| 2005/05/01の礼拝説教 |
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人生の基
箴言3:19〜20 ローマ1:20〜23 ルカ10:21 皆川尚一牧師 |
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主は知恵をもって地の基をすえ、 悟りをもって天を定められた。 その知識によって海はわきいで、 雲は露をそそぐ。(箴言3:19〜20) 美しき天然 今日のみ言葉は神様のお創りになった天然自然の世界の美しさ、神様の知恵のすばらしさを誉めたたえています。ここでは主なる神様は偉大な建築師であって、大地を揺るぎなき基として据え、驚くべき知恵をもって壮大な天のド一ムを張られた。神様の不思議な知識によって大地の底から海が湧き出でる。また大空を行く雲から大地を潤す恵みの露が降り注ぐようにされたと歌い上げています。 これに似た歌として、日本では珍しく、明治33年に竹原羽衣作詞、 田中穂積作曲の「美しき天然」という讃美歌のような歌がつくられ、 全国の女学生の愛唱歌になりました。 1.空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々面白き この天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや 2.春は桜のあや衣 秋は紅葉の唐錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布 見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや 3.朝に起こる雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴れたる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げ人々珍しき この天然の建築を かく広大に建てたもう 神の御業の尊しや 人生の基 これらの歌は、ただ天然の美しさを歌うだけでなく、この霊妙神秘な 世界をお創りになった神様の全知全能の愛と力とが、わたしたちの人生の揺るがぬ基盤なのだということを歌っているのではないでしょうか。 4月25日に突発した尼崎JR脱線事故は死者100人以上という大事故となりました。事故で亡くなった娘さんのお父さんが、「わたしはJRを 赦さない。これが運命だというのか。娘を生かして返せ!」と憤激しておられましたが、本当に痛ましい出来事でした。何のための人生であったのか、いくら考えても分からないと思います。ただ神様だけがご存知で ある。ヨブのように、「神与え、神取りたもう。神の御名は誉むべきかな」と言って受け入れる人は幸いです。なぜなら、わたしたちの人生は死を もって閉じられるわけではないからです。神様によって与えられたこの世の生は、やがて神様によって次の生へと移ります。死はより良き生への入り口だからです。この世で与えられた使命や課題をなし終えて、さなぎが蝶になるように、永遠の生命へと甦って行くのです。これを知れば不条理な運命をも甘受していけるでしょう。いや、それ以上に死者の冥福を 神様に祈り、自分の人生を神様のみ心に沿って築き上げて行くことが 出来るでしょう。 何のための人生か わたしはこの二ヶ月ほどにわたって、「続会津士魂」という早乙女貢の本を読んで来ました。忙しい中で少しずつ小刻みに読み進んで、八巻のうち、七巻まで読んできました。幕末の頃、天皇守護のために忠誠を尽くした会津藩が、薩摩・長州の謀略によって朝敵として滅ぼされた末、生き残った藩士とその家族たちは本州北端の下北半島に流されたのです。いくら耕しても稲も麦も生えない、そうした過酷な運命の中で彼らはどのように生き、そして死んでいったのかを知りたいと思いました。彼らの 過酷な運命に対する態度は幾つかに別けられます、絶望して死ぬ人、 その土地でどこまでも希望をもって生きていこうとする人、脱出して他の土地で生きる人、薩長に対し復讐をするためだけに生きて行く人。 それらの中で、復讐のためだけに生きることの空しさを感じました。 過去の怨念に取りつかれて、過去だけにいきるのは、死んでいるのと 同じです。過去を振り向かず、未来を開拓して行こうとする人に、希望があります。例えば、会津藩士の中で井深梶之助は横浜に出て、ブラウン宣教師から英語を学び、キリスト教に出会い、クリスチャンとなり、横浜 キリスト公会の初代牧師となり、明治学院院長となりました。このように生きる基盤を神様に見出す人は幸せです。幼子のように天のお父様に寄り頼む人は幸いです。 われ信ず また、皆さん、わたしたちの死後の人生の基もイエス・キリスト様です。使徒信条の冒頭の一句は、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはその独り子、われらの主イエス・キリストを信ず」です。 わたしはかって国際とりなしの会の代表であったデンマーク人の牧師から、死後の人間の霊魂の救いを信じるのは異端であると非難された時、彼に質問しました。「あなたは使徒信条を信じますか?」と。すると彼は 答えました、「なんだそんな古臭いもの。なんの意味もない。信仰はいつも新しいんだ」。そこでわたしは言いました。「話しにならない」。 それで会話は打ち切られ、彼らは「神を恐れよ!」と叫んで部屋から出て行きました。わたしも「神を恐れよ!」と言って別れました。 使徒信条の中には、神の独り子イエス様が死後の霊魂を救うために 十字架の死を遂げた後、黄泉にまで降って行かれたことが告白されています。その根拠は冒頭の「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはその独り子、われらの主イエス・キリストを信ず」に置かれているのです。天地の創造主である神様はご自身の中から、御子により、御子にあって、御子にかたどって人間の霊魂を生み出して下さいました。 ですから、神様こそ私たちの生存の基盤であり、人生の基なのです。 神様にこそ、死後の霊魂の永遠に生きる希望があります。なぜなら、 神様はわたしたちを愛していてくださいますから、一人も失いたくないのです。イエス様は99匹の羊を牧場に置いて、迷いでた一匹の羊を捜して見付けだす羊飼いの譬えを話されました。あの羊飼いがイエス様であり、まよう羊があなたなのです。天国につれもどすまでは、この世においても、黄泉にまでも、追いかけて下さる神様の愛が人生の基です。 どうか、この真の神様を人生の基として生きて行きましょう。 アーメン |
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