| 2008/3/2の礼拝説教 |
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神の愛顧 箴言22:1 Tペテロ5:6〜7 マタイ6:31〜34 皆川尚一牧師 |
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名誉を尊ぶ 「令名は大いなる富にまさり、 恩恵は銀や金よりも良い」 (箴言22:1) 。 ここで「令名」と訳されているのは、ヘブライ語の(シェム)で「名」という意味です。「大いなる富にまさる名」というのは、「悪名」ではなくて、「令名」、すなわち「良い評判」、「名声」のことで、名誉とも結びついています。聖書は名誉、名声を伴う「名」を大切にしています。 名を挙げること 3月は卒業式の季節ですが、昔の卒業式の歌に「仰げば尊し」というのがありますね。 1.仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも はや幾年 思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば 2.互いに睦みし 日ごろの恩 別るる後にも やよ忘るな 身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば この歌の中で、「身を立て名をあげることに励めよ」と呼びかけているのは、儒教の教えに基いているのです。孔子の作といわれる「孝経」の中には、 「身を立て道を行い、名を後世に掲げて、もって父母を顕すは孝の終わりなり」と教えられています。「社会的、経済的に独立し、人の道に適った立派な生き方を守り、名声を後の世まで残して、父母の名を挙げることが最上の親孝行である」という意味です。 ユダヤ人は父親の名を頭につけて「ヨナの子シモン」(バル・ヨナ・シモン)というように呼びますから、自分の名が挙げられると父親の名も挙げられることになります。 わたしが以前、イスラエル訪問旅行をした時に、飛行機の中で入国手続きの書類に父親の名を頭につけて「明治(めいじ)の子尚一(ひさかず)」と記入させられました。この時ほど天国に行った父と自分とのつながりをハッキリと自覚させられたことはありませんでした。 自分が正しい、善い生き方をすれば、父母の名誉となり、不正な、悪い生き方をすれば、父母の不名誉となるわけです。これはただの名誉欲ではありません。 及慈雨の宋江 シナの水滸伝の中に及慈雨(きゅうじう)の宋江(そうこう)という人物が出てきます。宋江の実家は宋家村にあって北宋の皇帝の血縁につながる由緒ある家柄でした。宋江は科挙(かきょ)と呼ばれる官吏登用試験に合格してその名を挙げ、更に県庁の書記官に任じられて更に名を挙げましたから、彼の父の名も挙がりました。その上、宋江は大層情け深い人柄でしたから、困っている人を見ると捨てて置けず、持ち合わせの金銀を恵んだり、何かと親切にするので、「及慈雨」(日照りで雨がほしい時にすかさず恵みの雨を注ぐ)の「宋江」と世間から呼ばれたのです。彼の物惜しみしない慈善家としての評判は広く国中に鳴りひびき、及慈雨の宋江と言えば、みんなが尊敬したのでした。それによって父の名も高く挙げられました。 しかし、その情け深さが仇となる事件が起りました。県庁のある町でふと見かけた気の毒な母娘にお金を恵んだのがきっかけで、その母娘を守ってやるために、娘を役所の近くに囲って妾としました。ところがふとしたことから、その妾を過って殺してしまったので、彼は宋家村の老父の家に逃げ帰りました。老父は自慢の息子が犯した過ちを聞いて失望落胆し、「誉れ高い息子が家門の恥となった」と言って嘆きながら死んで行きます。家門の誉れも家屋敷も財産も全部失われて、宋江は兄と二人で逃亡の旅に出ますが、巡り巡ってついに梁山泊に身を投ずることになるのです。これも、今日の聖句の実例の一つでしょう。 西郷南州遺訓 また、「仰げば尊し」の2番の1行目に「互に睦みし日ごろの恩」とありますが、これも、今日の箴言の2行目「恩恵は銀や金よりも良い」と対応します。「恩恵(ヘン)」というヘブライ語は「好意」とか「愛顧」とかを意味するのですが、師弟間の特別親しい愛情だけでなく、友情をも「恩」と表現するのは何故でしょうか。 「西郷南州遺訓」の中にこういう言葉があります。 「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心をもて人を愛するなり、人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」。 西郷隆盛はこれを実行した人です。明治維新の戦いで庄内藩は官軍に抵抗して敗れました。城明け渡しの時に、若い藩主は大広間に白装束で切腹の用意をして坐っており、ふすまの蔭では50人の武士が槍を構えて、殿様が切腹させられたら西郷を殺して自分たちも死のうと待ち構えていました。そこへ官軍の総司令官西郷隆盛が藁草履を履いて、下男ひとりを連れてのっそりと現われました。そしてあわてて、「恭順の意を表されたのに、何でその上、命を捨てる必要がありましょうか」と言って切腹を押しとどめました。また、武装解除の必要は無用とし、オロシャ国との戦いに備えてくれれば良いので、武器の目録だけもらって帰りましょうと言いました。「では、せめてどこか小さな藩に国替えでも」と申し出ると、「いや、いや、人間は住み慣れた所を離れるほど不幸なことはありません。どうか、このままで」と答えました。この温情に殿様初め一同は涙を流して感激しました。後に西郷隆盛の「征韓論」が明治政府に容れられず、鹿児島に帰って隠居したとき、庄内藩の殿様や家老、家来たち数十人は鹿児島まで訪ねて来て西郷に教えを乞いました。そして明治10年の西南戦争で西郷が戦死した後、家老の筆記した記録に基いて、庄内から「南州翁遺訓」が刊行されたのであります。 神の愛顧 西郷隆盛が「天」と言ったのは、天地創造の神様のことです。西郷は神様の愛に基いて人と人とが愛し合うことは天の道であると考えました。 神様の愛は「愛顧(あいこ)」と言えるほど、ひとりびとりに対して細やかな行き届いた親切な愛です。42年前、わたしに聖霊が降った時からイエス様は「尚一、お前を愛してるよ!」と呼びかけてくれて、「わたしにだけ、えこひいきしているのではないか」と思えるほどの熱い愛情を注いで下さっています。でも、これは皆さんに対しても同じなのです。 《Tペテロ5:6〜7》を見て下さい。 「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」。 これが「神の愛顧」です。あなたはこの世に来る前から、すでに天で愛されており、見守られていたのです。そしてこの世に来てからも、ずうーっと見守られています。あなたがイエス・キリストを信じて救われるのは、予め天で決まっているのです。一切をキリストにお委ねして踏み出そうではありませんか。 アーメン 次回予告 08,3,9 「格差社会」 |
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