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                                          2005/05/08の礼拝説教
  安眠の妙薬

   箴言3:21〜26
   ピリピ4:4〜7
   マタイ8:23〜27                 皆川尚一牧師
わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、
それをあなたの目から離してはならない。
それはあなたの魂の命となり あなたの首の飾りとなる。
こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、
あなたの足はつまずくことがない。
あなたは座しているとき、恐れることはなく、
伏すとき、あなたの眠りはここちよい。
あなたはにわかに起る恐慌を恐れることなく、
悪しき者の滅びが来ても、それを恐れることはない。
これは、主があなたの信頼する者であり、
あなたの足を守って、 わなに捕われさせられないからである。
                          (箴言3:21〜26)

知恵と慎み
 「わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、
 それをあなたの目から離してはならない。
 それはあなたの魂の命となり
 あなたの首の飾りとなる。
 こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、
 あなたの足はつまずくことがない」(21〜23節)

とありますが、「確かな知恵」というのは、「万事において神様のお計らいがある」という認識を言います。「慎み」(メジマー)とは「だからとり越し苦労をやめて、神様の御手に自らをゆだねる」という態度を言います。このゆだねるという態度は、自分の考えの及びもつかない大きな調和と愛を、あなたとあなたの周りにもたらすのです。それは難しいことではありません。自分の中の調和を崩すものを手放し、大宇宙の息吹に合わせて、大いなるものに、自分をゆだねていくのです。それはあなたの内なる魂に命を与え、ダイヤモンドや金銀のネックレスで身を飾るように、あなたを素晴らしい人物に成長させてくれるでしょう。なぜなら、あなたは神様
に愛されているからです。

安眠の妙薬
 「あなたは座しているとき、恐れることはなく、
 伏すとき、あなたの眠りはここちよい」(24節)。

 この対句で、「座しているとき」とは昼間目を覚ましているときで、
「伏しているとき」とは夜眠っているときのことです。昼も夜も、大いなる
御手に抱かれている安らぎがあるので、恐れずにいられるし、夜もぐっすり眠れるというのです。つまり、神様の愛が安眠の妙薬であります。

 ところで神様の愛は、親の愛として子供たちに注がれてきます。わたしは母から子守唄を聞いてぐっすり眠ることが出来たのを憶えています。

坊やはよい子だ
  ねんねしな ねんねのお守は どこへいた あの山こえて
  里へいた 里のおみやに なにもろた
  でんでん太鼓に しょうの笛
  おきゃがり小法師に 犬張子

 この歌を聞くと親の愛に包まれて、安らかに眠れました。そこでわたしは自分の子供たち四人を寝かしつけるときに、添い寝して子守唄を歌ってやりました。

 この日本古来の歌のほかに、「ゆりかごの歌」があります。

  ゆりかごの歌を カナリヤがうたうよ、
  ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
  ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ
  ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

  ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
  ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

 このほかに今一つ、マルチン・ルタ一の子守唄があります。

神のお子のイエスさまは
  ねむりたもうおとなしく
  かいばおけの中にても
  うたぬわらの上にても

  うまがないて目がさめて
  わらいたもうイエスさまよ
  あしたのあさ起きるまで
  とこのそばにおりたまえ

 子守唄というのは子供の心をやさしく、ふんわりと親の愛、神様の愛で包んでくれるので、「一緒にいてくれるんだなあ」という安心感でぐっすり眠れるのでしょう。この安らぎを知っている人は突然の恐慌の中でも
守られます。

突然の恐慌にも守られる
  「あなたはにわかに起る恐慌を 恐れることなく、
  悪しき者の滅びが来ても、 それを恐れることはない。
  これは、主があなたの信頼する者であり、 あなたの足を守って、
  わなに捕われさせられないからである」 (25〜26節)。

 この実例は、さきほど朗読した《マタイ8:23〜27》であります。

 イエス様が弟子たちとカペナウムから舟に乗ってガダラ人の地に行こうとされたときのことです。突然海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになりました。ところがイエス様はぐっすり眠っておられました。
ガリラヤ湖の暴風は前後左右から吹くだけでなく、真上からも吹き下ろすので、いわゆる狂乱怒涛にもまれて舟はもみくちゃになるのだそうです。それでもイエス様が眠っておられたのは、非常に疲れておいでになったためと、同時に、天の父様のふところに抱かれた深い安らぎのおかげでしょう。どんな恐慌の中でも守られているという本物の信頼感があったからだと思われます。弟子たちに揺り起こされたイエス様は、起き上がって嵐に向かい、「黙れ、静まれ!」と命じられると、風も波も直ちに静まり
ました。

 今一つの実例が、わたしの洗礼を受けた母教会にありました。

 日本キリスト教会横須賀教会五十年史の中に、「暴風雨の難」という
のがあります。明治二十八年七月二十二日夜半十一時頃、大暴風雨のために会堂背後の裏山の崖が崩壊しました。土砂は先ず牧師舘を呑み込み、会堂を破壊しつつ押し出して、倒壊寸前の有様としました。
そのとき牧師舘には島田正七伝道師が眠っていたのですが、彼の寝床の前後左右の畳が一斉に立ち上がって函型となり、彼はその中に囲まれたまま前方に押し出されました。真っ暗な中に手を伸ばして前後を探ると、前の畳が倒れてそこから逃れ出ることが出来たと記されています。

 このように神様の御愛は安眠の妙薬であり、いかなる時にも
わたしたちを守って下さる不思議な力であります。
どうか、主が共にいます平安を常に覚えて生きて行きましょう。 アーメン

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