名を隠して、何かを拝ませたという話が出ました。その事から、文鮮明や、その教えの誤りを話し始めると、彼の心がパッと方向転換したのです。「どうも何か変だなと感じるところがあったが、そうだったのですか」と言って今度は真っ直ぐにイエス様を信じ、バプテスマを願い出ました。
こうして彼は両親の熱い愛と努力の助けを得て、イエス様に立ちかえったのです。
 今一つの例を話しましょう。それは作戦とは言えないものですが、
「ちいろば牧師」として有名な榎本保郎先生のもとに、保育園の子の母親の一人が訪ねてきて必死に願うのです。「私の弟がこれで8回も自殺未遂をしました。来て何とか言ってやってくれませんか」と。先生はすぐに
彼を訪問しましたが、何と言って良いかわからなかったので、ただ、
「自殺をしてはいけませんよ」と言ったのです。しかし、その力のないむなしい言葉に自分でも泣きたい思いがしました。相手の青年は身動き一つせず、黙っているだけでした。その時先生は、これから毎日この人を
訪ねようと、心に決めました。だが一方通行でむこうからは何も言ってくれません。3か月ほどして、彼が田圃で働いている所に行くと、いきなり
「こやし」を頭からぶっ掛けられました。「明日また来るよ」と言って、家に帰ったのですが、その日の夕方玄関に人の気配がするので出てみると、その青年が立っていました。先生は喜んでお茶やお菓子を出してサービスしました。しかし彼は何も言わずに帰って行きました。それから彼は
変わってきました。礼拝に出てくるようになり、洗礼を受けて熱心な信徒になり、多くの人を救いに導く人になっていったのです。
 私は今日の説教のテーマを「救出作戦」としましたが、それはつまるところ「愛すること」の一語につきます。天の王座から降りて、この世に来て人間となり、十字架上に贖いの死を遂げ、復活してあらゆる人を天に
救出するキリストの愛のみわざに仕えようではありませんか。 アーメン

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