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                                          2005/06/19の礼拝説教
  人と争うな

   箴言3:29〜30
   ローマ12:18〜21
   ルカ6:27〜36                  皆川尚一牧師
あなたの隣り人がかたわらに安らかにすんでいる時、
これに向かって、悪を計ってはならない。
もし人があなたに悪を行ったのでなければ、
ゆえなく、これと争ってはならない(箴言3:29〜30)。

隣人に悪を計るな
 「あなたの隣り人がかたわらに安らかにすんでいる時、
  これに向かって、悪を計ってはならない」(29節)。

 世の中には自分のそばで安らかに暮らしている人に対して悪を計る人がいます。例えば、創世記第4章に出てくるカインです。彼は弟のアベルが神様に愛されているのを妬んで、畑に誘い出して殺しました。

 また、自分の夫に多額の生命保険をかけて殺し、その保険金を受け
取ろうとした妻もいます。

 家族とは、お互いを見守り、助け合い、信頼することによって成り立つものですから、サタンはその中に悪意・悪欲をしのびこませて愛の結びつきを壊そうとするのです。そういう悪意や、
悪い感情や、欲望が心に感じられたならば、急いでイエス様に祈って
清めていだたく必要があるでしょう。

人と争うな
 次に、「もし人があなたに悪を行ったのでなければ、
  ゆえなく、これと争ってはならない」(30節)とあります。

 自分に対して何の悪をも行わない人々にたいして、正当な理由もなく
争いを起こすことは、支那の諺にも「平地に波瀾を起こす」と戒められています。

 この実例は、スペイン人フランシスコ・ピサロであります。ピサロは1509年に中央アメリカのパナマに侵略戦争の根拠地をおきました。彼は南方に途方もなく豊かな国があると聞き、探検した結果、インカ帝国を
発見しました。そこで、彼はいったん帰国してスペイン王カルロス一世
から南方王国征服の権利を保障され、1530年初めに部下180人を
率いてペル一に向かいました。実際にインカ帝国攻撃が始まったのは
1532年のことです。当時のインカ文化はヨ一ロッパをはるかに越える
ほど高度のものでしたが、武器については、はるかに劣っていました。
そこでピサロが大砲や、鉄砲で攻撃をはじめると、わずか30分でインカ兵2000人を殺し、インカ皇帝アタワルパを捕虜にしました。囚われの身となった皇帝は、莫大な金銀と引き換えにその身の釈放を求めました。そこでピサロは各地から金銀を集めて延べ棒に作り変えました。その額は現在の何兆円にも値するものといわれますが、ピサロはその五分の一をスペイン王に送り、残りはピサロとその部下たちで分配しました。
彼はその上で皇帝アタワルパを処刑したのです。しかし、やがてピサロも同僚のスペイン人によって暗殺されてしまうことになります。蒔いた種を刈り取ったわけです。

 上記の箴言には、「ゆえなく、争うな」とありますが、「ゆえなく」とは、
「正当な理由なく」ということでしょう。しかし、何が正当であるかは、
時代により、場合によって、いくらでも変わります。

 例えば、帝国主義国家たちが勝手にきめた国際法では、「自分たち
白人の国々は独立国で、日本や支那は半独立国で、その他の国々は
皆、国家とは呼べない野蛮国だから、勝手に征服して切り取っても良い」ということになっていました。それが彼らの正義だったのです。

 今の世の中でもそうです。争う理由はいくらでも自分に都合よく
つけられるものです。

争いを超える道
 ですから、イエスさまは争いを超える道を教えられました。
ルカによる福音書第6章を見てください。

「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎むものに親切に
せよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取るものには下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたが望む
ことを、人々にもそのとおりにせよ。〜、〜、あなたがたの父なる神が
慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ」(ルカ6:27〜36)。

 これは、一見不可能な教えのようですけれども、この争いの世の中では、争いを超えて、父なる神様の子に相応しく心の平和を保つ道は、
これしかありません。これを破ったから神の罰を受けるとか、地獄に落ちるとか、イエス様は人を脅しているわけではないのです。世の中に害を
及ぼすような悪いことを平気で行う人々の中で、善をもって悪に勝つためには、聖霊による勇気と知恵とが必要です。そのためには暴力を用いず、しかし、毅然として善を貫くことが必要です。

 昔、足利尊氏が楠木正成に「あなたはなぜ負けると分かっている戦さをしたのですか」と訊ね たところ、正成は、「愛する者のために死することは負けとは言わぬものなり」と答えたそうです。

 わたしたちも争いを避けるからといって、負け犬気分になってはならないと思います。反って、毅然として「善をもって悪に勝て」(ローマ12:21)とのみことばを実践することを祈り求めましょう。それが争いを超える道
です。                                 アーメン

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