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                                           2010/4/18の礼拝説教
  悪霊追放

   Tサムエル16:18〜23
   使徒19:11〜17
   マルコ1:32〜34                皆川尚一牧師
悪霊追放
  夕暮れになり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。こうして、町中の者が戸口に集まった。イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである(マルコ1:32〜34)。

  夕暮れになって日が沈むと、人々はイエス様の住んでおいでになったカペナウムの家に病人や悪霊に憑依された人をみな連れてきました。イエス様に救って頂くためです。何しろ町中の人々が戸口に集まったのですから、大変な騒ぎだったと思います。病気の癒しについては、前に取り上げたので、今日は悪霊追放についてお話ししたいと思います。イエス様の救済活動の中では、罪の赦しと、病気の癒しと、悪霊追放の三つは最も重要な働きでした。先ず、イエス様ご自身が熱心に働き、12人の使徒たちや、72人の弟子たちにもこの任務を授けてイスラエル全体に派遣されました。それは「神のご支配はここに来ている」という福音の証明として行われた働きで、罪と死と悪魔の囚われから人々を解放するためです。

悪魔・悪霊は実在する  
  ところが、日本のキリスト教界では悪魔・悪霊の実在を認めない牧師や信徒たちが沢山います。それは合理主義や科学主義の影響から来ています。「霊」といえば直ぐ「それは迷信だ」とか、「オカルトだ」とか言うのです。「幽霊はいない、いると思うのは気のせいだ」というのと同じで、「悪魔・悪霊はいない、いると思うのは気のせいだ。心理学や病理学で説明できる」と考える人々が多いのです。「悪魔・悪霊がいると思うのは、古代人の考え方である。われわれ現代人はそういう考え方はしない」と言う人々は、イエス様が悪霊にしゃべることをお許しにならなかったと書いてある今日の聖句をどう解釈するのでしょうか?    
  本当は、悪魔・悪霊は実在するのです。古代であろうと、現代であろうとそのことは正真正銘の事実であります。それが認められなくなったのは悪魔の目くらましを受けているからです。私は聖霊を受けた時から、悪魔・悪霊が実在することと、彼らの接近や、活動がハッキリ分かるようになりました。神様の実在を知れば知るほどそれはハッキリ識別できるのです。神様を思想や観念で信じている人には、悪魔・悪霊もただの観念に過ぎません。しかし、それでは現実に悪霊に苦しめられている人を救うことが出来ないのです。

悪霊も神の支配下にある  
  前にも「荒野の誘惑」のところで申し述べたように、悪魔(サタン)というのは、神様に背いて堕落した天使長であり、悪霊たちはその部下です。そして、悪魔・悪霊の手先となって働く人間や、死人の霊も悪霊の仲間です。それゆえ、彼らは元来天地万物の創造主である神様から造られたものですから、神様に勝利する力は持っていないのです。彼らは神様が許された範囲でしか働くことが出来ません。  

  《サムエル記上16:14〜23》には、「主から来る悪霊」とか「神から出る悪霊」がサウル王を悩ましたと書いてありますが、これは、サウルから神の霊が離れた後、彼に悪霊が憑依して悩ますことを神様がお許しになったという意味です。神様が積極的に悪霊を遣わすことはありません。サウル王はダビデの功績を妬んだので、その悪意につけこんで悪霊がとりつきました。しかし、ダビデが竪琴を弾いて讃美歌を歌うと、サウルから悪霊が出て行って、正気に返ることが出来ました。この場合は、悪霊追放の命令を下すことによらず、讃美歌を演奏することによって悪霊を追放したのです。なぜなら、神様は讃美の中に臨在されるからです。毎日、いつも神様を讃美して歌う人には悪霊が近づくことは出来ません。

  それゆえ悪の働きもを畏れるには及びません。神様は全てを内側から新しくするからです。心の深いところから刷新して下さいます。あなたの心にイエス様を迎え入れなさい。そうかればあなたの恐れは去り、平安が満たされます。妬み、憎しみは去り、愛が満たされます。悪霊は去り、光が宿ります。光りが心を変え、生命が甦ります。心が変われば外側も変ります。

  桜の花を見て御覧なさい。冬の寒さに震えていた枝につぼみが芽吹きます。そして、春の暖かさが来ると鼻が開き初め、一斉に開いて満開となります。命が甦るのです。

  しかし、雨が降り、嵐が吹きすさぶと、満開の桜は一枚ずつハラハラと絶え間なく散って、瞬く間に葉桜になってしまいます。残念だなと思って見上げると、葉桜はそれなりに美しい風情で目を喜ばせてくれます。しかし、ガクがバラバラと、とめどなく落ちて片付けるのに苦労します。ところが花のあとには実が成り、種が出来て生命を継続させていくのです。生命は脈々として受け継がれていきます。あなたもそうです。あなたの生命も内側に蓄えられ、ドラマチックにあなたを強めてよみがえらせます。それゆえ、あなたも復活の主イエス様の生命をいっぱい受けて、悪霊に勝利することが出来ます。

イエスの名で追い出す
  イエス様はご自身の権威によって悪霊を追い出しましたが、わたしたちはイエス様の御名の権威によって悪霊を追い出します。なぜなら、イエス様は全知全能の神の権威を持つお方であり、十字架の上で罪と死と悪魔に力に勝利されたお方ですから、これ以上の権威・権力を持つお方はは天界でも、この世でも他にないからです。  
  ただし、イエス様の御名は呪文ではないので。信ずる人に権威を授けてくださいますが、信じない人には通用しないのです。  
  例えば、《使徒19:11〜16》を見て下さい。
「神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ、『パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け』と、ためしに言ってみた。ユダヤの祭司長スケワという者の7人のむすこたちも、そんなことをしていた。すると悪霊がこれに対して言った、『イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ』。そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押さえつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した」(使徒19:11〜16)。  
  これによってもわかりますように、イエス様を信じている人にのみ、イエス様の権威が着せられるのです。借り物では何の力もありません。また、ただ信じているだけでは悪霊追放の力は身に付きません。また、聖霊のバプテスマを受けて喜んでいるだけでは、悪霊追放の力は身に付きません。イエス様にお願いして、悪霊に勝つ権威を授けて頂く必要があります。例えば、寝ている間に悪霊の金縛りにあったならば、声が出なくてもいいから、「主イエス様、助けて下さい、悪霊に勝たせて下さい」と心の中で真剣に祈るのです。そうすれば、金縛りが解けると同時に、イエス様の権威が身に付きます。負けたように見えて、実はこちらの戦いのレベルがアップするのです。悪魔・悪霊に勝つには、実戦経験を重ねて悪霊追放の権力のレベルを上げていく必要があります。  

  みなさん、この世はわたしたちにとって悪魔・悪霊との戦いの戦場であります。だから、油断大敵です。無防備な状態では悪魔に付け込まれますから、イエス様を常に喜び、常に崇め、讃美と感謝で悪魔を寄せつけないようにしましょう。そして、自分も他の人も悪魔・悪霊から解放される
ように、力ある働き人になろうではありませんか。         アーメン

次回予告 10.4.25 早朝の祈り(マルコ1:35〜39)

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