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                                        2001年9月23日の礼拝説教
  栄光の霊

   Tペテロ4:14
   出エジプト40:34〜38
   ルカ9:28〜32                  皆川尚一牧師
栄光の霊
  キリストの名のためにそしられるなら、
  あなたがたはさいわいである。
  その時には、栄光の霊、神の霊が、
  あなたがたに宿るからである(14節)。

 神様の霊が、ある場所の上に、あるいはある人の上にとどまるときには、神の栄光が輝くのが見られます。この栄光はヘブライ語で
「シェキーナー」と言います。
 シェキーナーの色は黄金色であったり、炎のような赤や緋色、
またはまばゆい白色光であったり、虹の七色であったり、
その時々に色々な変化があります。

イスラエルの上に
旧約の出エジプト記を見ますと、
神の栄光はイスラエルの上に現れました。
「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。
雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
 〜中略〜
すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の
雲があり、夜は雲の中に火があった。
彼らの旅路において常にそうであった」(出エジプト40:34〜38)。
 このシェキーナーがどんな色であったかはわかりませんが、夜には雲の中に火があったのを見ると燃える炎のような色であったことがわかります。それと同時に夜は旅路を照らす光となり、砂漠の寒気をしのぐための暖かい火となりました。しかし、昼には灼熱の太陽の光と熱とを遮る雲のおおいとなって保護してくださいました。  また、神の人モーセがシナイ山に登って十戒の石の板を与えられ、それをたずさえて下りてきた時に、モーセの顔の皮が、光を放っていましたので、人々は畏れて近づくことができませんでした。これは主の御霊がモーセに宿ってシェキーナーを放っていたからです。

主イエスの上に
 新約では、主イエス様の上にシェキーナーが現われたことが記されています。山上の変貌です。

 「これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、
  ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
  祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに
  白く輝いた」(ルカ9:28〜29)。

 マタイによる福音書では、「その顔は日のように輝き、その衣は光の
ように白くなった」(マタイ17:2)とあります。ですからこの時の栄光は白色光のまばゆいシェキーナーであったことがわかります。父なる神様の霊の臨在のしるしです。モーセとエリヤが現れて、エルサレムでイエス様がお受けになる苦難と十字架の死についてお話ししました。そしてイエス様と弟子たちはこれから向かって行く苦難と死の中にも神の臨在と勝利があることを、あらかじめ教えられたのです。

ソ連の迫害の中で
 迫害が起こる時に事態をコントロールするのは私たちではなく神様
です。主は信頼する人を守るために介入され、奇跡が起こり、拷問は
効き目を失います。共産主義時代の白ロシアで一人の少女が暖房の
ない冷たい独房のコンクリートの床の上に幾晩も寝かされたことがありました。冬であったにもかかわらず、身にまとう外套すらありません。
しかし、彼女はこう証ししています。「氷の墓場のような独房に横たわる時、私は毎晩神の御手に自分を委ねました。すると奇跡が起こったのです。暖かい空気の流れが一晩中私をつつみ、おかげで毎晩ぐっすり眠る事ができました」と。

中国の迫害の中で
 中国でも家の教会の指導者たちは多くの迫害を受けて来ましたが、
ある小さな教会の長老が許可なく集会をしたかどで逮捕され、めちゃくちゃに殴られて監獄にぶちこまれました。数日後、彼は釈放されて、自分のために日夜祈り続けてくれていた教会の人々の前で証ししました。
「私が240回目の殴打を受けた時、石で打たれたステパノのことを思い出しました。その瞬間ステパノと同じ事を体験したのです。目を上げると、主イエス様のお姿が見えました。私は言葉にあらわせないほど励まされました。ずたずたに切り裂かれた私の背中の上に手がおかれたように
感じ、痛みは消え去りました。その上、主は私が数日後には釈放されると告げて下さいました」と。

今も私たちの上に
 この主の臨在のシェキーナーは、今もしばしば私たちの集まりや個人の生活の中に現れています。礼拝のときに黄金色のシェキーナーが
講壇に現れ、暖かい風が吹いてくるのを経験した人がいます。家庭集会で病気のいやしを祈った時、胃病がいやされ燃える炎のような緋色の
栄光が見えた人もいます。
 イスラエルのカルメル山で預言者の祈祷会があった時、にわか雨と
突然の寒さの中で主の火がくだって皆暖かくなり、大きな讃美と感謝の祈りがわきおこりました。
 かつて、私がバイクで衝突事故をおこし、外科医院に入院した時にも、夜の病室の白い壁の前に主が臨在されて、透明な白色光の輪が波紋を描いて主のお顔から遠くへとひろがって行きました。「すばらしいな」と
思って見とれていると、右から左へと芝居のどんちょうのように七色の虹のカーテンが引かれて行き、壁全体を被いました。
 このように栄光の霊は主の臨在のしるしとして今も昔と同じように私たちの上に現れて、なぐさめと平安と力と喜びとを与えてくださいます。
苦難を恐れず、つねに主に依り頼んで生きて行こうではありませんか。
                                       アーメン

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