| 2009/9/6の礼拝説教 |
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誠実とへつらい 箴言29:5 使徒12:20〜23 ヨハネ19:8〜16 皆川尚一牧師 |
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へつらいとは何か 「その隣り人にへつらう者は、 彼の足の前に網を張る (箴言29:5) 。 今日のみ言葉の「へつらう者」とは、ヘブライ語で(ゲベル・マハリック)と言います。(ゲベル=男・マハリック=へつらう)という意味です。「へつらう」だけでしたら(ハラク)と言います。 「へつらい」は聖書の中では卑しいこと、不義なることとされています。 それは、「利のために人にへつらう者である」(ユダの手紙16節)と書いてありますように、自分の利益を求めて相手を褒めそやしたり、相手を良い気持にさせて、わなにかけるためにおべんちゃらを言うことです。 ダリヨス王の失敗 その実例として、旧約聖書《ダニエル書第6章》に出てくるダリヨス王のことを取り上げたいと思います。メデアの王ダリヨスはバビロニア帝国を滅ぼして、その国を受け継ぎました。そして全国を治めるために120人の総督を立て、その上に3人の総監を立てました。ユダヤ人ダニエルはその3人の中のひとりでした。ところがダニエルの中には神の霊が宿っていたのですべての総督や総監にまさっていました。そこで、王様はダニエルを総理大臣として立てることにしました。 すると、これを妬んだ総督や総監たちは、ダニエルを罪に陥れるための口実を探しましたが、何の罪も見出せなかったので、ダニエルを陥れるために新しい禁令を作ることを王様に求めました。その禁令というのは、 「今から30日の間、ただ王様だけに願い事をさせ、それに背いて神様や人間に願い事をする者があれば、その人を獅子の穴に投げ入れる」 という禁令です。それは王様を神様より偉大な方として崇めることになりますので、王にへつらう禁令でした。王様はその禁令が王様とダニエルとをわなにかけるためだということに気づかないで、持ち上げられて良い気持になってその禁令に署名しました。 ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階の部屋の、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前から行っていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神に祈り、かつ感謝しました。 それを見た悪人たちは、「しめた、それっ!」とばかり王様の所に行って、ダニエルを訴えました。王様はかれらの悪巧みにやっと気がつきましたが、時すでに遅く、ダニエルを助けることが出来ません。やむを得ずダニエルを獅子の穴に投げ込ませました。 その夜、王様はダニエルを気遣って一睡も出来ず、翌朝早く獅子の穴に駆けつけて見ると、ダニエルは神様に守られて無事でいました。そこでダリヨス王はダニエルを穴から引き上げさせ、代わりに悪人共をその妻子もろとも獅子の穴に投げ込ませました。すると獅子たちは彼らを喰い尽くしてしまいました。 イエス様とパリサイ人 次に、前回の説教で取り上げた《マタイ22:15〜22》にイエス様をわなに掛けようとしたバリサイ人たちがへつらいの言葉を述べたことを思い出して下さい。 「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」 これに対してイエス様は「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか」と言って、かれらのへつらいのわなには掛かりませんでした。 パリサイ人ニコデモ 次に、同じパリサイ人であっても、ニコデモのように誠実な人々がいました。《ヨハネ3:1〜10》を見て下さい。 ニコデモはユダヤ人の指導者で、パリサイ人のひとりでした。彼はある晩ひとりでイエス様を訪問して、教えを乞いました。するとイエス様は喜んで懇切丁寧に「人が新しく生まれる道」を説いて聞かせました。それは、もちろん、イエス様が誠実なお方であったからです。 イエス様とピラト イエス様が誠実なお方であったことは、ポンテオ・ビラトとの問答の中にも現われています。《ヨハネ19:8〜16》を見て下さい。 ピラトが「あなたは、もともと、何処から来たのか?」と質問したのに対して、イエス様は沈黙しておられました。ピラトがいらだって「何も答えないのか。わたしにはあなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」と言うと、イエス様は答えられました、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対して何の権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」と。この「上から」という意味は「神様から」ということです。「神様から権威を授けられた者だけがイエス様を裁くことが出来るのだ」と聞いて、ピラトは自分が神様から裁かれる立場にいることを感じました。しかし、ピラトは結局、神様を畏れず、ユダヤ人の反乱を恐れてイエス様に死刑の判決を下してしまったのです。それは、ユダヤ人の指導者と民衆にへつらったことになります。 誠実とへつらい 結論的に言えば、わたしたちは神様に対して誠実であろうとすることを大切にしたいと思います。人間はその時々の利害・損得によって人を恐れ、人に良く思われたいと思ったり、人を陥れたいと思ったりして誠実さを失い、人にへつらうのです。人を相手とせず、神様を相手として行け ば、だれにもへつらわず、誠実に生きられるでしょう。その時大切なことは、人の名誉を守り、その人を生かす愛が必要だということを忘れない ように致しましょう。 アーメン 次回予告 09.8.13 喜び歌え(箴言29:6) |
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