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                                            2007/9/23の礼拝説教
  賢い奴隷

   箴言17:2
   エペソ6:5〜8
   マタイ25:14〜30                皆川尚一牧師
奴隷の身分
  「賢い僕は身持ちの悪いむすこを治め、
  かつ、その兄弟たちの中にあって、
  資産の分け前を獲る」
  (箴言17:2)。


  ここに、「僕(しもべ)」とあるのは、ヘブライ語で「エベド」と言います。
古代社会では、家族・親族・雇い人・寄留の異邦人の他に、奴隷がおりました。古代エジプト・メソポタミヤ・シュメール・インド・シナ大陸から日本にかけても広く奴隷制度が行われていました。
  奴隷になる原因は、(1)戦争に負けて捕虜となる場合、(2)親・兄弟が年少者を売る場合、(3)自発的な身売りの場合、(4)借財の質として売られる場合、(5)奴隷の子である場合、(6)拉致・誘拐された場合等が挙げられます。いずれにしても自由を奪われて、主人が生殺与奪の
権利を持つわけです。非常に惨めな境遇であり、身分であると言わねばなりません。  
  しかし、奴隷であっても「賢い奴隷」は主人や家族に信頼されて、主人の家庭の中で高い地位を与えられる場合が、しばしばありました。今日の聖句はそのことを物語っているのです。  
  「賢い奴隷は身持ちの悪い息子を治める」の「身持ちの悪い(メビッシュ)」は「恥をもたらす」とも訳せます。「賢い主人は家の恥になるような息子よりも、賢い奴隷に家を継がせる方が良いと考える」という意味でしょ
う。あとから、その実例を挙げますが、イスラエル人の場合はモーセの律法の中において、神様が奴隷制度を定めています。その奴隷がイスラエル人であるならば、虐待してはならない。7年毎の「贖いの年(ヨベルの年)」には解放することを命じています。しかし、異邦人であれば50年目の「大いなる贖いの年(大ヨベル年)に解放することが出来るとしていますが、大体において終身奴隷でした。また、女奴隷を主人が妻とする場合や、娘を奴隷の妻とする場合には、奴隷の身分から解放されました。
また、主人が奴隷の体に傷を負わせた場合も、解放されました。

エリエゼルとヨセフ
  例えば、アブラハムは神様の約束の息子がなかなか生まれないので、ダマスコ出身の奴隷エリエゼル(「神は助け」の意)を後継ぎの養子としました(創世記15章2節)。しかし、神様は「この者ではなく、あなたの実子を後継ぎとすべきです」と言われました。後にアブラハム100才の時に
実子イサクが生まれ、イサクが40才になった時、アブラハムはエリエゼルを故郷のハランに派遣して、イサクのために相応しい嫁を見つけさせます(創世記24章)。これを読めばエリエゼルがいかに信仰厚い、信頼出来る人物であるかが良くわかるでしよう。多分彼はイサクと共に財産を分与される立場にあったであろうと思われます。

  このほかに、イサクの孫、ヤコブの子であるヨセフも17才の時、兄たちに妬まれて、奴隷としてイシマエル人に売られ、イシマエル人はヨセフをエジプト王の侍衛長の家に奴隷として売りました。しかし、侍衛長はヨセフを信頼して家の支配人としました。このあと、ヨセフは濡れ衣を着せられて奴隷以下の犯罪者として地下の牢獄につながれますが、30才の時にエジプト王に見出されて、一躍エジプトを救う副王の地位にまで挙げられました。これは、ヨセフがどんな逆境にもめげず、神様の救いを信じ、神様の御言葉と啓示が実現する日を信じて、置かれた境遇で最善を尽した結果であると言えるでしょう。

