| 2006/01/29の礼拝説教 |
![]() |
![]() |
良い指導者
箴言11:14 ヤコブ3:1〜2 マタイ23:1〜12 皆川尚一牧師 |
![]() |
![]() |
指導者がなければ民は倒れ、 助言者が多ければ安全である (箴言11:14)。 良い指導者 ここに、「指導者がなければ民は倒れる」とありますが、一口に 「指導者(タフブロット)」と言っても、良い指導者もいれば、悪い指導者もいます。悪い指導者のせいで辛い経験をした民衆は、「もう指導者なんかいらない。みんなで相談して決めていくのが一番だ。民主主義で行こう」と考えて民主政治が生まれました。初めギリシャで生まれた民主政治(デモクラシ一)は高い目標をもたず、低い大衆的欲望を満たそうとするだけの愚民政治に堕落して、国を没落させることになりました。賢者プラトンは高い理想とビジョンとを持った徳の高い哲学者が国家の守護者となるのが理想だと考えました。哲学者といっても自分の知性だけに頼るのではなく、ソクラテスやプラトンのように神の声を聞く人でなければなりません。 イスラエル王国の指導者ダビデやソロモンは神の声を直接聞き、また、預言者を通じて語られる神の声を聞く人々でした。ですから神様からの高いビジョンによって国の行く道を示しました。また実際的な政治上の 方針については、側近の年配者たちの助言を尊重しました。それゆえ、イスラエル王国はダビデとソロモンの時代に大きく発展し、揺るぎない 礎を築いたかに見えました。 しかし、ソロモンの子のレハベアムは、父の死後王位を継いだ時、民衆が重税の軽減を求めて来ました。彼は最初に父に仕えた年配者たちに相談したところ、「あなたが今日この民の僕となって親切にしてやるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう」との答えが返って来ました。しかし、彼はこの答えが気に入らなかったので、自分の側近の若者たちに相談したところ逆の助言が返ってきました。「わたしの小指は父の腰よりも太い。わたしはもっと重い税金を掛け、さそりでおまえたちを懲らしめようと脅してやりなさい」というのです。レハベアムが若者たちの助言を採用して実行すると、十二部族のうち十部族がレハベアムから離反して、ヤラベアムという将軍を王とする北イスラエル王国を建てました。 レハベアムは18万の軍勢を集めて北王国を打とうとしましたが、預言者の口を通じて神様が「兄弟と戦うな」と留められたので、神の声に従って戦いをやめました。レハベアムは若気の至りで失敗しましたが、神の声に聞き従う点では良い指導者であったと思います。 一方、ヤラベアムの方は神の声を聞くことなく、イスラエル十部族がエルサレム神殿に参詣するのを阻止するために、金の子牛の偶像を二つ 作り、一つはベテルに置き、もう一つは北方の町ダンに置いて、「これがあなたがたをエジプトから導きのぼったあなたがたの神である」と言って礼拝させました。ですからヤラベアムは悪い指導者でありました。彼は 祭司を自分で任命し、祭りの日も自分勝手に制定しました(列王上12章参照)。 従って良い指導者とは、神様の声に聞き従い、良い助言者たちの声を尊重しながら神の示すビジョンに向かって人々を導く人だと言えるでしょう。 良い助言者 次に、助言者のことを考えて見たいと思います。第14節後半に、 「助言者が多ければ安全である」とあります。 「助言者(ヨエッツ)」というのは広い意味があって、消極的には、指導者が独裁の誤りに陥らないように助言する人、積極的には、指導者の ビジョンを理解し神の栄光が現れるように助言し、指導者の命令を実行していく人です。 ダビデの良き助言者はホシャイでした。ダビデがアブサロムの反乱によって都を追われたときホシャイは一緒に逃げないで都に留まり、アブサロムの側近として仕えていました。アブサロムはアヒトペルの助言に従って直ちにダビデを追跡しようとしました。しかし、念のためにホシャイの 助言を求めると、ホシャイは反対しました。「ダビデは勇将であり、その 家来は一騎当千の勇士たちだから、あわてて攻めると非常に危険です。そこでこの際イスラエル全軍を召集して、蚤をせめ潰すように激しく攻撃すれば間違いなくダビデを滅ぼすことができる。その方が安全ではないか」というのです。これを聞いてアブサロムは急な追撃をあきらめ、全軍が集まるまで待ちました。その結果ダビデはヨルダン川の東まで逃げて十分な戦闘態勢を整えることが出来たのです。アヒトペルは誇り高き 勇士でしたから、自分の策が採用されなかったので、自決して果てました(サムエル下17:1〜23)。 明治天皇と元老会議 日本では、明治維新の結果立憲君主制をとりました。明治憲法は元老のひとり伊藤博文がベルリン大学のルードルフ・フォン・グナイスト教授の助言を受け入れ、プロシャ(即ちドイツ)憲法に真似て作ったものです。ですから明治憲法では、プロシャ憲法同様、軍隊は天皇直属になって いました。天皇は陸海軍を統帥する。いわゆる天皇の統帥権が明示されていたのです。憲法には首相も内閣制度も書いてありませんでした。 だから政治家は軍隊に対してリーダーシップを発揮できませんでした。日清・日露戦争までは、「元老会議」という憲法に規定されていない集団が明治天皇の決断を実行していたのです。 その元老たちとは、伊藤博文、山県有朋、井上馨、黒田清隆、松方正義、西郷従道、大山巌、西園寺公望といった、文字通り明治の元勲たちでした。彼らは徳川幕府と 戦い、天皇親政を勝ち取り、復活させた者たちでした。ですから明治 天皇とぴったり一つになって大日本帝国を指導していったのです。 これらの元老たちは参謀ではなく、リーダーシップ型の人間であり、 何かを実行するときには、初めと終わりをきちっとさせていたのです。 日露戦争は参謀型のエリートではなく、リーダー型の人間の判断で勝利して来たといえるでしょう。日本のあのころの軍隊では、司令官が直接命令できないことになっていましたから、乃木大将は、実戦経験も少なく肝っ玉も小さい参謀たちの助言を実行して、多くの将兵を戦死させました。しかし、そこへ総司令官の大山巌の意を受けた児玉源太郎参謀総長が乗り込んできて、参謀たちの猛反対を押し切り、海軍の砲台に据えられていた巨砲を三日の内に二百三高地に向けて移設しました。その一斉砲撃と決死隊の総攻撃で難攻不落の陣地は落とされ、旅順は速やかに陥落しました。 その後の日本は、明治天皇も元老たちも死に、後から台頭した憲法に 明記されていない「参謀本部」が昭和天皇の意向を無視して、天皇の 統帥権を犯し、自分たちのビジョンにしたがって、てんでんばらばらに 行動しました。昭和天皇が統帥権を実行したのは、二二六事件を収めるときと、大東亜戦争を終結させるときだけだったのです。 このように、助言者の立場は難しいところがあります。指導者気取りで指導者さえもリードしてやろうという野心は助言者に相応しくありません。また頭が良いだけでもだめです。また過去の経験に固執したり、目前の困難を恐れて尻込みする人も相応しくありません。神様の霊感を受けて指導する指導者を支えて謙虚に熱心に聖霊の恵みを受けて仕える人が祝されます。 アーメン |
![]() |
トップページ >> 説教 >> 箴言 >> (39) >> (40)へ進む |