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                                           2010/3/28の礼拝説教
  権威ある教え

   出エジプト7:1〜7
   Tコリント2:1〜5
   マルコ1:12〜28                皆川尚一牧師
会堂の聖会
 16 それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエ
    スは会堂にはいって教えられた。人々は、その教えに驚いた。
    律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたか
    らである。ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にい
    て、叫んで言った、「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなん
    の係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。
    あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。イエ
    スはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。
    すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人
    から出て行った。人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、
    「これは、いったい何事か。権威ある新しい教えだ。けがれた霊に
    さえ命じられると、彼らは従うのだ」。こうしてイエスのうわさは、た
    ちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった(マルコ1:121〜
    28)。


  4人の弟子をゲネサレの湖畔でお召しになったイエス様は、カペナウムに行って、安息日にすぐ会堂(シナゴグ)の聖会に出席されました。会堂というのは、ユダヤ人が西暦紀元前586年にバビロン捕囚となってからバビロニヤで生まれたものです。バビロニヤ軍の攻撃によりエルサレムが完全に廃墟となり、神殿礼拝は出来なくなりました。その代わりに、バビロニヤでは、ユダヤ人が会堂という新しい形の聖会をするようになりました。会堂は礼拝の場ではなかったので、動物犠牲の祭壇はなく、一種の礼拝の場はカーテンで仕切られていました。その他の部屋は役所、公民館、学校の教室、巡礼者の宿泊所等に用いられました。さて、その礼拝室では、会堂司が聖会の司会をしました。会衆は起立して、顔をエルサレムに向けて「シェマ・イスラエル」(申命記6:4〜5)という信仰告白と「シェモネ・エスレ」という18の祈祷文を高らかに朗誦します。次いで会堂司は、備え付けのトーラー(律法書)と預言書の中から、説教者の希望する書を手渡します。説教者は会衆の中から御言葉を解き明かすことの出来る人が選ばれ、講壇に立ち、聖書の一部を声高く朗読しますと、会衆は黙祷して耳を傾け、「アーメン!」と応えます。説教者は坐ってそれを解き明かします。最後は司会者の祈祷とアロンの祝福をもって礼拝を閉じます。

権威ある教え  
  さて、イエス様が会堂の聖会の中で、会堂司の許可を得て壇に登り、聖書を朗読して説教をされますと、会衆はみな驚きました。それは律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからです。  
  律法学者は、律法を文字通りに守る事を教えました。例えば、マタイによる福音書第5章21節以下には、律法学者の教えとイエス様の教えが対比されています。  
  ◎律法学者は「殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない」と言います。つまり、「人を殺す者は死刑だ」と教えているのです。  
  しかし、イエス様は「兄弟に対して怒る者は死刑である。ばか者と言う者は地獄行きである」と教えます。怒ることは殺すのと同じなのです。  
  ◎律法学者は「姦淫するな」と教えるが、イエス様は「色目をつかって女を見た者は姦淫したのだ」と教えます。  
  ◎律法学者は「いつわり誓うな」と教えるが、イエス様は「いっさい誓うな。『はい』と『いいえ』だけで十分だ。誓うという行為は悪から出ているのである」と教えます。  
  ◎律法学者は「目には目を、歯には歯をもってつぐのえ」と教えるが、 イエス様は「一切仕返しをするな。右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ」と教えます。  
  ◎律法学者は「隣り人を愛し、敵を憎め」と教えますが、 イエス様は、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えます。  

  まとめて言えば、律法学者は人のうわべに現れた行いだけを問題にしていますが、イエス様は人の心の奥にある精神を大切にしておられるます。律法の文字の中に宿る、神の愛と憐れみと赦しが人を活かすのだとイエス様は教えるのです。  
  また、律法学者は聖書の文字や、有名な先生の教えを引用して自分の教えを権威づけていますが、イエス様は父なる神様の御心を知って、神様に喜ばれることは何か、嫌われることは何かを教えるのです。  
  例えば、ヨハネ福音書第8章に書いてある「姦淫の女」の裁きです。 イエス様のところに律法学者やパリサイ人たちが姦淫を犯した女を引きずってきて、「この女は石打ちの刑にすべきだと思いますが、あなたはどう思いますか」とイエス様に尋ねました。するとイエス様は答えて言われました、「あなたがたの中で罪のない者が、先ずこの女に石を投げつけるが良い」と。すると、人々は年長者から始めて、若い者にいたるまで、皆逃げて行きました。つまり心の中で姦淫を犯していない男は一人もいなかったことが分かりました。それからイエス様は女に、「わたしもあなたを罰しない。これからは罪を犯さないように」と言って家に帰らせました。  
  このイエス様の権威は聖霊によって父なる神様と直結している人の持つ権威であります。言い換えれば、イエス様は神の言を語っておられるので、人はイエス様のお言葉を神様のお言葉だと直感して畏れかしこむのです。

悪霊を追い出す  
  このイエス様の権威には、悪霊を追い出す力がありました。23節以下を見て下さい。
  「ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、『ナザレのイエスよ、あなたはわたしと何の係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか、あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です』。イエスはこれを叱って、『黙れ。この人から出て行け』と言われた。すると、汚れた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげてその人から出て行った」  
  わたしたちが聖霊に満たされ、神の権威を着せられると、このように悪霊を追い出すことが出来ます。悪霊はイエス様が神の御子であり、天地万物の主であられる事を知っていますから、イエス様の名で命じられると逃げ出します。イエス様の権威に従わないわけにはゆかないのです。 1986年にわたしがイスラエルに行った時、エルサレムのペツレヘム通りのキリスト教会でドイツ系のユダヤ人たちと一緒に礼拝をしました。そのとき、牧師の説教の途中でお祖母さんと一緒に来ていた12,3歳の少女が突然キャーッと叫んで床にひっくり返って暴れ始めました。牧師も会衆も呆然としてどうして良いか分からない有様でした。わたしはすぐ、「これは悪霊のしわざだ」とわかったので、一番後ろの席からつかつかと前のほうに行って、女の子の側に立って日本語で命じました、「この女の子に宿る悪霊! イエス・キリストの御名で命ずる、この子から出て行け!」 すると悪霊は出て行きました。女の子は静まり、正気にもどって、お祖母ちゃんの胸に抱かれて安らかになりました。それで礼拝は続けられたのです。礼拝が終わった後みんなで喜び合いました。

  ですから皆さん、わたしたちはイエス様を信じて、聖霊の権威を身に帯びてみ言葉を語り、病気を癒し、悪魔・悪霊に勝利してまいりましょう。  
  今日は教会暦では、受難週の棕櫚の日曜日に当たります。イエス様が十字架上で成し遂げられた贖いの御業の中心は、悪魔の手からの贖いです。わたしたちも、主イエスの御名の権威によって悪魔・悪霊の力に
勝利することを実行してゆこうではありませんか。          アーメン

次回予告 10.4.4 死は凱旋門(マルコ16:9〜13)

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