| 2005/06/26の礼拝説教 |
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呪いか祝福か
箴言3:31〜33 Tペテロ3:8〜12 マタイ5:5 皆川尚一牧師 |
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暴虐な人を、うらやんではならない。 そのすべての道を選んではならない。 よこしまな者は主に憎まれるからである。 しかし、正しい者は主に信任される。 主の、のろいは悪しき者の家にある。 しかし、正しい人のすまいは主に恵まれる (箴言3:31〜33)。 よこしまな人 「暴虐な人を、うらやんではならない。 そのすべての道を選んではならない。 よこしまな者は主に憎まれるからである」(31〜32節) とありますが、今日は先週の説教の中でわたしがお話ししたインカ帝国の侵略者ピサロが南米ペルーのリマで暗殺された日です。16世紀の スペインにはコンキスタドレス(スペインの征服者)と呼ばれるスペイン人が相次いで現れました。その中で一番有名なのはメキシコのアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスです。コルテスはサラマンカ大学で法律を学び、コロンブスが発見できなかった黄金の国を手に入れることを目指してメキシコに渡りました。そして黄金の国アステカ帝国を滅ぼすために500人の兵士と14門の大砲と16頭の馬を率いてアステカ帝国に 向かいました。アステカの皇帝モンテスマは彼らを見て、伝説の白蛇神ケツアルコアトルの再来と信じて丁重に彼らを迎え入れました。しかし、彼らは悪魔の化身だったのです。皇帝は捕虜となって、やがて処刑され、代わりにコルテスが統治者になって国を奪い取り、アステカ人を奴隷としました。こうして莫大な黄金がコルテスの所有となったのですが、 6年後にはコルテスは政敵から悪政を非難されて失脚します。 しかしながら、暴虐の人コルテスをうらやんで、暴虐の人ピサロが 起ち、似たようなやり口でインカ帝国の富と権力を奪いました。そして、 ちょうど今から464年前の今日、同僚の部下に暗殺されたのです。 このように、「よこしまな人は主に憎まれる」とは本当のことです。 かれら侵略者は、名目上はクリスチャンでしたが、実際的には、神様の敵となったと言えるでしょう。 神の友となる 次に、「しかし、正しい者は主に信任される」(32節)とあります。 「正しい者」とは、ヘブライ語で「ヤーシャール」といい、「心の真っ直ぐな人」という意味です。「よこしまな人」の反対です。それは神様に心が真っ直ぐ通じている人のことですから、主に「信任される」(ト一ド)わけです。 そこで、ある聖書学者は「正しき者は主の友となる」と訳しています。 その実例として、聖書には、「アブラハムが神の友と呼ばれた」とあります(ヤコブ2:23節)。アブラハムは心の真っ直ぐな人でしたから神様から愛されて親しく語り合う特権をあたえられたのです。これが最高の幸せではないでしょうか。わたしたちの中にも、神様の優しい愛のみことばを 聞いたり、愛の御霊で満たされたり、祝福の虹を見たりした人々が いますね。神様と仲良しになる人は最高の祝福を味わいます。 次に、33節に進みましょう。 呪いか祝福か 「主の、のろいは悪しき者の家にある。 しかし、正しい人のすまいは主に恵まれる」(33節)。 ここで重要なことは、主なる神様のみこころが人の幸、不幸を左右することです。モ一セの十戒の第2条には、「主を憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、主を愛し、主の戒めを守る者には、恵みを施して、千代に至るであろう」(出エジプト記20:5〜6)といわれています。悪い思い、悪い言動は主を憎むことになり、善い思い、善い言動は主を愛することになるのです。 これについて、中国(支那)の易経では「積善の家には必ず余慶(よけい)あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」といわれています。その意味は、「善を積み重ねた家には、子々孫々の後にいたるまで、善い事があり、悪を積み重ねた家には、子々孫々の後までも悪いことがある」ということです。「この世には因果応報の原理が働いているから、そうなるのだ」という思想でしょう。しかし、聖書の方は、もっとはっきりしています。神様の摂理によってそうなるのであります。 その一つの実例としては、小泉八雲と妻セツのことを、取り上げて見たいと思います。小泉八雲は日本に帰化する前の名前をラフカディオ・ハーンといいました。父はチャールズ・ハーンというアイルランド出身の英国陸軍軍医で、母はギリシャ人ローザ・カシマチといい、父がギリシャ駐屯中に結婚して息子のハーンが生まれました。アイルランドに帰国してから、ハーン4歳のときに母は別れてギリシャに帰り、父が再婚し、ハーンは 色々な苦難を乗り越えつつアメリカ各地で新聞記者として働き、やがて 1980(明治23)年日本に渡来し、松江中学校に英語教師として赴任しました。そのとき40歳でした。そして、翌年小泉セツと結婚します。セツの生い立ちは、ご親藩松平出羽守の出雲藩で番頭をつとめる三百石どりの小泉家にうまれ、日本的な教養を豊かに身につけた女性でした。 しかし、彼女も明治維新による士族の没落により、貧乏のどん底を潜り抜けてきた人でした。ハーンと結婚してからは言葉がつうじないために 多くの苦労をしましたが自分で会話辞書をつくり、夫ハーンに日本の 伝統的な物語や、歌舞音曲を伝えて大きな影響を与えました。ハーンは日本と妻とを愛し、46歳のとき、日本に帰化して小泉八雲と名乗るのです。彼は熊本第五高等学校や、東京帝国大学で英文学をおしえましたが、日本の文化を海外に紹介するために、「心」とか、「怪談」とか多くの本を出版しました。彼が54歳でこの世を去ったあとも、セツはなお28年生きて満64歳で他界しました。彼らの四人の子供たち(三男一女)は、 それぞれに恵まれた人生を送りました。それは、神様の恵みがもたらした大きな祝福であるといえるでしょう。このみことばの通りです。 アーメン |
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