黒人奴隷の父ブーカー
  それについて、わたしはアメリカの黒人奴隷の父と慕われたブーカー・ワシントンのお話を紹介したいと思います。
  ブーカー・ワシントンは1856年ヴァージニア州フランクリン村の近くで、黒人奴隷の子として奴隷村の丸太小屋に生まれました。実父は白人であったとも言われますが、彼はその名も顔も知りませんでした。そして、母や兄から可愛がられて成長しました。
  ブーカーが7才の時、1863年1月に有名なアブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言が発表されました。それを期に彼らは自由になって、マルデン村に移住し、製塩場や炭鉱で働きました。やがて、ブーカーも炭鉱で働きましたが、彼は向学心が強く、母にねだってウェブスターの辞書を手に入れてアルファベットから勉強を始めました。ある日炭鉱の中で鉱夫たちがヴァージニア州ハンプトンにあるハンプトン黒人学校の話をしていました。それは貧乏人でも成績さえ良ければ、入学でき、産業教育も受けられるという話でした。
  ブーカーは「その学校に入りたいなあ」と思って、なお熱心に働いていたとき、炭鉱と製塩場の持ち主のラフナー家に召使として雇われることになりました。ラフナー夫人は黒人たちの間では、やかまし屋で悪評の高い人でしたが、ブーカーの見たところでは、清潔好きで、物ごとを順序良く、敏捷にすること、正直に働くことを求め、不整頓とずぼらが大嫌いな人だと分りました。彼は忍耐と努力を尽くして16才まで無事に勤め上げ、その間に清潔、整頓、勤勉の習慣を身につけました。
  1872年、16才のベーカーは学力もつき、いくらかの貯金も出来たので、待望のハンプトン黒人学校に入学することが出来ました。その入学試験というのは、学力テストではなく、不潔な散らかった家の掃除をきちんとすることでした。彼はラフナー家で鍛えられていましたから、何の苦もなくその課題をマスターしたので、試験官のマッキー女史は大喜びで入学を許可しました。そして、3年間の学生生活の間、マッキー女史は何くれとなく彼の面倒を見てくれました。
  この学校はハワイのマウイ島の宣教師の息子であったアームストロング将軍が黒人の救済と自立のために創立したもので、教育方針は三つでした。「いかに愛すべきか」、「いかに労働すべきか」、「いかに他人を救うべきか」の三大目標に基いて、自給独立の精神を与えることでした。
  ここでベーカーが学んだことを列挙すると、
 (1) 秩序のある生活
 (2) 教師の無私誠実な態度を見習う
 (3) 家畜を飼育することで思いやりある心を養う
 (4) 聖書を読む
 (5) 労働の尊さを学ぶ
 (6) アームストロング校長の感化
  こうして1875年に19才で黒人学校を卒業したベーカーは、故郷のマルデンに帰って、そこに新しく黒人学校を開設しました。更に、1881年には、アラバマ州のタスケギーに新設される黒人学校から招かれて校長となり、1915年に59才で死ぬまで、黒人教育の発展のために献身したのです。校舎66棟、教師63名、黒人たちに大工、レンガ造り、農業、牧畜などの技術を授け、立派な生産者となれるようにする教育です。このように、奴隷の境遇にめげないで、神様を信じ、その導きに従った生涯はわたしたちに賢い奴隷の生き方を教えてくれるのであります。

良い忠実な奴隷
  最後に、《マタイ25:14〜30》をご覧下さい。
ここでイエス様は有名な「タラントの譬」を語っておられます。わたしたちはイエス様が再臨されるまで、この世で活用すべき賜物を主人イエス様から預けられているのです。つまり、わたしたちはイエス様の奴隷なのです。 「奴隷なんて嫌だなあ」と思わないで下さい。なぜなら、主は僕を信用して莫大なお金を預けて下さったからです。1タラントと言えば、現代
日本の1兆円くらいでしようか。それぞれ僕の能力に応じて、1兆円、2兆円、5兆円を預けられたのです。これをどう活用するかをベーカーさんのように熱心に忠実に善良な心で考え、努力するならば、人生の終りには預かったお金が倍加しているかも知れません。わたしたちが天国でイエス様にお会いする日には、「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」とほめられるでしょう。皆さん、自分の目で見える業績は当てになりません。神様はすべてをご存知です。今までの努力が報いられる日が必ず来ることを信じて、精一杯生きて行こうではありませんか。
                                      アーメン

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