| 2009/1/18の礼拝説教 |
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愛の忠告 箴言27:5〜6 ガラテヤ2:11〜14 マタイ26:47〜50 皆川尚一牧師 |
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真実の愛 5 あからさまに戒めるのは、 ひそかに愛するのにまさる。 6 愛する者が傷つけるのは、まことからであり、 あだの口づけするのは偽りからである (箴言27:5〜6) 。 ここには、一口に「愛」と言っても、真実の愛と偽りの愛があるのだと 書いてあります。 真実の愛とは、自分の愛する人を生かそうとする愛であります。例えば、ペテロという弟子はイエス様が「わたしはエルサレムに行く。そして ユダヤ人の指導者たちから多くの苦しみを受けて殺され、そして3日目に甦る」と言われたとき、イエス様をわきに引き寄せて諫めました、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と。するとイエス様は振り向いてペテロに言われました、「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と。ペテロの愛は真実でしたが、人間的な情愛であり、神様の心を知らなかったのです。しかし、それにしても「サタン呼ばわりはひどすぎる。愛がない」と言う人がいるかも知れません。でも、そうではないのです。イエス様は6日後にペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人を連れて高い山に登り、そこで神様からの教えを受けさせるのです。ペテロはそこで自分の間違いに気づかされます。 偽りの愛 偽りの愛とは、「あだの口づけするのは偽りからである」(第6節)にある通り、イエス様の弟子のユダの愛でしょう。《マタイ26:47〜50》を見てください。 イエス様が深夜ゲッセマネの園でのお祈りを終えたとき、イエス様を逮捕する祭司長やローマ兵たちの先頭に立って、ユダが近づいて来ました。真っ暗なオリブ園を照らす松明の火に照らした出されたイエス様に寄り添ったユダは、いかにも親しそうなそぶりで「先生、こんばんは」と言って、イエス様の右の頬に口づけしました。それを合図にイエス様を売り渡したのです。「友よ、なんのために来たのか」とイエス様はユダに言われました。 パウロの忠告 次に、《ガラテヤ2:11〜14》を見て下さい。かいつまんで説明すると、 人種差別の問題があったのです。シリアのアンテオケ教会は割りと国際的な教会でユダヤ人のほか、ギリシャ人、ローマ人、アフリカ人などが集まっていました。元来ユダヤ人は強い選民意識を持っていて、ユダヤ人だけが神様から選ばれた聖なる人々で、他の民族は汚れた異邦人であると差別していました。ですから同じ席につくことも、一緒に食事することも禁止していました。しかし、原理主義者だったペテロは、聖霊が異邦人にも下ったので、神様は人種差別をなさらないことがわかり、原理主義を捨てました。ですからペテロはアンテオケ教会に来ると異邦人たちと同席して食事するのが当たり前になっていたのです。 ところがエルサレム教会から原理主義のユダヤ人クリスチャンが来ると、彼らの強い差別感情に気兼ねして、ペテロは原理主義のユダヤ人と同席して、異邦人から離れて坐りました。そこでパウロは「全ての人を救う神の福音」に反する行動だとして、公の席でペテロを非難しました。これは愛の忠告でありました。愛の忠告は、原則としては公衆の面前を避けて、個人的に一対一でおこなった方が良いと思いますが、場合によっては公にすべきときもあります。いずれにしても人を生かす愛の心が必要であります。そこで今一つの例を挙げて終わりたいと思います。 賢い長老の忠告 有名な先輩牧師の田崎健作先生がある教会で主任牧師をしておられたときのことです。その教会に若い伝道師を迎えました。 ところがその伝道師は信者の家の二階に住んでいたにもかかわらず、掃除が大嫌いで、いつも万年床、部屋はゴミだらけ、そして朝寝坊。 田崎先生が再三注意しても馬耳東風。そこで、ついに教会の最古参長老のところに行ってその事情を話し、彼に辞職してもらうように勧めてほしいと頼みました。 ところが長老の言うのに、「朝寝坊するのは青年の特権ですよ。私どものような年になると、早く目が覚めて困ります。朝寝のできるあいだは、 じゅうぶん朝寝さしておきなさい。また部屋の掃除などは、よい奥さんをもてば、きれいにしてくれますよ。男が掃除ばかりしているようでは、先の見込みがありません」。田崎先生はギャフンとなりました。 ところが十日ばかりたつと、その伝道師は朝早くから掃除をしています。これは変だと思いました。彼が牧師先生宅に朝の食事に来たときに聞いてみました、「どうした今日は、せっかくのお天気が雨降りになるぞ」と。 彼が笑いながら説明するのに、あの長老が毎朝早く花の開いた朝顔の鉢を持ってきて、「あなたもひとりものだから淋しいでしょう。毎朝、朝顔の花を持ってきて家を飾ってあげましょう。あなたのことだから、水もやらずに花を枯らしてしまうかも知れない。毎朝代わりを持ってきますよ。なんときれいな部屋だな。私が掃除してあげましょう」。こう言うと聖書を読み、お祈りをして帰って行かれるのです。これには伝道師の先生も閉口して、ついにこの悪習慣をやめてしまいました。 その翌朝、その長老が田崎先生宅を訪れて、笑いながら、「愛と忍耐のこうやく、きかぬものなし。先生、短気をおこしてはだめですよ」と語って白髪の老翁は帰って行ったそうです。亀の甲より、年の功ですね。 わたしたちが時と場合に応じて良い忠告をすることができるように、 愛と忍耐とをもって祈り求めて行こうではありませんか。 アーメン 次回予告 09.1.25 飢える幸せ(箴言27:7) |
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