| 2010/8/29の礼拝説教 |
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嵐を静める 詩篇46:1〜3 使徒27:13〜26 マルコ4:35〜41 皆川尚一牧師 |
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ガリラヤ湖の嵐 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。ところがイエス自身は、艫の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか、どうして信仰がないのか」。彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」(マルコ4:35〜41)。 イエス様はこの日も、舟の中から群衆に向かってみ言を語っておられましたが、夕方になると弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われました。 イエス様と弟子たちの一行は二隻の舟に分乗して、向こう岸のゲラサを目指して乗り出しました。すると湖の中ほどまで来たとき、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟が沈みそうになりました。 このガリラヤ湖の嵐がどんなに激しいものであるかについては、藤原藤男牧師の体験記があります。 「雨は降らないが、秒速30メートル以上の猛烈な風である。空の星は日本の星と違い、空気が乾いているせいか、ガラスの破片のようにチカチカ光って目に刺さるような満天の星である。湖の水は突風にあおられ、たたきつけられ、巻き返し、大荒れに荒れ、極度に興奮し、怒号し、叫喚している。ガリラヤ湖は海面下207メートルの深い谷底なので、気流の関係で天に竜巻がおこり、横からも上からも、烈風、突風が吹き荒れるのである」と。 これによれば如何に抵抗しようにも、手の施しようもない烈風であるかが分かるでしょう。 嵐を静めるイエス この嵐の恐ろしさは漁師である弟子たちがだれよりも良く知っていました。「大変だ、溺れ死ぬぞ!」と叫んで、水を舟から掻い出しても、掻い出しても、追いつきません。なのにイエス様は平気でぐっすり眠っておいでになる。「先生、わたしどもが溺れ死んでもかまわないんですか」と恨みがましく叫んでイエス様を揺り起こしました。 すると、イエス様は起きあがって風を叱り、海に向かって「静まれ、黙れ」と命じられると、風は止んで、大凪ぎになりました。イエス様は彼らに言われました、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。弟子たちは恐れおののいて、互に言いました、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」と。 弟子たちにはまだ、イエス様が宇宙の創造主である神の御子であるという意味がわかっていなかったのです。神様を「お父さん」と呼ぶ信仰は、お父さんと同じ権威をもって神の子は大自然を従わせることが出来ると信ずるはずです。イエス様はご自身が命じれば、風も海も従うと信じておられましたから、そうなさったのです。 世の中には、クリスチャンであっても、そう信じられない人たちが大勢います。そういう人は「イエス様だから出来たので、われわれには無理だよ」と言います。そういう人にイエス様は「なぜ、信仰がないのか?」と嘆かれるでしょう。 台風に命じる信仰 わたしたちは聖霊に満たされてから、嵐を静める信仰が持てるようになりました。 これまで夏休みの季節には、教会学校の夏期キャンプを丹沢山塊の大洞キャンプ場で開くのが定例の行事になっていました。しかし、台風シーズンですから、たびたび台風の襲来の天気予報によって悩まされました。悩まされたというのは、信じていない人々であって、信じている人は「なあに、台風が来たら、追っ払えば良いよ」と思っていました。台風が西から近づいてきて、紀伊半島のあたりまで来たとき、「イエス・キリストの御名によって命ず、台風よ、低気圧に変わって南東海上に進路を変えよ」と命じますと、必ずそうなったからです。これは神様から直接授かった信仰の権威です。 ユダヤの霊能者たち イエス様のほかにも、紀元前第一世紀にハシディム(敬虔者)と呼ばれる霊能者たちがいました。 (1)円を描く人ホニ ホニはイエス様が出現する100年ほど前にガリラヤにいたハシディムでした。旱魃で困りきった村人たちが、ホニに雨が降るように祈って下さい」と頼みました。ホニは祈りましたが、雨は降りませんでした。すると彼は杖で地面に円を描いて、その中に立って神様に言いました、 「世界の主よ、あなたの子供たちはわたしに頼ってきました。これはわたしがあなたの家の息子だからです。わたしはあなたの大いなる御名によって誓います。あなたがあなたの子供たちに憐れみを施すまでは、わたしはこの円の中から出ません」。 やがて、小ぬか雨が降りだしました。すると彼は言いました、 「わたしはこんな雨をお願いしたのではありません。水槽や坑道や岩の水溜めをいっぱいにする雨がほしいのです」。 すると、土砂降りの豪雨になりました。そこでホニはまた言いました、 「わたしはこんな雨をお願いしたのではありません。しとやかで、祝福を与え、恵みを与える雨をお願いしたいのです」。 すると雨はほどよく降ってきました。 この当時の批判的なラビやバリサイ人たちは、ホニの態度は神様に対して無礼だと眉をひそめなからも、最後には、この聖者と神様との関係を、ただをこねる甘えん坊の息子と、それを愛して親切に応える父親のようなものだと認めたのでした。 (2)ハニナ・ベン・ドーサ ドーサの息子ハニナもイエス様と同時代にガリラヤの町アラブに現れたハシディムでした。ハニナは、「お祈りしている時には、王が来て挨拶しても、挨拶を返してはならない。毒蛇が足に噛み付いても気にしてはならない」と教えました。実際に、彼が祈りに沈潜している時、毒蛇が彼の足に噛み付いたけれども、彼は祈りを止めませんでした。ハニナは害を受けませんでしたが、人々はそこを去ってから、その蛇が穴の入口で死んでいるのを見ました。 又、こういうエピソードもあります。ハニナの団体の長であったヨハナン・ベン・ザッカイは息子が病気になった時、自分の頭を一日中自分の膝の間に入れて祈ったけれども、病気は治りませんでした。ヨハナンはハニナに祈ってほしいと頼みました。するとハニナは同じように自分の頭を自分のひざの間に入れて祈りました。するとヨハナンの息子の病気は治りました。 又ある日、長い旱魃のあとでの土砂降りの雨の最中に、ハニナは我が家に帰ろうとしていました。かれは困って神様に言いました、 「宇宙の主よ、世界中は慰められていますが、ハニナは困っています」。するとたちまち、雨は止みました。彼は雨に濡れずに家にたどりつきました。そこで祈りました、 「宇宙の主よ、世界中は困っていますが、ハニナは慰められています」。 するとすぐさま雨がまた降り始めました。 おさなごの心 そこでイエス様が弟子たちに願われたことが分かるでしょう。それはイエス様と同じ「おさなごの心」で神様に寄り頼む信仰です。だだをこねても良いのです。聖霊に満たされれば満たされるほど、天のお父様の子供として自由に祈れる人になります。もし間違っていたら神様が教えてくださるでしょう。奴隷のようにビクビクしないで、神の子らしく大らかな気持で 神様のふところに飛び込んでゆこうではありませんか。 アーメン 次回予告 10.9.5 悪霊、豚の中へ(マルコ5:1〜20) |
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