| 2010/3/21の礼拝説教 |
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決 断 イザヤ6:1〜8 使徒9:19〜22 マルコ1:16〜20 皆川尚一牧師 |
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4人の漁師たち 16 さて、イエスはガリラヤの海辺を歩いて行かれ、シモンとシモンの 兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをご覧になった。彼らは 漁師であった。 17 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがた を人間をとる漁師にしてあげよう」。 18 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 19 また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ とが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。 20 そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒 に舟において、イエスのあとについて行った(マルコ1:14〜15)。 イエス様が招いた漁師たちはガリラヤ湖北西岸の繁華な町カペナウムに住んでいました。ヨハネ福音書によればヨハネとアンデレはバプテスマのヨハネの弟子であった時、ヨルダン川のほとりでイエス様と出会いました。そして、バプテスマのヨハネから「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とイエス様を紹介され、イエス様の宿られる洞穴までついて行って、一晩じっくりイエス様とお交わりして、「このお方こそメシアに違いない」と信じたのです。信じただけでなく、その兄弟や友達をイエス様の許に連れて来ました。シモン、ピリポ、ナタナエルたちです。最初の弟子たちはイエス様のお供をしてカナの婚礼に連なり、過ぎ越しの祭の時にユダヤに上ってエルサレムでの伝道や宮清めにも参加しました。そしてサマリヤを通ってまたガリラヤにもどって行きました。これらの経過を考えるとき、彼らが何もかも捨ててイエス様の招きに応じ、全てを献げてイエス様に従うに至ったのには、十分の準備期間が与えられていたことが分かります。つまり、イエス様を信ずること、イエス様に献身することには幾つかの段階(ステップ)があるのです。そして、一つのステッブから、次のステップに上るのには、決断が必要なのです。 召命と決断 ある朝、イエス様はガリラヤの海辺を歩いて行かれ、シモンとアンデレとが投網(とあみ)を打っているのをご覧になりました。わたしもカペナウムの漁師が舟に乗って投網を打っているのを見たことがありますが、岸からそう遠くないところで漁をしていました。きっと、シモンとアンデレも、声を掛ければ聞こえるほど近い舟の上で働いていたに違いありません。イエス様は大音声(だいおんじょう)で呼びかけました、 「おーい、わたしについておいでーッ!人間をすなどる漁師にしてやるぞーッ!」 それを聞いた二人はイエス様について行く新しい決断をしました。彼らは網を捨てただけでなく、家業も家族も捨てたのです。彼らはイエス様の口を通して、「神の国は近づいた。今、ここに来ている」という福音を聞きました。天地万物の創造主である神様を「わたしのお父さん」と呼びうるほど身近に感じ、天父(ちち)の崇高な愛のふところに抱かれているイエス様は正に見えない神の見えるお姿であると実感しました。イエス様の中に神の国は実在し、イエス様を信ずる者の中に神の国は実在するのです。まず何よりも大切なことは、人の霊が神の霊と結ばれ、人の体が神のお住まいとなり、父なる神の子として生まれ変わることです。そのために人間ひとりびとりを神の支配下に招き入れる仕事が、人をすなどる漁師なのだと分かったのです。これは人を改宗させる仕事ではなく、罪のために霊的には死んだ状態にある人々を、生ける神との聖霊における親密な交わりの中に招きいれて、神と共に生きる人に甦らせる仕事なのです。 イエス様は教えを説くだけでなく、人々の生活の中に入って神の国を建てようとしました。貧乏人を慰め、病人を癒し、悪霊憑きから悪霊を追い出しました。心の暗い人は明るくなり、沈んでいた人は浮かび上がり、死にかかっていた人は生き返りました。イエス様はそういう仕事が出来る弟子たちを作り出したかったのです。 シモンとアンデレが従っただけでなく、同業者ゼベダイの子のヤコブとヨハネも、イエス様の招きに応じて決然としてイエス様に従いました。 大漁の奇跡 このマルコによる福音書の伝承のほかに、ルカによる福音書が記録している4人の漁師の招きについての伝承があります。《ルカ5:1〜11》をご覧下さい。 「さて、群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網を下ろして漁をしてみなさい』と言われた。シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう』。そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいた仲間に加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっばいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です』。彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚のおびただしいのに驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、『恐れることはない。今からあなたは人間を取る漁師になるのだ』。そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った」。 この伝承によれば、イエス様は大漁の奇跡を行って、人間をとる漁師の仕事は、神様のみわざであり、人間の予想をひっくり返すような偉大なる成果があることを示されたのです。しかし、人をすなどる伝道の始まりは小さな奇跡からです。その実例をお話ししましょう。 金沢の町で救世軍の路傍説教によって救われた升崎外彦は、金沢市の南にある小松市の九谷焼工場で働きながら、毎晩路傍伝道を続けました。千日伝道を志し、3年の間一晩も欠かさずに伝道を続けましたが、救われる人は一人も出て来ません。人々は「ヤソ気ちがい」と言って升崎をあざ笑いました。 千日を過ぎた12日目のこと、マントを被って電柱の蔭に立つ男の姿がありました。 その人は、方角(ほうがい)定次郎と言って、小松市から10Kmも離れた木津という村で半農半漁を営む家の若者でした。冬の間は農業が出来ないので、今江潟に小舟を浮かべてワカサギをすなどっていたのです。 ある夜のこと、彼は他の若者たちと一緒にワカサキ゛漁に出ましたが、寒波に襲われたこの夜は一匹も穫れませんでした。他の漁師たちは寒波と不漁に絶望して引き揚げましたが、方角さんだけは独り残って網を下ろしていました。夜明け方、四つ手網の木の柄がギイギイ鳴るので、魚が入ったなと思って引き揚げたら、一匹もはいっておらず、ただ青い表紙の小さな本が入っていました。表紙には「約翰伝」と書いてあります。「変な本だな」と思って、舟の中の行火(あんか)で乾かして、開いたところを読むと、「われ漁りに行く」(ヨハネ21:6)とあります。 「おや、これは魚とりの本らしいぞ」と独り言を言いながら読んで行くと 「舟の右の方に網を下ろせ、さらば獲物あらん」 と書いてあるので、彼は舟の左側に下ろしていた四つ手網を右側に下ろして見ました。すると、宵のうちから一匹も獲れなかったワカサギが一斗二升も獲れました。 方角さんはビックリして拾った本を読んで行くうちに、なんとそれは何年か前に村中を騒がせたヤソの本で、全部まとめて今江潟に沈めたものが、箱が壊れて流れ出したのだとわかったのです。その時、方角さんは「小松の町に毎晩ヤソ気ちがいが出て、世迷言(よまいごと)をしゃべっている」という噂を聞いたので、こっそり毎晩聞きに来ていたのでした。この人は33歳の短い生涯でしたが、小松キリスト教会の礎となり、多くの人をすなどる漁師となりました。 皆さん、わたしたちも主イエス・キリスト様の召しに決断をもって応えて 行こうではありませんか。 アーメン 次回予告 10.3.28 権威ある教え(マルコ1:21〜28) |
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