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                                           2010/2/7の礼拝説教
  沈黙者の訴え

   箴言31:1〜9
   ヤコブ5:1〜6
   ルカ19:35〜40               皆川尚一牧師
母の教え
  1 マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたもので
   ある。
  2 わが子よ何を言おうか。
   わが胎の子よ、何を言おうか。  
   わたしが願をかけて得た子よ、  
   何を言おうか。
  3 あなたの力を女についやすな、  
   王をも滅ぼすものに、あなたの道を任せるな。
  4 レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない。  
   王のすることではない。  
   濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。
  5 彼らは酒を飲んで、おきてを忘れ、  
   すべて悩む者のさばきを曲げる。
  6 濃い酒を滅びようとしている者に与え、  
   酒を心の苦しむ人に与えよ。
  7 彼らは飲んで自分の貧乏を忘れ、  
   その悩みをもはや思い出さない。
  8 あなたは黙っている人のために、  
   すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。
  9 口を開いて、正しいさばきを行い、  
   貧しい者と乏しい者の訴えをただせ  
    (箴言31:1〜9)。


  31章に入りますと、女性が尊ばれています。1節から9節には、賢い母の教えが述べられており、10節から終わりまでは、賢い妻が礼賛されています。  
  今日は、レムエル王のお母さんの教えを学びたいと思います。

酒と女に溺れるな
  このお母さんはレムエルを大切な子だと思っています。なぜなら自分の腹を痛めて産んだ子であるから、そしてそれだけでなく、自分が神様に願を掛けて与えられた子であるからです。旧約聖書に出てくる預言者サムエルを生んだお母さんのハンナは、神様に誓いました、「神様、もしあなたが私に息子を与えて下さいますならば、その息子をあなたに献げます」と。これと同じように、レムエルの母親は誓願を立てて息子を産むことが出来たのです。ですからどうしてもレムエルが神様によって立てられた善い王様になってほしかったのでしょう。  
  そこで、酒と女に溺れて王の務めを怠ってはならないと戒めています。では、王の務めとは何でしょうか。《8〜9節》を見て下さい。
「あなたは黙っている人のために、
すべてのみなしごの訴えのために、
口を開くがよい。 口を開いて、正しいさばきを行い、
貧しい者と乏しい者の訴えをただせ」
 
  この「黙っている人」(レイレム)とは、唖(おし)のために口がきけない人、金持や権力者に虐げられて沈黙して我慢している人、みなしご、やもめ、病人など貧しく、乏しい者の立場に置かれていて、黙って耐え忍ぶ人たちのことです。王様や何らかの権力を持つ人々は沈黙している人々の心の訴えを知って、助ける責任があります。酒や女に溺れていては、沈黙者の声に耳を傾ける心を持つことが出来ません。母の教えは有難いものです。

徳川吉宗の目安箱  
  例えば、徳川幕府の八代将軍徳川吉宗は、父は紀州藩主でしたが、母は貧しい農民の出でした。彼は紀州藩主の三男で到底後継ぎにはなれない身分でしたが、父と二人の兄が相次いで亡くなり、思いがけず紀州藩主となりました。彼は母の教えを良く守って節約に心がけ、農業を奨励し、目安箱を設けて一般民衆が訴える声を文字にして自由に投げ込ませ、沈黙者の声に耳を傾けました。そして、紀州藩の莫大な借金を全部返済して財政を立て直したのです。それから、八代将軍の座に就いてからも、江戸城大手門の前に目安箱を設けて、武家・農民・商人の身分を問わず広く民衆の声に耳を傾けるようにしました。テレビでは吉宗が「暴れん坊将軍」という番組の中で、旗本の三男に身をやつして悪人のために苦しむ民衆を訪ねて、その声に耳を傾けて助けてくれる救い主となっていますが、本当にそうだったのかどうかは分かりません。民衆の声なき声が作り出したイメージではないかと思います。  
  でも、この世に下って来られたイエス様は正にそうだったのです。

病人を訪ねるイエス様
《ヨハネ5:1〜9》を見て下さい。  
  38年絶望的な沈黙者となっていた病人に、イエス様が「なおりたいのか」と語りかけることによって、その病人の心の訴えを聞くことが出来ました。なおりたいにきまっているのに、なぜこんな質問をしたのか? と怪しむ人もいるでしょう。でも、それによって初めてこの病人の絶望的な気持が心の叫びとなって噴き出したのではないでしょうか。それによって沈黙者の訴えは神様にとどくのです。

沈黙者の訴え
  人類歴史の初めから沈黙者の訴えは神様に届いています。例えば創世記にあるように、カインに殺されたアベルの血が声を発して正しい裁きを訴えています。また、人と人とはお互いを見守る責任があることを教えられます。  
  また、ルカによる福音書にあるように、オリブ山からロバに乗ってエルサレムに入場するメシア王イエス様を讃美する民衆の声、   
  「主の御名によってきたる王に、祝福あれ、   
  天には平和、いと高きところには栄光あれ」
 
  という讃美の歌を叱りつけて止めたならば、代わりに石が叫ぶであろうとイエス様は言われました。これはただの比喩ではなく、実際に石が叫ぶのです。人の耳には聞こえなくても、神様の耳には聞こえます。  
  また、ヤコブの手紙にあるように、金持が労働者たちを働かせて支払わずにいる賃金が叫んでいるのです。お金が「わたしを労働者たちに渡して下さい」と神様に訴え、金持に訴えているというのです。  
  また、映画「二百三高地」の主題歌としてさだまさしが作った「防人の詩」は、神と人の心を打つものがあります。

    防人の詩
    おしえてください
    この世に生きとしいけるものの
    すべての生命に 限りがあるのならば
      海は死にますか 山は死にますか
      風はどうですか 空もそうですか
      おしえてください

    私は時折 苦しみについて考えます
    誰もが等しく 抱いた悲しみについて
       生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
       病の苦しみと 死にゆく悲しみと
       現在の自分と

    答えてください
    この世のありとあらゆるものの
    すべての生命に 約束があるのなら
      春は死にますか 秋は死にますか
      夏が去る様に 冬が来るように
      みんな逝くのですか

    わずかな生命の
    きらめきを信じていいですか
    言葉で見えない 望みといったものを
      去る人があれば 来る人もあって
      欠けてゆく月も やがて満ちて来る
      なりわいの中で

    おしえてください
    この世に生きとし生けるものの
    すべての生命に 限りがあるのならば
      海は死にますか 山は死にますか
      春は死にますか 秋は死にますか
      愛は死にますか 心は死にますか
      私の大切な故郷もみんな
      逝ってしまいますか

  沈黙者の訴えの答えは、イエス・キリスト様の贖いの中にあります(ローマ11:36)。神の国の永遠の生命の中に迎え入れられることによって、失われたものは一つもなく、全てが満たされるでしょう。どうか、出来る限りお互いを見守りつつ愛に生きる人になろうではありませんか。
                                      アーメン
次回予告 10.2.14 賢い妻の条件(箴言31:10〜31)

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