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                                            2009/6/28の礼拝説教
  有益な働き

   箴言28:19〜20
   ピレモン11
   ヨハネ15:1〜8                  皆川尚一牧師
有益か無益か
  19 自分の田地を耕す者は食糧に飽き、
    無益な事に従う者は貧乏に飽きる。
  20 忠実な人は多くの祝福を得る、
    急いで富を得ようとする者は罰を免れない
    (箴言28:19〜20)。


  今日の説教のテーマは「有益な働き」ですが、何が有益で、何が無益かをこのみ言葉から知ることが出来ます。
  先ず、「有益な働き」とは、自分の田地を毎日コツコツと耕して忠実に農業を営むことです。そういう忠実な人は神様からも人々からも多くの祝福を受けることが出来ます。
  しかし、地味な農業をコツコツ忠実にやってもつまらない、都会に行って大金を儲けて、派手な暮らしがしたいと思う人は、突然都会に出てきてもそんな仕事に就くことは出来ませんから、ばくち、賭け事、ギャンブル、株等に手を出して、急いで富を得ようとします。それは無益な働きなので、罰を受けて飽きるほどの貧乏にあえぐことになるというのです。

オネシモの話
  次に、新約聖書の「ピレモンへの手紙」をご覧下さい。あまり短い手紙なので誰も気にとめないような手紙です。これは使徒パウロがローマの獄中から小アジア(今のトルコ)のコロサイに住んでいるピレモンというクリスチャンに宛てたものです。その用件をかいつまんで説明すれば、
《ピレモンの家で働いていた奴隷のオネシモは、ある日奴隷の境遇に耐え切れなくなって、主人のお金を盗んで逃亡しました。そして、オネシモは地中海岸の港に出て船でローマ帝国の首都ローマに辿り着きました。 大都会ローマに身を潜める逃亡奴隷の多くは、まともな職業に就けず、物乞いや盗みをして生きていくほかなかったのです。オネシモもそうでした。しかし、彼はある日ひとりのクリスチャン(もしかしたら同郷人テキコ)に出会い、その人の紹介で使徒パウロに出会いました。彼はパウロを通してキリストの福音を聞き、イエス・キリストを信じて立派なクリスチャンになり、パウロの身の廻りの世話をするなど、良い助け手として働きました。でも、パウロはピレモンの同意なしにオネシモを手許に置くことは心苦しかったので、テキコがコロサイに帰ることになったのを機会に、オネシモをピレモンの許に送り届ける決心をしました。この手紙でパウロは、オネシモを逃亡奴隷として罰しないで、同じクリスチャの兄弟として迎えてほしい。「彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも有益な者になった。彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である」(11節)と書いています。》
元来「オネシモ」とはギリシャ語で「有益な者」という意味です。

ケン・ジョセフ
  次に、ケン・ジョセフとアガペ・ハウスの話をします。1950年ケニー・ジョセフというアッシリア系アメリカ人の宣教師が日本に布教にきて、大泉学園で特色のある宣教活動をしました。詳しいことは省きますが、その長男が「ケン」こと「ケンイチ・ジョセフ」です。ケンは日本に生まれ18歳まで日本で育ったので普通に日本語をしゃべり、日本人としての文化・生活習慣を身につけていて、「日本人だ」と思っていました。しかし、日本の小学校時代にいじめを受けて東久留米市のクリスチャン・アカデミーに転校しました。それから、カリフォルニアのバイオラ大学に入学しました。彼と一緒に3人の友達も入学しました。ところが留学して直ぐに彼らが困ったのは、アメリカでの生活です。銀行からお金を引き出す仕方がわからない。海苔や煎餅を食べると匂いがいやだと寮で嫌われる。シャワーでは物足りなくてお風呂に入ろうとして失敗する。アメリカ人の顔をした日本人は人に迷惑ばかりかける無益な人間として落ち込んだそうです。
  しかしある日、一本の電話がロサンゼルス空港から掛かって来ました。それは大泉学園の自転車屋の息子が空港に到着して困ったことが起こったから助けてほしいというのです。その人を寮に泊めたら問題になって、次々と場所を変えて一軒家を借りて「アガペ・ハウス」という名をつけました。それは、そこまで行く間に困っている留学生から次々と助けを求められて人数が増えたからです。いくら親切にしても「ありがとう」一つ言ってくれるひとがいない。みな当たり前のように親切を受けて、逆に文句を言う人が多い。それで「もう、嫌だ!」と投げ出したくなったとき、見知らぬ人が大量の食糧を届けてくれて、「やめないで、頑張ってください」と手紙が添えてありました。また、ある友達は言いました、「ケン、君は思い違いしてるんじゃないか。「アガペ」とはギリシャ語で「無償の愛」を意味しているんだ。お礼など期待しないでやり続けるのがアガペじゃないのか」と。それからは、泣き言を言わずに、自分たちの苦い経験をもとにして多くの留学生を助けました。そして、日本にもアガペ・ハウスを作って外国から日本に来る人々を助けました。ケンさんは1989年のサンフランシスコ大地震の時も、1995年の阪神淡路大震災の時も、真っ先に現地に入って救援活動をしました。まさに「有益な働き人」になったのです。彼はただ神の霊に駆り立てられるままに身を委ねて生きているだけなのです。

葡萄の枝
  イエス様は《ヨハネ15:1〜5》で次のように言われます。
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに稔らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことが出来ないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことが出来ない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」と。  
  オネシモさんも、ケン・ジョセフさんもイエス様というぶどうの幹にしっかりつながったからこそ良い働きができました。わたしたちもそのようにイエ
ス様としっかり結びついて働こうではありませんか。         アーメン
次回予告 09.7.5  同情と偏見(箴言28:21)

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