| 2010/4/4の礼拝説教 |
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死は凱旋門 ヨブ19:25〜27 Tコリント15:50〜58 マルコ16:9〜18 皆川尚一牧師 |
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信じられない出来事 週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。 この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスが違った姿で御自身をあらわされた。このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。 その後、イエスは11弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななこととをお責めになった。彼らはよみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。そして彼らに言われた「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる(マルコ16:9〜18)。 イエス様の弟子たちは、十字架上で死んで、墓に葬られたイエス様がよみがえられたという知らせを聞いても、初めは信じられませんでした。その第一報はマグダラのマリヤによってもたらされました。このマリヤはベタニヤのマリヤと同一人物です。彼女は最も深くイエス様に愛された女性でした。彼女は日曜日の朝早くお墓参りをして、墓の側でイエス様にお会いしたのです。しかし、彼女の報告は「気のせいじゃないのか」という一言で葬られました。次に、第二報はイエス様の叔父クレオパとその子シメオンによってもたらされました。この親子は日曜日の夕方エマオの村の自宅でイエス様を見ました。途中で道連れになった見知らぬ旅人が、実はイエス様であったとわかったとき、イエス様のお姿は消えました。彼らは喜びの余り、直ぐにエルサレムに引き返して、11人の使徒たちに知らせたのです。しかし、彼らの報告も「目の錯覚だろうよ」と笑われただけでした。なぜ人間は「死人の復活」という出来事が信じられないのでしょうか?多分それは世間の常識に囚われているせいでしょう。「人は死んでしまったら、もう甦ることが出来ない」というのがこの世の常識です。人間はこの常識にマインドコントロールされています。現代人であれば「それは科学的でないよ」と言って相手にしないでしょう。だから、イエス様が「わたしは死んで三日目に甦る」とたびたび予告しておられたのに弟子たちは一人も主のお言葉を信じていなかったのです。 そこで、ついにイエス様は11人の使徒たちが日曜日の夜、堅く錠を下ろした一部屋に集まっているところに出現されたのです。 勝利者イエスの言葉 さて、光々と輝く復活のイエス様が弟子たちに発した御言葉は、勝利者のそれでした。「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる」 イエス様は何に勝利されたのでしょうか? イエス様は十字架の死と復活によって、罪と死と悪魔とに勝利されたのです。 皆さん、わたしたちはエデンの園でアダムとエバが悪魔に誘惑されて神様に背いたことによって、罪と死と悪魔に捕われたことを思い起こしましょう。それによって人間はみな神様に背く罪を犯す人、そしてみな必ず死ぬ人になったのです。悪魔はその方法で私たちを滅ぼそうとしています。それゆえ神様は天からイエス様をこの世に降して、全ての人を罪と死と悪魔のわなから贖い取ることにされたのです。 人類は遠い遠い昔から、このような贖い主が来る事を待ち望んでいました。先ほど朗読したヨブ記(19:25〜27)には、こう記されています。 「わたしは知る。 わたしをあがなう者は生きておられる。 後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされた後、 わたしは肉を離れて神を見るであろう。 しかしもわたしの味方として見るであろう」。 ヨブは財産も家族も健康も失って失望のドン底に陥りましたが、やがて贖い主が天から降りて来ることを信じました。そして病によって腐った肉体を脱ぎ捨てて神様にお会いする日があることを信じました。それは旧約には珍しい甦りの信仰と希望です。しかし、ヨブはこの地上にいる間に神様を見ました。そして神様はヨブを愛し憐れみ、罪を赦し、死の苦しみから救い出して下さいました。 それだけではありません。ヨブから千年以上後になって、正に、彼が告白した贖い主がイエス・キリスト様として地の上に立たれました。イエス様は罪と死と悪魔の手から、またヨブに似た苦しみの中からわたしたちを贖い出して下さるお方です。なぜなら、イエス様は罪に勝ち、死に勝ち、悪魔に勝利して甦られた方だからです。このイエス様を信じる人はイエス様と一つにされ、死に勝つことができます。今、その実例を一つお話ししたいと思います。 死は凱旋門 1964年に天に召された内藤兆吉さんはその5年前から相模大野で開拓伝道を始めた私の片腕となって、熱心に働いて下さった兄弟でした。彼は片脚が不自由でしたけれども、わたしが路傍伝道をするときには、提灯を持って一緒に街角に立ってくれたし、わたしの自転車の後ろに乗って、家庭集会や国立相模原病院の患者訪問にも行ってくれました。もちろん、礼拝には欠かさず出席し、何かとわたしの住居に来ては一緒に祈ってくれました。彼が病気で入院し、危篤状態になった時、臨終の床にわたしと二,三の兄弟が付き添って祈りましたが、その時の最期の言葉は、「イエスを愛す、日本を愛す、家族を愛す」でした。暗い病室の中に光りがパッと輝きました。わたしたちはみな、「兆吉さんは天国に凱旋した!」と語り合いました。兆吉さんは享年73歳でした。それから26年後の1990年にご長男の信一さんが、70歳でイエス様を信じ、バプテスマを受けて救われました。そして熱心に信仰生活を続けて、今年90歳になりました。世に勝ち、罪に勝ち、死に勝ち、悪魔に勝つ信仰はイエス様を神の子と信じる人を永遠に生かす力です。そういう人にとっては、死は凱旋門であります。先に天国に行った愛する人々もイエス様と一緒にわたしたちを天国の門で迎えてくれるでしよう。 皆さん、イースターを迎えて、わたしたちはますますイエス様を信じ、あの内藤兆吉さんのように、「イエス様を愛す、日本を愛す、家族を愛す」と 告白して生き、やがて、キリストに迎えられて死の凱旋門をくぐって天国 に昇ろうではありませんか。 アーメン 次回予告 10.4.11 熱病の癒し(マルコ1:29〜31) |
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