| 2010/4/11の礼拝説教 |
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熱病の癒し 出エジプト15:26 ヤコブ5:13〜16 マルコ1:29〜31 皆川尚一牧師 |
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熱病の癒し それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。イエスは近寄り、その手をとって起こされると、熱が引き、女は彼らをもてなした(マルコ1:29〜31)。 イエス様はカペナウムの町の会堂から出ると、弟子のヤコブとヨハネとを連れて、漁師仲間のシモンとアンデレの家にはいって行かれました。シモンの家は会堂のすぐ近くにあったのです。すると家の中の一部屋にシモンの妻の母親が高熱を発して臥せっていました。イエス様はその床に近づいて、しゅうとめの手を取って起こされると忽ち熱が引いて元気になって、しゅうとめはイエス様を接待するために甲斐甲斐しく働き始めました。イエス様が手を取って下さっただけで、何も命じなくても病気が治ったのです。手と云うのは、聖霊の働きの接触点です。人を癒すのはイエス様の中に宿られる神様の霊がイエス様の手を通して触れる人の体に流れ込むからです。これは、イエス様だけでなく、わたしたちの場合も同じですので、幾つかの実例を挙げてみたいと思います。 柳谷静江さんの癒し 今から51年前の出来事ですが、私たちの教会員で真砂文子さんという人が札幌に住んでいました。そのお父さんの柳谷文吉さんが膵臓ガンで危篤だという知らせが来たので、教会は祈祷会を開いてガンが消えるように祈りました。すると手術の結果膵臓のガンが消えていることが分かりました。しかし、医師の検査で胆嚢に五つ、輸胆管に一つガンが見つかったという知らせでした。それらのガンが石に変わるようにと祈ったところ六つとも石に変わっていました。そこでお医者さんは安心して手術を終え、「あとは傷が治って退院するだけです」と言いました。ところが実は縫合ミスによる出血があって、翌日死去されたのです。 そこで私は直ぐに飛行機で札幌に飛びました。娘さんの家のリビングに安置された棺の側で、道東の北見から駆けつけて来たお母さんの静江さんが泣き崩れており、2人の娘さんも両側からお母さんに縋りついて涙に暮れているのを私は見ました。お母さんの静江さんは肺炎のため北見の病院に入院して点滴を受けていましたが、夫死去の知らせを聞くと、「死んでも良いから札幌に行く」と言って、特急で駆けつけて来たのです。私は3人の側に近づいて言いました、「泣かなくても良いのですよ。私たちは主のなさることを見ましょう。私はそのために来たのです」。すると長女の文子さんは「ああ、本当にそうでしたね」と言って、泣くのをやめてお母さんを助け起こしました。私は先ずお母さんの頭に手を置いてイエス様の御名によって肺炎が治るよう祈りました。それから皆でお棺を囲んで、「主の御心ならば甦らせて下さい」と祈りました。みな口々にひたすら祈る間に聖霊が下り、日本語の祈りも、異言の祈りも超スピードで流れました。すると、突然文子さんが「ああ、主よ、感謝します」と祈り始めました。お棺の側面を覆う黒い布にテレビで見るような天国の映像が映し出されたのです。 「ああ、主よ、感謝します。 父を天国に迎え入れて下さって有難うございます」。 「お母さんには見えないの? ほら、お父さんが天国の花の咲いた丘 の上で、嬉しそうに踊っているよ。青い空に金色の光りが輝いて、天使 たちがお父さんを囲んでいるよ。あら、小さい時に死んだ和子姉ちゃん が、お父さんを迎えて喜んで走りまわっているわ。まあ、お父さんよかっ たね。〜あ、お父さんが話しかけている, 『文子、天国って素晴らしいところだねえ。お前が話してくれた通りだよ。もうそんな辛いところに帰りたくはないよ』」。 これを聞いて私たちは文吉さんが生き返るように祈るのをやめました。そしてお葬儀の準備をすることにしました。お母さんがお棺の中の文吉さんを見て言いました、「ほら、みんな見てご覧、死んだ時苦しそうな顔をしていたお父さんが嬉しそうに笑っているよ」と。本当にそうでした。文吉さんの亡き骸の顔は楽しそうな笑顔に変わっていたのです。 お棺の周りを取り巻く人たちはみな天国の喜びで輝いていました。それからみんなで眠りましたが、翌朝はあの死にそうだったお母さんが見違えるように元気になって、午前4時に起きて、泊り込んだ家族、親族、教会員のために甲斐甲斐しく朝ご飯の支度を始めたのです。まるで、聖書に出てくるシモン・ペテロのしゅうとめのようでした。 手は接触点 このほかにも、手を接触点として聖霊によるイエス様の癒しが現れた実例が幾つもあります。 (1) 昔、私が礼拝奏楽者の岩村悦子さんの家を訪問したとき、丁度、病院の帰りに立ち寄った従妹のAさんにお会いしました。カトリックの信者さんということでしたが、岩村さんに祝福の祈りをしてあげて下さいと頼まれたので、その方の頭に手を置いて祝福しました。特に病気の癒しを祈ったわけではありませんでした。しかし、その人は子宮内膜炎で弱っていたのです。祝福の時に、私の手から何か熱いものが出て、頭の天辺からずうーっと首→胸部→腹部→子宮へと下って行き苦痛が無くなったと感じたそうです。そして、翌朝は爽やかな気分で元気いっぱいに起き出て働けるようになったので、今一度病院に行って検査を受けたところ病気はすっかり治っていることが分かりました。 (2)次はBさんの話です。彼女は東京駅で新幹線に乗ろうとして八重洲側の中央改札口にさしかかりました。見ると母親に連れられた5、6歳の女の子が人波にもまれて親と手が離れ、親は改札の内側に入ったけれども、子供は外側に取り残されました。それを見たBさんは、その女の子の手を取って一緒に改札口を通って、その子をお母さんのところに連れて行ってあげました。するとその子がお母さんに、「アキ子、この小母ちゃんに、手を曳いてもろうた」と言いました。とたんにお母さんはビックリして腰を抜かしたそうです。なぜなら、その子は生まれつき口の利けない子だったからです。手を取っただけで癒されたわけです。 (3)《ヤコブの手紙5:13〜16》には、「病んでいる人は教会の長老たちを招いて、イエス・キリストの御名により、オリブ油を塗って祈ってもらいなさい」と書いてあります。指先にオリブ油をつけて額や患部にふれて祈るというのも昔から行われて来た方法です。 (4)《ヨハネ9:6〜7》イエス様は地に唾を吐いて泥を作って盲人の見えないまぶたに塗ってあげました。「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われ、盲人はその通りにしたら、目が見えるようになりました。 このように癒しの接触点となるものは色々あります。聖霊によって今もイエス様の癒しがわたしたちを通して現れることを信じて、イエス様に用 いられる人になれるよう祈ろうではありませんか。 アーメン 次回予告 10.4.18 悪霊追放(マルコ1:32〜34) |
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