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                                          2005/10/23の礼拝説教
  七つの柱

   箴言9:1〜6
   黙示録3:10〜13
   マタイ16:15〜19                皆川尚一牧師
知恵は自分の家を建て、
その七つの柱を立て、
獣をほふり、酒を混ぜ合わせて、
ふるまいを備え、 はしためをつかわして、
町の高い所で呼ばわり言わせた、
「思慮のない者よ、ここに来れ」と。
また、知恵のない者に言う、
「来て、わたしのパンを食べ、
わたしの混ぜ合わせた酒をのみ、
思慮のないわざを捨てて命を得、
悟りの道を歩め」と(箴言9:1〜6)。

七つの柱
 初めに、「知恵は自分の家を建て、その七つの柱を立て」とありますがこれは堂々たる「知恵の殿堂」とも言うべき学び舎を意味しています。
ソロモンが神殿を建てた頃には、そういう立派な学び舎があったのか、
どうか、考古学的には確かめられていません。西暦紀元前第2世紀に
書かれたといわれる旧約外典の「ベン・シラの知恵51章23節」には、そういう学び舎があったようで、「わたしのそばに来なさい、無学な者たちよ、学び舎で時をすごしなさい」とベン・シラが呼びかけています。この七つの柱は日本の木造建築とは異なり、まわりを切石で築いた壁でかこんで、屋根を支えるために七つの柱を立てたものと思われます。そういう建築物は地中海沿岸諸国には沢山ありました。とにかく立派な堂々たる建物を建てて、学生を呼び集めたのです。それは語られる知恵の内容がどんなにすばらしいものかを象徴しています。

知恵の内容
 しかし、建物が立派であるからといって、そこで説かれている教えが
すばらしいとは限りません。

 * 例えば、東京の本郷に湯島聖堂という立派な建物があります。あれは徳川時代の初期に林 羅山という儒学者が孔子の教えを説くために作った忍ぶが丘の学問所が発展して、五代将軍綱吉によって建てられたものです。林羅山が説いたのは朱子学であって、孔子や孟子や、その弟子たちの教えを分かりやすく説いたものです。朱子学は性善説に立ちます。人間の本性は善であって清い。しかし、汚れた気や、欲によって
覆われたり、汚されたりするので、これを正すためには人間社会の上下の秩序を守り、礼節を尊び、家庭・国家・社会を治める必要があるという教えです。朱子学は徳川幕府の体制を守るために役立ちましたから、
初代徳川家康から始めて代々の将軍が朱子学を学び、それを全国に
ひろめるために、湯島聖堂を建てて孔子を崇めさせたのです。
 確かに、儒教にはそれなりの真理と知恵がそなわっており、それを
学ぶ人の心に感動と共鳴とを呼び起こすだけの内容がありますが、
聖書の真理と知恵に比べれば比べ物にならないほど貧しいと思います。

満ち足りる喜び
 なぜならば、聖書の教える真理と知恵は天地創造の神様から出たもので、これを学ぶ人々に満ち足りる喜びをもたらすからです。
第2節以下を見て下さい。

  「獣をほふり、酒を混ぜ合わせて、
  ふるまいを備え、 はしためをつかわして、
  町の高いところで呼ばわり言わせた、
  『思慮のない者よ、ここに来れ』と。
  また知恵のない者に言う、
  『来て、わたしのパンを食べ、
  わたしの混ぜ合わせた酒をのみ、
  思慮のないわざを捨てて命を得、
  悟りの道を歩め』と」(2〜6節)。

 聖書には神様の愛と知恵とさとしを喜ぶ有様が、しばしば宴会に
譬えられています。

*「主のおきては完全であって、
  魂を生きかえらせ、
  主のあかしは確かであつて、
  無学な者を賢くする。
  主のさとしは正しくて、心をよろこばせ、
  主の戒めはまじりなくて、
  眼を明らかにする。
  主を恐れる道は清らかで、
  とこしえに絶えることがなく、
  主のさばきは真実であって、
  ことごとく正しい。
  これらは金よりも、純金よりも慕わしく、
  また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い」(詩篇19:7〜10)。

 ここでは、神様の御言葉が蜜よりも甘いと喜んでいます。

 「それでわたしは
 あなたの力と栄えとを見ようと、
 聖所にあって目をあなたに注いだ。
 あなたのいつくしみは、
 いのちにもまさるゆえ、
 わがくちびるはあなたをほめたたえる。
 わたしは生きながらえる間、あなたをほめ、
 手をあげて、み名を呼びまつる。
 わたしが床の上であなたを思いだし、
 夜のふけるままにあなたを深く思うとき、
 わたしの魂は髄とあぶらとをもって
 もてなされるように飽き足り、
 わたしの口は喜びのくちびるをもって、
 あなたをほめたたえる(詩篇63:2〜6)。

* ここでは、神を礼拝する聖所においても、夜の寝床の上においても、神様の愛と真理の御言葉を食べて霊魂の宴会を楽しむ喜びが歌われています。

 さらに、新約聖書でも、イエス様は神様が備えた婚礼の祝宴に人々を招くたとえを語られました(マタイ22:1〜14)。最後に黙示録にも、

  「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。
  だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、
  わたしはその中にはいって彼と食を共にし、
  彼もまたわたしと食を共にするであろう」(黙示録3:20)とあります。

 神様の知恵や教えは、聞いて頭の痛くなるような難しいものではなく、アーメンと素直に感謝して受け入れる人には、どんなご馳走にも勝る
ご馳走なのです。

 イエス様に心を開いて「どうぞ!」と言うだけで、イエス様はあなたの中にはいって来られます。そして親愛の情をこめてあなたを抱き、赦し、
清め、暖めてくれます。わたしは何度も、「尚一、あなたを愛している」というささやきを聞きました。愛の中で厳しく叱られることもありますが、
それによって泣きながら悔い改めて赦しを乞い、イエス様にしがみつくのです。大きな広い深い愛の中で、あらゆる知恵が必要に応じて語られます。どうか、あなたもあなたのイエス様のノックに応えて、すばらしい霊の宴会を楽しんで下さい。                        アーメン

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