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                                            2007/7/29の礼拝説教
  金銀に優るもの

   箴言16:16
   使徒3:1〜10
   マタイ13:44                   皆川尚一牧師
金銀に優るもの
  「知恵を得るのは金を得るのに優る、
  悟りを得るのは銀を得るよりも望ましい」
  (箴言16:16) 。


  ここでは、金や銀の価値を否定しているわけではありません。それはそれでこの世で役に立つ物です。しかし、世の中には金銀をどんなに
積み上げても買えないほど尊いものがあります。それが神様の知恵で
あり、それを悟る力であります。イエス様は一心に求めれば与えられる
と教えて下さいました。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。〜中略〜このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ11:9〜13)。
 つまり、知恵も悟りも神の聖霊の力なのです。わたしたちは何が自分を救ってくれるのかを良く知らなくても、一心に求めるならば素晴らしいチャンスが与えられるでしょう。その実例として、使徒行伝第3章の「美しの門の乞食」に目を留めたいと思います。

美しの門の乞食
  「さて、ペテロとヨハネとが、午後3時の祈りのときに宮に上ろうとしていると、生まれながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。彼はペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。ペテロとヨハネとは彼を
じっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。こう言って彼の右手を取って起こしてやると、足とくるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出し
た。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に
宮に入って行った」(使徒3:1〜8)。

  (1) この出来事の中で重要なことは、お金の施しを求めた乞食に対し
     て、お金ではなく病気の足の癒しを与えたことです。お金をもらう
     だけでしたら、何か買って食べることは出来ますが、働くことが出
     来ないから、また乞食をするほかありません。しかし、筋無力症
     の足が治れば自分で働いて食べることが出来ます。もう乞食を
     しなくても良くなりました。
  (2) 次に、もっと重要なことは、生まれつきの難病で絶望的だった40
     歳の男を神様が癒して下さったということを彼が知ったことです。
     造り主である神様に不可能はないと知ったのです。この知恵と
     知識と悟りとは、自分が経験して初めて本当に分かったのです。
  (3) そして、神様の愛と救いはナザレ人イエス・キリストを通して来た
     ことを悟ったのです。ペテロは「イエスによる信仰が、彼をあなた
     がた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである」(使徒3:
     16)
と言いました。「イエスによる信仰」とは、彼の信仰を通して
     イエス様の燃えるような愛と力が彼を癒したという意味です。
     このイエス様の御愛こそ金銀に優る宝です。

慰めの時
 そして、神の救いの知恵はもっと深いのです。ペテロは言いました。
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に
立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。このイエスは神が聖なる預言者の口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった」 (使徒3:19〜21)。
 
  つまり、イエス様を信じて病気が治ったことは、有難いことであり、大切な知識ですが、もっと重要なことは、神の子・救い主イエス様の降臨は
偉大なる神の宇宙救済計画の第一歩であり、前兆であり、先触れであるということです。父なる神様は、イエス様を信じて罪を赦され、神に義と
され、救われるという「慰めの時」をイエス様の降臨によって人類にお与えになりました。この救いを受けた人は、更に、万物更新の希望と信仰に生きる人になるでしょう。では、万物更新とは何でしょうか。

万物更新の希望
 「万物更新」とは、「万物復興」とも、「万人救済」とも呼ばれます。
ギリシャ語では「アポカタスタシス」と言います。神の創造された調和ある宇宙は、堕落天使サタン(悪魔)の反逆と、人間の反逆によって、無秩序な呪われた世界となり、世界的な戦争、大気汚染、環境破壊、疫病の流行、天変地異等を引き起こしました。そこで、神様は万物救済計画を立て、万物更新の時を定めて、メシア(キリスト)・イエス様を救い主・裁き主としてお立てになったのです。このご計画に従って、万物更新の前に「慰めの時」を定めて、御子イエス様を救い主として地上に送られました。
それはすべての人がイエス様を信じて悔い改め、救われるためです。
  「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない」(Tテモテ2:4〜6)。
  この「すべての人が救われる」という信仰は、「万人救済説」として知られ、古代教会では主イエス様と使徒たちから受け継がれて、第2〜3世紀のアレキサンドリアのオリゲネス、クレメンスたちが強調した共通の
信仰でした。しかし、その200年後に、第4〜5世紀の神学者・ヒッポの主教アウグスティヌスが「万人救済」を否定し、「選ばれた者だけの救い」を強調したので、それがカトリック・正教会・プロテスタント共通の教理となりました。
  なぜ、「万人救済」が否定されたかの理由は、
  (1)それを認めると神の選択の自由が認められなくなる。
  (2)人の一生は現世限りであって、神に選ばれた人々だけがイエス様を信じて救われるのである。もし、陰府において救われる人々がいたとしても、彼らは予め神に選ばれた人々である、ということです。
  しかし、オリゲネスは人間の転生を信じていましたから、神様の忍耐と寛容によって神に背いた全ての人々が何度もこの世に生まれ変ってくる事により、最後には皆救われると信じたのです。
  それは《ローマ8:18〜30》にも記されています。かいつまんで説明しますと、「被造物は切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでうめいている。神の子にふさわしく贖い救われた人類が出現すれば、被造物全体も滅んだ状態から救われて、神の栄光を現わす自由な存在に生まれ変わるからである。だから、被造物のうめき声は新しい人類が生まれ出るための産みの苦しみなのだ。そして、御霊の最初の実を持つクリスチャンたちも究極の救いの完成を待ち望みつつ、産みの苦しみを続けて
いるのだ」という内容です。後で直接読んで見て下さい。
  しかし、アウグスティヌスは「人の輪廻転生」を否定して、これを異端としました。そして、古代の大神学者オリゲネスを異端者としました。これは死んだ人の名誉を剥奪する欠席裁判です。その結果「万物更新」の信仰は異端として排撃されてしまったのです。けれども、聖書には人の輪廻転生を否定する御言葉はありません。わたしたちは御言葉に従って信仰と希望と愛に生きることが大切です。

  そこで最初にもどりまして、「金銀に優るもの」とは、万物更新という神の救済計画が進行中であること、その証し、又は「しるし」としてイエス・
キリストの救いがあるという神の知恵と知識とを悟ることです。そのためには聖霊のお導きを切に求めて、イエス様を信じ、神の国の完成を信じて生きて行こうではありませんか。                  アーメン

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