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                                           2010/2/14の礼拝説教
  賢い妻の条件

   箴言31:10〜31
   Tテモテ5:9〜10
   マタイ19:20〜28                皆川尚一牧師
賢い妻の条件
  31章10節から終わりまでは、賢い妻が礼賛されています。これを読むと賢い妻の八つの条件がわかるでしょう。  
  先ず10節は「だれが賢い妻を見つけることができるか」と訳すりも、
「賢い妻を見出す者はだれか」と訳す方が日本語としては優っていると思われます。「そういう男は幸せ者だ」という思いがこめられているからです。この奥さんが家事労働を逞しくこなしているところを見ると、レムエル王の奥さんではないことが分かります。  
  前置きはこれ位にして、賢い妻の条件を簡単に列挙してみましょう
(1)一生の間、夫のために良い事をして、悪い事をしない。この奥さんに支えられて夫は町の有力者として重んじられる人になることが出来ました。
(2)彼女は、羊毛や亜麻を集めて、糸車と錘(つむ)を操って糸をつむぎ家族の者たちの着る着物を仕立て上げる。紫布のような高級品の着物もあれば、雪の日の寒さを防ぐための二重(ふたえ)の衣もつくる。紅の着物と訳しているのは、二重の衣と訳されている(シャニーム)ヘブライ語は「紅」とか「緋」という意味もありますが、「二重の」と云う意味もあります。緋の衣一枚では寒いので、「二重(ふたえ)の」衣と訳すのが適訳だと思います。また、彼女は我が家の絨毯をも制作することが出来るのです。
(3)また、亜麻布の衣や美しく織り上げた帯を商人に売って収益を図り ます。その商売に精出して働き、一晩中灯火が消えたことがない。
(4)また、彼女はまだ夜の明けないちに起きて家族や召使たちのために食事の用意をする。また、そのための食糧を遠い国まで買出しに行って、運んでくる。
(5)また、自分の家の畑を良く選んで買い、腰にきりりと帯を締めて、逞しい腕をもってぶどう畑を作る。
(6)また、彼女はしっかりと自立しているがゆえに、貧しい人や乏しい人に手を差し伸べて施しをする。これは大切な神様の戒めです。自分の楽しみだけに金を使って、貧しい人・乏しい人を無視したり、けちけちとした施ししかしないのは、恥ずかしいことです。
(7)彼女は神様を信じているから、明日の災いを恐れて取り越し苦労をしないで、力と気品に満ちて明るくニコニコして生きている。
(8)彼女は口を開いて知恵の言葉を語り、いつくしみと愛の教えを語ることが出来る。  
  こうした賢い妻に対しては、その子供たちが立ち上がって「お母さんは素晴らしい」と言って祝福してくれるし、夫からも「最高の妻だ」とほめたたえられる。そういう妻は、家庭の中だけでなく、町の門のような公の場で表彰しなくてはならぬ。あでやかさは偽りであり、美しさはつかの間であるが、主を畏れかしこむ女は神と人からほめたたえられるのだ、と結んでいます。ここでも、伝道の書の締めくくりのように、神様を畏れ、その戒めを守ることが人間の本分であるとしているのです。

夫と妻の関係  
  こうした賢い妻の条件が全部当てはまる人は、聖書の中に一人もいないと言って良いのではないかと思います。それに、妻は夫によって、良い妻にもなれば、悪い妻にもなるという面もあり、その逆もあるでしょう。   また、未熟な人が、結婚生活を通して善い夫、善い妻に成長することも考えられます。人はみな我儘で、自己中心的なエゴを持っていますから、そうしたものが結婚生活を通して清められて行き、家庭の中だけでなく、社会的にも、国家的にも、国際的にも光を広く放つような働きをも担えるようになります。次に、その実例をご紹介致しましょう。

青山光子の話  
  例えば、青山光子は、明治7年に東京の牛込で骨董品屋の三女として生まれました。光子が18歳のとき、ある冬の寒い日のことでした。道を歩いていると彼女の目の前で、ひとりの若い外国人が落馬したのです。彼女は驚いて、とっさに駆け寄り、「誰か来て下さい!お医者様を呼んで下さい」と助けを求めました。そして医者が来るまでの間、取りあえず応急手当をしました。  

