| 2010/3/7の礼拝説教 |
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サタンの試み 創世記3:1〜7 Tコリント10:12〜13 マルコ1:12〜13 皆川尚一牧師 |
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御霊による追放 12 それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。 13 イエスは40日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。 そして獣もそこにいたが、御使いたちはイエスに仕えていた (マルコ1:12〜13)。 イエス様はヨハネからバプテスマをお受けになると、すぐに荒野の奥深く入って行かれました。それは神の御霊がイエスを荒野に追いやったのだと書いてあります。これはどういう意味でしょうか。 イエス様が水のバプテスマを受けた後、祈っておいでになると、天が開けて聖霊が鳩のような姿で烈しく降って来て、イエス様の中に充満しました。イエス様は天の父の御霊で包まれ、また満たされて、父と一つになりました。そして「あなたはわたしの愛し子。わたしはあなたを喜ぶ」という天地を揺るがすような愛の御言葉を聞きました。イエス様は至福の境地に入られると同時に、燃えるような愛と力と確信とに満ちて、「よし、これから故郷のナザレに帰って神の愛と救いの福音を宣べ伝えよう」と決意されたに違いありません。 しかし、ナザレの村の人々はこの世の俗事に明け暮れて神の福音を聞く気持など持っていませんでした。「ナザレから何の善い者が出るだろうか」という諺があるくらいに、ろくでもない人々ばかりだったのです。当然のこと、イエス様を待ち受けているのは無理解と迫害でした。「イエスは偉そうにしてるけどよ、マリヤの息子で、おれたちの遊び仲間で、ただの人間じゃねえか」という見方しか出来ない人たちです。イエス様を神の人として迎える事などありえませんでした。これはもちろん、ナザレだけのことではなく、イエス様が伝道しようとしているイスラエル民族の人々すべてがそうであったと言えるでしょう。 そこで神様は、あらかじめイエス様をサタンの試みに遇わせて、サタンの悪巧みに打ち勝つ訓練を与えるために、北方のナザレに帰ろうとしたイエス様を、南方の荒野へと無理やりに駆り立てたのです。 サタンの試み イエス様はたった独りで、海抜400メートルもあるユダの荒野の中で洞穴に宿って、朝に、昼に、夕にお祈りをしつつ、40日40夜、断食をして過ごされました。お腹は空ききって、体は衰弱し、霊魂はその反対にますます御霊で満たされて、天国にいるような幸福感でいっぱいでした。 するとそこにサタンが忍び寄って来ました。それはイエス様を誘惑するためでした。それがどんな誘惑であったか、ここには書いてありません。 マタイやルカの福音書には、三つの誘惑が記されていますので簡単に取り上げて見たいと思います。 第一の誘惑は、食べ物でした。「あなたがもし神の子ならば、これらの石を奇跡的にパンに変わらせて見よ」というのです。飢えているイエス様のお腹はたちまち満たされます。それだけでなく飢えている沢山の人々のためにもふんだんに食べ物を与えることが出来ます。神の子ならばそのような奇跡を起こすのはたやすい事ではないか。すごく魅力的な誘惑でした。 これに対してイエス様は答えました、「人が生きるのはパンだけによるのではない。神の御口から出る生きた御言葉(レーマ)によるのだ」と。これは申命記第8章3節の御言葉ですが、それが今のレーマとしてイエス様の口から迸り出たのです。これによってイエス様は、「神様からのお言葉がないのに、欲望に負けて勝手に奇跡を起こそうとは思わない」と拒否したのです。 第二の誘惑は、自己顕示欲の誘惑でした。サタンはイエス様を一瞬のうちにエルサレム神殿の大屋根の上に立たせて言いました、「あなたがもし神の子ならば、ここから跳び下りて見よ。聖書には「天使たちがあなたの足を守ってくれる」(詩篇91:11〜12)と書いてある」と。 それに対してイエス様は言いました、「主なるあなたの神を試みてはならないとまた書いてある」と。これは(申命記6:16)の御言葉です。 当時のユダヤ人はメシアは神殿の屋根の上に天から降りてくると思っていましたから、イエス様を超能力を持つ神の子と信じさせるのに効果的なやり方としてイエス様の自己顕示欲を煽り立てようとしたのです。 