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  探求心

   Tペテロ1:10〜12
   箴言2:1〜6
   マタイ13:10〜17                皆川尚一牧師
この救い
  この救については、あなたがたに対する恵みのことを
  預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
  彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、
  キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、
  それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。
  そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、
  あなたがたのための奉仕であることを示された。
  それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて
  福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、
  今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、
  これは、御使たちも、うかがい見たいと
  願っている事である (Iペテロ1章10〜12節)。

 ここに「この救い」とありますが、救いとは一体何でしょうか?
 それは、第8節〜9節に記されているとおり、
「イエス・キリストを信じた結果あたえられる魂の救い」です。
 この救いは、救いについての教理や神学を勉強した結果得られるものではありません。聖書は教理や神学の本ではなく、神様が起こされた
事件についてのニュースを記している本です。
だから、昔から「聖書は新聞を読むように読め。新聞は聖書を読むように読め」と言われているのです。
 旧約聖書に出てくる神の預言者たちは、神様が人類を罪と死と滅びの中から救い出すために、天から送られるキリストについての預言を記すことと、すでに記された預言を尋ね求め、つぶさに調べました。それは
預言者たちの内側にキリストの霊が宿っていて、一つ一つ教えました。
そして、特にキリストの苦難と死と、それに続く栄光(複数形)即ち、復活・昇天・聖霊の降臨などについての預言を与えました。預言者たちは、
それが、いつ、だれによって、どんな場合に起るのかをつぶさに調べて、後世の人々のために書き記したのです。
 今、それをかいつまんで列挙してみましょう。
キリストはヘブライ語でメシヤと言います。

1. メシヤは女(エバの子孫)から生まれ、蛇(サタン)の頭を砕く。
   蛇はメシヤのかかとに噛み付く(創世記3:15)。
2. メシヤはダビデの家系から出る(サム下7:16)(エレミヤ23:5〜6)。
3. メシヤは処女から生まれる男の子(イザヤ7:14)。
4. メシヤはベツレヘムに生まれる(ミカ5:2)。
5. メシヤの働きの場はガリラヤ、いやしの奇跡を行い、
   たとえで教える。
6. メシヤはロバの子に乗ってエルサレムに入り、
   銀貨30枚で友によって敵の手に売り渡される。
   彼はほふり場に引かれる羊のように引いて行かれる。
7. メシヤは罪をきよめる一つの泉を開いて悪人と共に殺される。
8. メシヤの衣はくじ引きにされる。
   彼は苦しみの絶頂で酢を飲まされる。
   その手と足は刺し貫かれるが、骨は一本も折られない。
9. 彼は3日の間墓にいるが、死人の中からよみがえり、天に昇り、
   神の右の座に着く。

 以上は、メシヤ・イエスが来られる何世紀も前に記されましたが、
あたかもイエス様のご生涯とみわざの目撃者の記事を読むようで、
実に詳しいニュースであることに驚嘆させられるではありませんか。
 紀元第1世紀の人々は、この預言のとおりに生まれ、生き、死に、
そして復活・昇天されたイエス様を見てキリストと信じたのです。また、
彼らは聖霊で満たされた使徒たち、信徒たちの口を通して語られる福音(グッド・ニュース)を聴いて、肉眼では見えないキリストを信じることができました。そして救われました。天使たちもキリストの救いが人々の中に実現して行く有様を天からのぞきこんで、うれしくて、うれしくてたまらない大事件、ビッグ・ニュースとして天界にふれまわったことでしょう。

探求心
 預言者たちが、メシヤについての預言を並々ならぬ探求心をもって
調べたわけですから、私たちも聖書の記事を読む時に、並々ならぬ
探求心をもって読む必要があります。それは新聞記事を読むように、
読めば良いのです。
「神様は、私のために何を起こされたのだろうか、確かめてみよう」
という意気ごみで調べるのです。使徒行伝にはその実例があります。

 「ここ(ベレア)にいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直で
あって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、
日々聖書を調べていた。そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった」
(使徒17:11〜12)。

 つまり、新約の福音を確かめるのに、旧約の福音(預言)を
調べたわけです。
 今一つの実例をお話ししましょう。
それは私の友人シュロモ・ヒザックが救われた事件です。
 * ヒザックはエルサレムに住む生粋のユダヤ人です。彼はユダヤ人の伝統と律法を一生懸命勉強しましたが、魂の飢え渇きは満たされませんでした。それで旧約聖書の約束が真実かどうか、聖書を読んで捜し求めました。ある日叔父からもらった旧約と新約が一つになった聖書のページ゙の間にイザヤ書53章のパンフレットがはさんであるのを見ました。その見出しに、「預言者は誰のことについて話しているのか」と書いて
ありました。ヒザックはこの質問の答えを見つけるために聖書を探求し、ここかしこと読み漁り、自問自答し、ついにイエスこそメシヤであるとの
確信に到達したのです。しかし、彼の心の中には何の変化も感じられませんでした。多くの困難な事にぶつかり、イエスが救い主だというのは、悪魔のささやきではないかと思ったり、色々迷う間に、自分の疑いの心はイスラエル民族が神に背いた頑固な不信仰と同じであることに気づきました。「おお、アブラハム・イサク・ヤコブの神よ、私に真理を教え、正しい道を歩ませて下さい。」と祈りますと、心にすばらしい恵みと平安が宿りました。そして、叔父と共にある集会に出席したある夜、彼は自分の心を全くイエス様に差し出して言いました、「イエス様、私のすべての罪を赦し、私の心の中においで下さい」と。そしたら心に喜びと平安が満ちあふれ、イエス・キリストの血潮で魂が洗いきよめられ、すべての罪が赦されたという確信が与えられました。それは、ユダヤ教の会堂では決して受けられなかったものでした。更に、奥さんのショシャナもキリストを求めはじめました。彼女はいきなり主をほめたたえはじめました。
それは主イエス様が彼女にある幻を見せたからです。彼女は自分の胸からころがり出た自分の心を見ました。それは罪に汚れた心でした。
それをイエス様がご自身の血潮で洗いきよめて下さり、雪よりも白い心になるの見ました。彼女はすっかり自分の心を主に献げ、なおも、主を
讃美し続けました。彼女の人生は全く変えられたのです。

イエスに引きこまれる
 このように、真理を求め、救いを求めて聖書を探求して行けば、イエス様に出会います。イエス様の十字架の死、復活のいのちを見いだし、
罪の赦しと魂の救いとを願えば与えられます。それは向こうから来るのです。私たちはイエス様に引きこまれます。そして、生き返ります。
 * 私は17歳の頃、自分の罪と心の汚れに悩んで、夜も眠れず、不安と自殺の霊に取りつかれました。しかし、ある時、時間が止まり、17年の人生をパノラマのように見せられて、このままで死んだら大変だと感じて自殺をやめました。もうクリスチャンになってからのことです。ある日曜日の朝、教会の礼拝の中で、説教しておられる牧師先生の前に、十字架にかけられたままのイエス様が現れました。透明な感じなのに鮮明な幻でした。一瞬のうちにキリストの愛と赦しと生命が私の中に流れ込んで、
私はイエス様の胸に引きこまれていました。喜びのあまり、なりふりかまわず声をあげて泣いて、泣いて感謝しました。
 これが魂の救いです。十字架を通して差し出されるイエスの愛の中であなたはすでに死んでおり、イエス様と共に甦っているのです。 アーメン

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