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                                           2009/11/22の礼拝説教
  高ぶりと謙遜

   箴言29:23
   Tペテロ5:5
   マタイ23:11〜12               皆川尚一牧師
ネブカデネザルの例
  人の高ぶりはその人を低くし、  
  心にへりくだる者は誉を得る    
  (箴言29:23)。


  この聖句は心の問題を取り上げています。これに少し言葉を付け加えますと、《心が高ぶっている人は偉そうにしていても、心ある人からは卑しく見える。或いは、卑しめられるようになる。しかし、立派な人であっても心にへりくだる人は、威張らないでも、尊く見える。或いは、誉を与えられるようになる》という意味でしょう。  

  旧約聖書でこれにぴったりの実例は、《ダニエル書第4章》のバビロンの王ネブカデネザルです。ネブカデネザルはある晩不思議な夢を見ました。それは地の中央に一本の木があって、ぐんぐん成長して強くなり、天に達するほどの高さになりました。その実は豊かですべての生き物がそれによって養われていました。すると、夢の中で天使が現われて言いました、『この木を切り倒し、その根の切り株だけを残して鉄と青銅の縄をかけて野の若草の中に置き、獣の心が与えられて獣たちと共に七つの時を過ごさせよ』と。バビロンの知者のうち誰もその夢の解き明かしの出来る者はおりませんでしたが、預言者ダニエルだけが正しい解き明かしをしました。「その木はネブカデネザル王様です。王の王にいます天地創造の神様は、あなたが自分より上の支配者は無いかのように驕り高ぶっているのをご覧になり、あなたを王座から追放して野の獣と共に暮らすようにせよと命じられました。しかし、あなたが、天にまことの支配者が在すことを悟ったならば元の王座にもどし、国を確保されるでしょう。それゆえ、王よ、あなたはわたしの勧告を受け入れて、義を行って罪を離れ、虐げられている者を憐れんで、罪を離れなさい」と。しかし、王は悔い改めず、この勧告を無視して1年が過ぎました。以下に《ダニエル4:28〜37》を引用します。
  「この事は皆ネブカデネザル王に臨んだ。十二ヶ月を経て後、王がバビロンの王宮の屋上を歩いていたとき、王は自ら言った、『この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか』。その言葉がなお王の口にあるうちに、天から声がくだって言った、『ネブカデネザル王よ、あなたに告げる。国はあなたを離れ去った。あなたは、追われて世の人を離れ野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして七つの時を経てついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るだろう』。この言葉は、ただちにネブカデネザルに成就した。彼は追われて世の人を離れ、牛のように草を食い、その身は天からくだる露にぬれ、ついにその毛は、わしの羽のようになり、その爪は鳥の爪のようになった。  
  こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。
   その主権は永遠の主権、
   その国は世々かぎりなく、
   地に住む民はすべて無き者のように思われ、
   天の衆群にも、
   地に住む民にも、
   彼はその意のままに事を行われる。
   だれも彼の手をおさえて
   『あなたは何をするのか』と言いうる者はない」。  
  この時わたしの理性は自分に帰り、またわが国の光栄のために、わが尊厳と光輝とが、わたしに帰った。わが大臣、わが貴族もきて、わたしを求め、わたしは国の上に堅く立って、前にもまさって大いなる者となった。 そこでわれネブカデネザルは、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる」。
   

  ネブカデネザル王はへりくだって天の神様をあがめ、人の心になったので、王座にもどることを許され、前よりも高い誉れを受けることが出来ました。つまり高ぶりは狂気であり、謙虚こそ正気のしるしだと言えます。

ある牧師の話
  もう何十年も前のことですが、大阪の大きな教会の牧師先生が東京で開かれた大会に来て、後輩のわたしに言いました、「ぼくの教会も大きくなったのでねえ、望んで出来ないことは何も無いよ」と。「えっ! そんなこと言って大丈夫かなあ?」とわたしは心の中で思いましたが、黙っていました。すると大会が終わって大阪に帰られた後、その先生は脳溢血で倒れて、この世を去られました。
それゆえ、新約聖書《Tペテロ5:5》に、こうあります、
「同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神はたかぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである」と。若い人は若気の至りでたかぶるし、年寄りは自分の功績を鼻にかけて高ぶりやすいのです。

イエス様の謙虚     
  イエス様はこう教えられました。《マタイ23:11〜12》を見て下さい。
「そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。  
  イエス様はこう教えられただけでなく、それを実行されたのです。これについては、《ピリピ2:6〜11》をご覧下さい。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。    

  これはクリスマスの出来事であります。いと高き神の独り子イエス様がこの汚れた罪の世に降って来て肉体をとり、いと低く小さき赤ちゃんとなられたこと。聖母マリア様やヨセフ様の保護と養いを受ける立場に尊い身を置かれたことです。そればかりでなく、ヘロデ王に命を狙われ、祭司階級やユダヤの指導者たち、民衆の反抗によって十字架にかけられたこと。しかも、その死はただの迫害ではなく、父なる神様の命令に従い、全人類の救いのための贖いの死であることを知って、イエス様が自発的に身を捧げられたものです。ですから、父なる神様はイエス様を墓の中に捨てておかないで甦らせ、天の王座に高くあげ、「主イエス・キリスト」として全ての被造物から崇められるようにされました。イエス様の謙虚はこのような誉れによって報いられたのです。

一粒の麦イエス
  又、天に挙げられたイエス様は言われました、
「人の子が栄光を受けるときが来た。よくよくあなたがたに言っておく一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。〜中略〜、わたしが地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引き寄せるであろう」(ヨハネ12:23〜32)と。  
  皆さん、今日は収穫感謝祭です。イエス様のように、神様の御心に対して謙虚に従って行くならば、多くの人々の救いをもたらす神様の収穫のみわざに仕えていくことが出来ます。それは、人間の目には全体が見えないので、いくら働いても充分な結果が得られないように見えても、神様は全てをご存知です。どうか、謙虚に忠実に、熱心に主に仕えて行こう
ではありませんか。                          アーメン

次回予告 09.11.29 人を恐れるな(箴言29:25〜26)

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