  落馬したのは、ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵というオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理公使でした。彼は青山光子をひと目見て、恋に落ちました。二人はやがて結婚して、青山光子はクーデンホーフ光子となりました。そして二人の間に長男ハンス・光太郎と次男リヒャルト・栄次郎が生まれました。次男が生まれて間もなく、1896年、夫の日本での勤務が終わり、ヨーロッパに帰国することになり、光子は明治天皇の皇后美子から「異国にいても日本人としての誇りを忘れないで下さい」との激励を受けて、夫と共にボヘミアの貴族の城に伯爵夫人として迎えられました。  

  クーデンホーフ家といえば、ハプスブルク家の皇女エリザベートの家庭教師を出している、学問の誇り高き家柄です。ハインリヒ伯爵も18カ国語を自由自在に話せる人物でした。そのような名門のクーデンホーフ家の伯爵夫人となった光子は東洋の小国日本から来た未開人という目で見られて、小姑たちの嫁いびりを受けました。言葉の言い回し、着物の着こなし、立ち居振る舞いに至るまでチクチクやられたのです。いっそ何もかも捨てて日本に帰ろうと思ったことが幾度あったか知れませんでした。しかし、そのたびに思い留まったのは、夫ハインリヒの細かく行き届いた愛情だったのです。夫は「光子をヨーロッパ人と同等の扱いをしない者とは決闘をする」と宣言して光子の庇護に努めました。  

  しかし、彼女が31歳のある日、夫は心臓麻痺で急死してしまいました。享年47歳の若さでした。光子は夫のあとを追おうと刃物を手に取りましたが、「悲しいことも、辛いこともあるでしょう。しかし、どんな時にも日本人の誇りを忘れないようにね」と、かって友達から送られた励ましの言葉が心に甦って来て、生き抜く決意を固めたのです。  

  光子は夫の遺言に従い、クーデンホーフ家の全財産を相続し、クーデンホーフ家の家長となりました。そして7人の子供たちを厳格に教育し、立派な人々に育て上げました。子供たちはみな母に深い尊敬を寄せました。1914年に第一次世界大戦が始まったとき、長男と三男は戦場に行き、光子は3人の娘と一緒に赤十字の奉仕に参加しました。彼女の存在は民族の違いを越え、敵味方をも越えた愛によってヨーロッパの人々に大きな平和の光を与えたのです。彼女は大東亜戦争の始まる数ヶ月前、1941(昭和16)年8月に享年67歳でこの世を去りました。  

  しかし、亡き母の志を受け継いだ次男栄次郎・リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は母の祖国日本の描いた大東亜共栄圏の思想に触発されて、ヨーロッパ統合の思想を抱き、その運動を推進して、今日のヨーロッパ連合(EU)を作り上げる力となりました。その結果、青山光子はヨーロッパ連合の産みの母と呼ばれているそうです。

自立と施し  
  箴言31章の賢い妻は自分の力で精一杯働いて自立することと、貧しい人々に施すことを心がけました。この自立と施しは神様の御心です。施しの中には、第一に神様に献げること、第二に貧しい人々に施すこと、この二つが含まれています。
《マタイ19:20〜28》を見て下さい。ここに出てくる金持の青年に対してイエス様は言われました、
「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」
  この金持の青年は、金は持っていましたが、自己中心・自己満足の生き方でしたから本当に自立してはいませんでした。だから人に施すことも惜しかったのです。もし、思い切って全財産を貧しい人々に施してしまい、裸でイエス様に従うならば、本当に自立出来たでしょう。イエス様の使徒たちは一切を捨ててイエス様に従っていましたから、お金はなくてもこう言えたのです。
《使徒3:6》をご覧下さい。
「金銀はわたしたちにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
  彼らは金はなくても霊的に自立していました。自分を神に献げ、貧しい人に神の恵みを施すことが出来たのです。わたしたちは賢い妻の条件を学ぶことによって、男女を問わず、賢い人の生き方を実践して行こうでは
ありませんか。                             アーメン

次回予告 10.2.21 イエスの先触れ(マルコ1:1〜8)

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