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                                          2005/08/21の礼拝説教
  保証人になるな

   箴言6:1〜5
   Tテサロニケ5:15〜22
   ルカ12:13〜2                   皆川尚一牧師
わが子よ、あなたがもし
隣り人のために保証人となり、
他人のために手をうって誓ったならば、
もしあなたのくちびるの言葉によって、
わなにかかり、
あなたの口の言葉によって捕えられたならば、
わが子よ、その時はこうして、おのれを救え、
あなたは隣り人の手に陥ったのだから。
急いで行って、隣り人にひたすら求めよ。
あなたの目を眠らせず、
あなたのまぶたを、まどろませず、
かもしかが、
かりゅうどの手からのがれるように、
鳥が鳥を取る者の手からのがれるように、
おのれを救え(1〜5節)。

保証人になるな
 この箴言の箇所では、「保証人になるな」と言っているのではなく、保証人になって危機におちいったならば、どうするかを教えているのです。
しかし、このほかの箇所では、箴言の言うところの強調点は「保証人に
なるな」ということです。例えば、

* 箴言11:15
  「他人のために保証をする者は苦しみをうけ、
  保証をきらう者は安全である」。

* 箴言17:18
  「知恵のない人は手をうって、
  その隣り人の前で保証をする」。

* 箴言22:26〜27
  「あなたは人と手を打つ者となってはならない、
  人の負債の保証をしてはならない。
  あなたが償うものがないとき、
  あなたの寝ている寝床までも、
  人が奪い取ってよかろうか」

とあって、「保証人になるな」と戒めています。

ところが、旧約外典の「シラの書」は少し違っています。

 「善意の人は隣人のために保証人となるが、
  恥知らずなものは彼を見捨ててしまう。
  保証してくれた人の恩を忘れてはならない。
  彼はお前のために己をかけたのだから。
  罪深き者は保証人の財産を食い尽くす。
  恩を知らぬ者は、助けてくれた人を見捨てる。
  万事うまくいっていた多くの人が、
  保証人となったため没落し、
  海の波にもてあそばれるように ほんろうされた。
  勢力ある人たちも家を失い、
  見知らぬ国々をさまよい歩かねばならなかった。
  罪深い者が保証人を引き受ければ、
  利益を得ようとして裁判沙汰に 巻き込まれる。
  お前は力に応じて隣人を援助し、
  危ない目に遭わぬように注意せよ」 (シラの書29:14〜20)。

 つまり、善意があるならば保証人にならないで、自分の力に応じた
援助をしてあげるほうがよいと勧めているのです。

信仰による保証
 しかし、もし保証人になってくれる人がいないならば、銀行から金を借りることが出来ません。例えば、この教会堂建設のさいには第一勧銀から一千万円を借りましたが、連帯保証人二人を必要としました。金を借りて建設を進める過程で紛争が起こり、経済的に有力な教会員の半数以上が教会を去り、連帯保証人の一人も去ってしまいました。代表役員のわたしと、今一人の連帯保証人であった西村さんとは、電話がかかってくる度に背中を冷たいものが走り下りる恐怖も味わいました。にもかかわらず、神様は毎月の銀行への返済を滞りなく出来るように導いてくださいました。それは、聖霊の新しい恵みが力強く注がれて人々が増し加えられて行ったからです。つまり、わたしたちにはイエス・キリスト様という保証人が立っていて下さるのです。わたしたちは、神様を信ずるがゆえに、
必要に応じて、あえて保証人になることができます。

ヴェニスの商人
 その一例として有名なシェイクスピアの「ヴェニスの商人」があります。  その内容をかいつまんで説明しましょう。

 《イタリアのヴェニスの市民バッサーニオウは、ユダヤ人の金貸しシャイロックから三千ダカットの金を借りました。その際、友人のアントウニオウに保証人となってもらいました。当時、ヴェニスの教会は利息をとって金を貸すことを禁じていたので、シャイロックは利息をとる代わりに、万一返済できない場合には、アントウニオウの体の肉一ポンドを切り取って
良いという条件をつけました。それはかねがねシャイロックがアントウニオウを憎んでいたからです。期限の三ヶ月が近づいたとき、アントウニオウの貿易船が難破して莫大な損害を受け、借金は返済不能となりました。そこでシャイロックは裁判に訴えてアントウニオウの心臓近くの肉一ポンドを要求しました。バッサーニオウは婚約者から金を借りて借金を二倍にして返すから、赦して欲しいと嘆願しますが、シャイロックは聞き入れません。裁判官も慈悲の心を持つように諭しますが彼は聞き入れません。そこで裁判官は彼に「肉一ポンドを取ってもよいが、血は一滴もながしてはならない」と申し渡します。こうしてシャイロックは敗訴しただけで
なく、ヴェニスの法律により、キリスト教徒の生命を狙った罪で全財産
没収、死刑の判決を受けることになりますが、アントウニオウの嘆願に
よって死刑は免かれる》といった筋書きです。

 このように、いくら嘆願しても聞き入れられないような無慈悲な人の手に落ちた場合でも、神様の助けにより、善意の人の知恵と助けがあるのだということをシェイクスピアは言いたかったのではないかと思います。

 どんなに確かな人であっても、必ず返すという見込みがあっても、明日何が起こるか分からない世の中にわたしたちは生きているのです。
だから軽卒に保証人になるなという戒めは大切でしょう。しかし、どうしても保証人にならねばならない場合には、天にいます確かな保証人であられるイエス・キリスト様を信じて保証人になることもできるでしょう。

 先にお話しした1973年のこの教会堂建設のときのことです。時の
第一勧銀相模大野支店長さんは、わたしたちの教会に大層好意を持って下さり、わたしたちからの一千万円融資申し込みを本部に申請するに当たって、「この世でキリスト教会ほど信頼できる団体はない」という推薦書を提出されたのだそうです。その話は1974年に赴任してきた後任の支店長さんから聞きました。

 その後任の支店長さんは西本願寺の管長さんの三男坊だそうで、キリスト教会に敵意をもった人でした。それでわたしたちの教会に紛争が起こって連帯保証人のひとりが辞任したので、わたしが代わりの保証人を申請しにいったら、大いに憤慨して、「前任者はキリスト教会ほど信頼できる団体はないと申請したが、この有様は何事か。わたしだったら絶対にキリスト教会なんかに融資はしなかったのに」とくやしがりました。
皆さん、ここにも神様のお守りがあったことがお分かりでしょう。神様は
タイミングよく物事を運ばれます。教会員の数が三分の一に減り、若者と婦人たち、年配者たちなど経済的には弱いひとたちがほとんどになった教会に聖霊が降り、加速度的に人数が増えて行きました。すべては神様のご計画であります。神様の保証ほど確かなものはありません。
どうかこれからも天にいまし、また我らと共にいます確かな保証人
イエス・キリスト様により頼んで生きて行こうではありませんか。 アーメン

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