| 2002年2月10日の礼拝説教 |
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水による裁き
Uペテロ3:1〜7 詩篇1:1〜6 マタイ24:35〜39 皆川尚一牧師 |
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反復の価値 愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙を あなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、 あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。 それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、 あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、 思い出させるためである。まず次のことを知るべきである。 終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、 自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。 先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の 初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。 すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。 古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、 また、水によって成ったのであるが、 その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、 不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、 そのまま保たれているのである(1〜7節)。 使徒ペテロは反復の価値を認めていました。わたしたちがもし、ある ことを心の中に滲み込ませようと思うならば、何度も繰り返し語ることが必要です。お伽話というのは、子供を寝かしつけるときに話す物語ですが、そういう性格を持っています。例えば、「桃太郎」の話があります。 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。〜」 わたしは子供の頃に母親から、寝物語にこの話を聞いたのですが、 毎晩、同じ話を飽きもせず聞きました。語り口が違ってはいけないのです。何もかも同じ話であることに価値があり、それを聞いているうちに心が休まり、いつの間にか眠りに入ります。そういう風にして憶えたお伽話を、今度は自分の子に話して聞かせます。わたしの子供たちも同じように寝物語をせがんで、「桃太郎の話、聞かせて」と言って、毎晩楽しそうに聞いて眠りに落ちました。民話をお伽話として毎晩反復して語る事に より真理が心に滲みこんで行くのです。「たかがお伽話になんの真理がありますか?」と笑う人もいるでしょう。そういう人は韓国人の鄭友治と いう人が書いた「聖書と民話」という本を読まれると良いでしょう。鄭さんは日本の民話に優れた価値を見出しました。日本人が最低限持っていなくてはならない聖書の基礎知識が民話の中にある。それを日本人は 子供の頃からお伽話という形で魂の奥底に刻みこまれて来た。 日本の 民話や神話が聖書よりも優れているのは、聖書が「ああしろ、 こうするな」と指図するのに対して、ただ「道」を示して本人の選択にまかせる所にあると説いています。これは本当のことだと思います。桃太郎の話が戦争中は鬼畜米英をやっつける話に利用されたりして、お伽話は 危険だと言われることもありましたが、それは解釈する人の自由であって本来の意味ではありません。聖書も本来は道を示して本人の選択にまかせる本なのです。それがいつの間にか「ああしろ、こうするな」という 指図の本だと解釈されて来たのです。とにかく、真理は反復することに よって、心の奥底に刻みつけられるものであります。 * むかし、東京の富士見町教会で受洗した人が、何年かして大阪に転勤になり、10年後に再び東京に帰って礼拝に出席しました。 すると植村正久牧師が、10年前と同じくキリストの十字架による贖いを 説いていました。その人は同じ真理を10年間くりかえし語り続けている ことに深い感動を覚えたと語っていました。 記憶を呼びさませ 「これらの手紙によって記憶を呼び起こし、〜中略〜 思い出させるためである」(1〜2節)。 わたしたちは忘れやすい者です。過去に学んだことを繰り返し思い出す必要があります。例えば旧約聖書の中に記されていることがらで、 ノアの時代に起った大洪水の話や、預言者たちを通して語られた数々のキリスト到来の預言、そして福音書を通して報じられたキリスト・イエスの到来、さらに使徒たちが語ったキリストの救いのメッセージに関して、 これらをバラバラにではなく、ワンセットで思い出すことが必要です。 どんな場合でも、イエス・キリスト様をその中心において記憶を呼び覚まして行くならば、全人類・全宇宙の救いを完成するために再び来ることを約束されたことを疑う余地はなくなるでしょう。 水による裁き 「終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、 変ってはいない』と言うであろう」(3〜4節)。 テレビに出てくる大槻教授のように全てを合理的に解釈して、霊現象のようなものは実在しないといってあざける人々が沢山出てくるのが終末 時代の特徴なのだということです。ですから神様の約束というものだって当てにはならないとするのです。 しかし、神様の言が実現したという事が過去の歴史的事実としてあったのは否定できません。これは神の啓示の書である聖書に記されている記憶です。 「古い昔に天が存在し、地は神の言によって、 水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、 その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった」 (5〜6節)。 これは旧約聖書の創世記第1章、第6章から9章にかけて記されていることです。すべての存在の基は、創造主である神様です。そして神の在す天界が初めに存在し、それが元になって地が造られます。しかも、地は水がもとになり、水によって成った。その時の状態は混沌とした水の水分が雲か霧、あるいは水蒸気のように立ちこめている有様であったらしいのです(創世記1:1〜2)。 その混沌とした水蒸気の立ちこめた暗闇の中に、「光あれ!」という 重々しい神の言がなりひびいて光が発動した。それから水が生じ、 水と水が別れ、陸が出てくる、それは一つ一つ神の言によって生じたのです。だから神の言によって秩序のある宇宙、天体、地球、地球上の 全てのものが生じたので、あたかもそれらは永久不滅のものに見えますが、実は神の言によって再び元の混沌にもどされる可能性もあり得るわけです。 歴史上の実例としては、ノアの洪水があります。あの時にも神は、人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることがいつも悪いことばかりであるのを見られ、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。 彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」と ノアに言われました。この神の言によって、天地がひっくり返るような 大洪水が起ってノアの家族8名以外の人々は全滅したのです。 つまり、神の御言には真実と力があります。神の言は必ずその通りに成るのです。この事を歴史の教訓としてわたしたち人類は学ばなければなりません。 * 似たような歴史上の実例は、いくつもあります。例えばギリシャの 古代哲学者プラトンは、アトランティス大陸の滅亡を記します。 また、インドのナーカル碑文には、太平洋にあったムー大陸の滅亡を 記します。また、日本の超古代史「竹内文書」にも地球上に大異変が 何回も起こり、二つの大陸が水の底に沈み、人類が全滅したという記録があります。その原因は、どの場合でもノアの時代と同じように人間が 神を畏れず、人の道を乱し、暴虐を地に満たしたので、 神の裁きが下ったのでありました。 ですから、現代に生きているわたしたちも、神の言が発せられるならば、この世界もまた、滅びる可能性があるのだという事を認める必要が あります。そして、今度は水よりも、もっと徹底的に火によって滅ぼされるために、御言によって保存されていることを覚えましょう。 アーメン |
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