第三の誘惑はもっと邪悪なものでした。サタンはイエス様を一瞬のうちに全世界を見渡せる高い山の上に立たせました。そんな山は地球上どこにもありませんが、人の心の中にあります。サタンは言いました、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、全世界の全ての富と権力とをあなたにあげましょう」と。それはイエス様の所有欲・権力欲をそそのかすための誘惑です。これに対しイエス様は断乎としてこれをはねつけて言いました、「サタンよ、退け! 『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』(申命記6:13)と書いてある」。これを聞くとサタンはアッという間に逃げ去ってしまいました。 サタンに自分の霊魂を売れば、どんな悪辣な手段でも使って人々を騙し、世界を我がものとすることが出来ます。世界歴史の中で多くの独裁者たちは無数の人々を殺して独裁国家を造って来ました。みんなサタンを拝んでそういう力を手に入れたのです。しかし、彼らの国々は次々と滅びて長続きしませんでした。なぜなら、天地創造の主なる神様が万物を支配しておいでになるから、御心に叶わない人も国もみな滅ぼされるからです。しかし、イエス様のお建てになる神の国はサタンの悪と憎しみと死によって立つものではなく、神様の愛と義と命によって立つものであります。イエス様は荒野の中でサタンとの対決を通して、ご自身がメシアとして生きる道をハッキリと教えられたのであります。 獣たちと天使たち 次に、荒野のイエス様は決して孤独ではなかったことが分かります。 「そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた」(13節後半)。 この訳は少し違うので、原文のギリシャ語の通りに訳せばこうです、 「そして獣たちがおり、天使たちがイエスに仕えていた」。 さきほどわたしはイエス様が荒野の中でただ独りであったと言いましたが、人間はいなくても、獣たちや天使たちがいたのです。 獣(テーリオン)という語には、狼、ライオン、狐、豹、猪、そして毒蛇までがふくまれています。しかし、イエス様は安全に守られていましたし、そればかりでなく、彼らと仲良くしておられたのではないかと思います。 インドのキリスト教の聖者サンダーシングは、トリヤ地方の村で伝道したとき、村人が彼を迫害して泊まるところがなく、一つの洞穴に毛布を敷いて宿りました。夜が明けて目が覚めて見ると、彼の側に大きな豹が眠っていたので、びっくりしました。また、別の村では古い廃屋の中に毛布を敷いて眠っていたら、大きなコブラがやって来て、サンダーシングから温もりを得ようとしてピッタリ側にくっついて眠ったそうです。 また、日本の例で言えば、北郷久馬(きゅうま)というクリスチャンが箱根の山中で30日の断食をして外で祈っていると、熊が来て久馬さんの鼻に自分の鼻をくっつけて匂いを嗅いだり、息を吹っかけたりしていましたが、やがて立ち去って行きました。目を開けて見ると、雪よりも白く光る衣を着た人がひとり立っていました。年のころ35,6歳と見える人で、これは甦られたイエス・キリスト様だと、胸がいっぱいになって「主よーっ!」と大声で叫ぶと、そのお姿が消えたそうです。 マタイによる福音書では天使たちはサタンが立ち去ってからイエス様のみ許に来たと書いてありますが、この福音書では、御使たちはずっとイエス様に仕えていたと書いてあります。その通りであったろうとわたしは思います。天使たちが守っていてくれますから、荒野の中でも平安のうちに生きられるのです。 皆さん、わたしたちも霊的には荒野のようなこの世の中に生活してお り、獣のような人々にも出会いますが、イエス様や天使たちに守られてい るのです。サタンの試みはイエス様に祈ることにより、聖霊で満たされる ことによって、打ち勝つことが出来ます。サタンは人の心の高ぶりに付け込んで来るものですが、心を澄ませて祈ることにより、自分の高ぶりの罪も見えてきます。どうか、謙虚な気持で神様からの愛の啓示とそれに従う 喜びをもって主に仕えようではありませんか。 アーメン 次回予告 10.3.14 時は満ちた(マルコ1:14〜15) |
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