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  久遠のキリスト

   Tペテロ1:1〜9
   詩篇16:7〜11
   ヨハネ20:24〜29                皆川尚一牧師
復活の初穂
  ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。
  神は、その豊かなあわれみにより、
  イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、
  それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
  あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、
  しぼむことのない資産を受け継ぐものとして下さったのである。
  あなたがたは、終わりの時に啓示されるべき救にあずかるために、
  信仰により神の御力に守られているのである(3〜5節)。

 「ああ、なんとすばらしい神様でしょう!」と使徒ペテロは父なる神様を精一杯ほめたたえて、この手紙を書き始めました。それは父なる神様が神の御子イエス・キリスト様を墓の中からよみがえらせたからです。
 それまでのユダヤ人にとっては、人類の始祖アダムが神様に背いて
以来、人が死ねば陰府に行って、再び甦ることはないというのが常識であり、社会通念でありました。死は人生の終わりであり、絶望そのものでありました。だからキリストの12使徒ですらも、いくらイエス様が「死んだ後3日目によみがえる」と予告しても信じられなかったのです。先ほど
朗読したヨハネ福音書のトマスだってそうでした。ほかの弟子たちが
「復活したイエス様を見た」と言うのを聞いても、「自分自身の目で見て、手でイエス様の傷口に触って見なければ信じない」と言いました。
その時、突如として、イエス様が出現されて、両手、両足と脇腹の傷を
見せ、「信じる者になりなさい」と言われたのです。トマスは泣きながら
「わが主よ、わが神よ」と言ってひれ伏しました。
彼もまた、「ああ、なんとすばらしい神様でしょう!」と父なる神をほめたたえる仲間になったのです。
 なぜならば、キリストのご復活は人類復活の希望だからです。
奇しくも、父なる神様が御子を甦らせた日はユダヤ人の初穂祭の日で
ありました。初穂祭というのは旧約聖書レビ記23章10〜11節に記されています。イスラエルでは、秋に種を播き、春に収穫します。その時先ず初めに、一部刈り取った麦の束を初穂として神殿に献げ、神様に感謝
します。祭司はその麦の束を主に向かってうやうやしく捧げ、サーッ、
サーッと左右に振り動かすのです。この初穂のように、父なる神様は
キリストを甦らせ、全クリスチャンの復活の初めとされたのです。
それについてこう記されています。「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。〜、ただ、各自は
それぞれ順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」(Tコリント15:20〜23)と。
 ですからイエス様が復活し、昇天して天の御国に帰られたということはイエス様を信じる私たちも天の御国に迎えられるという保証なのです。
なんとうれしいことでしょう!
 * 北海道で80歳までアイヌ人の伝道に献身したカナダ人宣教師
ジョン・バチェラーの手紙の中にこういうエピソードが書かれています。
シラクテノという名のアイヌは数年間、肺結核を患って苦しんだ末、この世を去りましたが、死が近づくや、なお一層輝かしい喜びに満ちあふれ、イエス・キリストの福音を聞いたことを感謝して、平和のうちに世を去り
ました。その幸せな有様は、死よりも恐ろしいものはないと考えている
アイヌ人を非常に驚かせ、すばらしいキリストの証しとして多くの人々に影響を及ぼしたそうです。

久遠のキリスト
 そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試練で悩まねば
ならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、
あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金
よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、
さんびと栄光とほまれとに変るであろう。あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、
信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである(6〜9節)。

 つまり、キリストは今私たちの肉眼には見えなくても生きておられる
久遠のキリストなのです。ヨハネによる福音書は、肉体を取ってこの世に入ってこられる前から、すなわち世のはじめからキリストは父なる神と共に実在しておられ、すべてのものは彼によって出来たと記しています。
そして、肉体をとってこの世で33年半のご生涯を終えられたキリストは、死から復活し、昇天して永遠に実在し、すべてを支配しておられるのです。で、今回私が「久遠のキリスト」という題をつけたのには
わけがあります。それはこうです。
 あの使徒トマスは紀元第1世紀にインドへ行って、キリストの福音を
宣べ伝え、殉教の死を遂げました。このトマスの伝えた永遠の救い主
イエス・キリストの話が仏教に影響を与えて、久遠本仏(くおんほんぶつ)といわれる救い主の思想となったといわれます。シャカが29歳で出家して、35歳の時に悟りを開いたというのは仮の姿であった。シャカは実は
「久遠の昔」にすでに仏となっていた者なのだという思想です。シャカは
過去・現在・未来において永遠に人々を教化しつづける久遠本仏だとして、法華経の中に記されることになりました。これは本来シャカの教えの中には無かったもので、シャカの死後600年たって西暦紀元1世紀から2世紀頃に成立した法華経の中で、久遠実成(じつじょう)の仏と呼ばれるようになった。これはキリスト教の影響によるもので、実は、イエス様
こそ久遠のキリストとして崇められるべきご本尊であります。 わたしたちは、時折霊の目が開かれて、イエス・キリスト様を見る時がありますが、普段は見えません。しかし、ここに記されていますように、キリストの実在性はありありと実感できますし、言葉につくせない輝きに満ちた喜びと
平安をもたらしてくださいます。また、心に主のみ声を聞くことが出来ますし、さまざまの助けと導きを経験させていただけるのです。
 * たとえば、旧満州の承徳で伝道していた山田晴枝宣教師の話です。昭和20年8月15日の終戦の直前にソ連軍が日ソ不可侵条約を一方的に破って、満州に侵入してきました。昭和21年の元旦の朝、川村さんの家族と一緒にいるところへ、6人のソ連兵がドアを蹴破って入ってきて
奥さんと子供たちを布団蒸しにして、山田先生に襲い掛かりました。山田先生は何もかもしっかり着込んで猛烈に抵抗したので、6人の兵士と
大格闘になり、兵士らも彼女をもてあまして、独りの兵士がピストルを
抜いて彼女のこめかみに押し付けました。そのとき「もう終わりだ」と目を閉じた瞬間、「わたしはあなたと共にいる」という、キリストのみ声を聞きました。ピストルの引き金の音を聞いたとたんに気を失って倒れたのですが、兵士が去り、気がついてみるとピストルの弾丸が膝の上に落ちて
いたのだそうです。そして奥さんや子供たちが布団の中から顔を出して、「あらッ、先生、生きている!」「おばちゃん、生きている!」
と口々に叫んだのだそうです。
 このように、久遠のキリストは私たちと共にいて、人生のあらゆる局面において、助け、導いてくださり、守ってくださいます。
そして、ついには、天の御国へと私たちを導いてくださいます。
この信仰の結果である魂の救いは、久遠のキリストとの深い霊の交わりによって与えられます。                        アーメン

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