| 2011/7/17の礼拝説教 |
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神と人とを愛す ホセア6:4〜6 Tヨハネ4:7〜12 マルコ12:28〜34 皆川尚一牧師 |
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神と人とを愛す ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第1のものですか」。イエスは答えられた、「第1のいましめはこれである、『イスラエルよ聞け、主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第2はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。また、『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべてのはん祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。イエスは彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった(マルコ12:28〜34)。 この律法学者はイエス様を陥れるために来た悪意の人ではなく、善意の人、真理を率直に語り合い、認め合うことが出来る人でした。彼の質問は「すべての戒めの中で、どれが第1のものですか?」というものでした。 これは一見簡単なように見えて、実は大変な質問です。なぜなら、モーセの戒めは全部で614箇条ありますが、その中で「〜してはいけない」が365箇条、「〜せよ」が249箇条あります。それほど多くの戒めの中で何が一番大事な戒めであるかというのですからね。それに対するイエス様の答は簡単明瞭でした。第1は神を愛すること、第2は人を愛することだと言われました。614の戒めは「愛」の一字に尽きるのです。人は何かを愛することによって生きるものですが、ここにハッキリと「何を愛すべきか」、「いかに愛すべきか」が示されているのです。 神様を愛する 先ず、神様を愛することですが、これは、《申命記6:4〜5》に示されています。 「聞け、イスラエル われわれの神、ヤーウェは唯一の主である。 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、 あなたの神、ヤーウェを愛する」。 神や仏といわれるものは沢山あるけれども、本当に神様として崇めるべきお方はただひとりです。天に太陽が一つだけであるように、宇宙万物をご自身の内から産み出し、創り出された神様はただひとりです。このひとりの主こそ、万物のかしら、万物の中心です。それゆえ、ロマ書にも、 「万物は、神から出で、神によって成り、神に帰するのである。 栄光とこしえに神にあれ」(ローマ11:36)。 と記されています。 それだけではありません。神様は救い主であって、イスラエル人が囚われていたエジプトの奴隷状態からモーセを与えて救い出して下さったのです。出エジプト記十戒の冒頭に、こう記されています。 「わたしは、あなたの神、ヤーウェであって、あなたをエジプトの地、 奴隷の家から導き出した者である」(出20:2)。 神様は人間に尊敬と服従だけを命じる冷酷な独裁者ではありません。神様は愛と憐れみに満ちた「あなたのお父さん」であり、親切な助け主、慰め主、救い主です。イスラエル人はこの絶大なる神様のご愛を忘れないように、毎年過越しの祭を守って来ました。神様に愛されているから、愛をお返しせずにいられないはずなのです。 しかし、「渋柿や 丸八年の 恩知らず」という俳句があるように、人は恩知らずになりがちです。ホセア書に、 「あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、 また、たちまち消える露のようなものである」(ホセア6:4)。 と記されているように、自分にご利益をもたらす偶像や、お金や、快楽を神として、本当の神様をないがしろにしてしまいます。 心の祭壇に祀るべきもの イエス様は人間の体は神の宮であり、ひとりびとりの心の祭壇に神様をお祀りして礼拝する時が来ていると言われました。でも、心の祭壇に別のものを祀って拝んでしまう場合もあります。ホセア書に、 「あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、 また、たちまち消える露のようなものである」(ホセア6:4)。 と記されているように、神様をないがしろにしてしまいます。 ですから、天のお父様は御子イエス様をこの世に降して、その愛がどんなに素晴らしい自己犠牲的な愛であるかを十字架を通して示されたのです。ですから、わたしたちはエゴを心の祭壇に祭り上げて、神様の愛を適当に利用することを止め、主なる神様に仕える謙虚な愛をささげるべきです。 いかに愛するか そこで次に、「いかに愛するか」と言いますと、 「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの 神を愛せよ」とあります。「心」とは感情です。「精神」とは意思です。また、「思い」とは知性です。つまり知・情・意の全人格を傾けて力の限り神様を愛することです。そうするときに人は幸福感でいっぱいになります。 ダグ・ハマーショルドの言葉 戦後、国連事務総長となったダグ・ハマーショルドは神の御心を行うために心を尽した人ですが、随筆集「道しるべ」の中にこんな言葉を記しています。 「もし何かのことで、自分のためを思って選ぶと、 お前の人生に支えがなくなる」。 自己愛と隣人愛 さて、次に第2番目に大切なことは隣人愛です。 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(31節)。 では、隣人とは誰でしょうか。それは、あなたを必要としている人です。先ず、あなたの家族・親族、主にある兄弟姉妹(もちろん牧師もふくまれます)、友人、知人、そして、行きずりの人、恩知らずな人、あなたを憎む人さえも含まれます。なぜなら彼らも神様に愛されており、イエス様の十字架の贖いによって救われるべき人たちだからです。 では、どのように愛するのか。「自分を愛するように」です。だれでも、本能的に自分が一番可愛いですね。つまり、相手を「もうひとりの自分」として見ることです。でも、これは神様の愛に満たされて初めて出来ることだと思います。最後にその実例をお話して終わりましょう。 スター・デイリーの救い 1924年、スター・デイリーは「救い難い凶悪犯」として地下の牢獄にぶち込まれました。幾年か後、冬の日の凍りつくような監房で、朝晩一切れずつのパンと、いっぱいの水が与えられ、昼間の12時間は手錠をはめてやっと足がつく高さに鎖でぶら下がらせられるのです。15日後には無意識状態で床に横たわっていました。 スターは夢を見ていました。夢の中で靴の形をした谷間があって低い丘に囲まれています。するとそこに、イエス様が入って来られました。今まで彼が避け続けてきた人です。イエス様は立ちどまり、じっとスターの目を見つめました。すると今まで全く感じたことのない愛が流れ込み、彼の心から憎しみを洗い出しました。 続いてスターは夢の中で、今まで彼が害を与えた人々が目の前を通り過ぎて行くのを見ました。彼はそのひとりびとりに愛を注ぎました。 次に、彼を害した人々が現れました。そのひとりびとりに彼は愛を注ぎました。愛は、彼を越えた彼方から流れてきて、彼の身体を通りぬけ、深い思いやりと歓喜に満ちた激流となって、滝のように注がれました。 スターが意識を回復したとき、地下の牢獄は輝いて見えました。鬼のような看守は彼の心の変化に仰天して医師を連れて来ました。スターは刑務所病院に入れられて健康を回復し、1930年に刑期を5年残して釈放され、その後、彼はキリストの救いの証し人として働き始めたのです。 このように、神様の愛に貫かれることによって人は生まれ変わります。 愛することが出来ない人をも、愛せるようになります。愛の奇跡はキリス トによって今も起こることを信じて、生きて行こうではありませんか。 アーメン 次回予告 11.7.24 わが主キリスト(マルコ12:35〜37) |
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