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                                          2006/05/21の礼拝説教
  労働の尊さ

   箴言12:9
   Uテサロニケ3:7〜13
   ヨハネ5:17                     皆川尚一牧師
身分の低い人でも自分で働く者は、
みずから高ぶって食に乏しい者にまさる (箴言12:9)。

労働の尊さ
 箴言第12章には、労働の尊さを教える句が四つあります。
この9節のほかに、

* 11節「自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、
  無益な事に従う者は知恵がない」。
* 24節「勤め働く者の手はついに人を治める、
  怠る者は人に仕えるようになる」。
* 27節「怠る者は自分の獲物を捕らえない、
  しかし勤め働く人は尊い宝を獲る」。

 もうこれだけ読めば労働の尊さは分かるでしょう。
しかし、今日は「自然と仲好くしよう」というキャッチフレーズを掲げて
おりますので、労働と自然の関係を考えてみたいと思います。

人間の使命
 聖書によれば神様は人をご自身の姿に似せてお造りになったのです。
 「神は自分のかたちに人を創造された。
 すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1:27)
 「かたち」とは、ヘブライ語で「ツェレム」といって、「本質の現れとしての外形」を意味する言葉です。従って、人は神の「見える姿」であり、日本の神道でいう「現人神(あらひとがみ)」だということになります。
人間がそのように尊い存在であるとすれば、その使命や働きは何か。
これは次の節に書いてあります。

 「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。神はまた言われた、『わたしは全地のおもてにある種をもつすべての
草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。
これはあなたがたの食物となるであろう』(創世記1:28〜29)。
ここには、三つの使命が示されています。

(1)人の使命の第一は、産んで、増えて、地に満ちることです。結婚、
出産、子孫の繁栄というのは大仕事であり、うれしい労働であります。

* 性欲や生殖を人間の尊さを汚すものと見なす人々は、エデンの園のアダムとエバは本来生殖行為をしない清らかな夫婦であったが、動物の生殖行為を見て欲情した(すなわち、禁断の木の実を食べた)ので、エデンの園から追放されたのだとか、サタンの化身としての蛇に情欲を掻き立てられて(すなわち、禁断の木の実を食べた)ので、エデンから追放された等と解釈していますが、これらの解釈は根本的に間違っています。 人間は世を照らす光です。一つの部屋を照らす電球は一つで足りますが演奏会場や広場を照らす電球は沢山必要です。それと同じように、地球のすべてを照らす人間の数は沢山必要なのであります。

(2)人間の使命の第二は、「地を従わせる」ことです。
この「従わせる(カーバシュ)」というヘブライ語には、「踏む」、「征服する」「奴隷にする」という意味がありますから、自然を人間の征服すべき相手として考えるのが西洋的キリスト教の特徴となりました。しかし、それは
人間の闘争心から生まれたとんでもない間違いです。なぜなら、《創世記1:31》に「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」と記されているからです。神様が祝福しているものを征服したり、奴隷にしたりして良いはずがありません。では、「従わせる(カーバシュ)の真義は何か。人はこの世に生まれて大地を踏み、「大地よ、わたしと共に神様をたたえよ」と呼びかけて、神から出た全被造物、つまり大自然の調和のために働くことが、神から授かった使命だということです。

(3)人間の使命の第三は、「すべての生き物を治める」ことです。
この「治める(ラーダー)」というヘブライ語には「監督する」、「導く」、
「踏む」という意味があります。西洋的キリスト教では、全ての生き物は
人間のために造られているのだから生かすも殺すも人間の勝手だという思想が生まれ、この聖句がその裏づけに用いられて来ました。
これも人間の征服欲から生まれたとんでもない解釈です。 「治める
(ラーダー)の真義は、「愛情をもって見守り、導き、大切に管理すること」だと思います。この点については、来週の説教でもっと詳しく取り上げたいと思います。

エデンの園
 次に、具体的な人の労働が創世記第2章に書いてあります。

 「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、
  これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、
  『あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
  しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
  それを食べるときっと死ぬであろう』」(創世記2:15〜16)。

 何しろエデンの園には豊富な植物が満ちていて、人はふところ手をして「食っちゃ寝、食っちゃ寝」してるだけで生きて行けたはずでした。
それなのに神様が人に働くことを命じられたのは、なぜでしょうか。
その理由は二つあります。

(1)人は自分のためと同時に他者のために生きるべきです。 野菜や
穀物(麦・米)を栽培するためには、畑を作ったり、田圃を作ったり、土を耕したり、川から水を引いたりしなければなりません。そして、種を播くとか、苗を育てて田圃に植えるとかして、初めて良い稲が実り、良い米が収穫出来ます。果物だって、良い実を収穫するためには手入れが必要です。例えばブドウは余分な葉や枝の刈り込みをして初めて良い実が成ります。果樹ではない樹木だって、下枝の剪定が必要です。下草を刈って風通しを良くしたり、草を刈って道を作ったり、樹木を美しく刈り込むことによって庭園の美しさを保ちます。また、草花、や樹木の美しさを眺めて、「きれいだね、もっときれいになれるよ」と褒めて上げることによって、もっときれいになるのです。つまり植物や土や石にも意識があり、霊魂がありますから、わたしたちは植物や土や岩石とも会話しながら、より美しいものを育てていくことが出来るのです。
 実は、わたしたち人間はどれほど彼らから支えられ、癒され、慰められているか、測り知れません。自然と仲良くすることが幸せのもとだと
思います。

(2)神様と共に喜ぶためです。  アダムが神の子であったように、わたしたちも神の子ですから、この世界を美しく幸せにするために、神の代理として働くのです。アダムは園の持ち主である神様と共に喜ぶためにエデンで働きました。神様は天地創造の初めからこの世界を美しい平和な
世界とするために働き続けておいでになります。それゆえイエス様も言われました、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(ヨハネ5:17)と。そうです、神の霊は神の子供たちと一緒に
働いているのです。それは喜びを共にするためです。

* 明治の哲学者であり、東京帝国大学の教授でもあった綱島梁川は、ある夕べ、美しい夕陽の沈むのを見ているとき、「わたしは神と共に
見ている」という不思議な霊感に打たれて歓喜したと記しています。

 皆さん、ここにわたしたち人間の労働の喜びがあります。どんな仕事をするにせよ、神様に愛されていて、神様と共に働いているのだと思えば、苦しい仕事の中にも不思議な慰めと喜びが湧いてきます。つまらないと見えた仕事が尊いものに変わってきます。あなたは孤独ではなくて、
神様に愛されているし、また沢山の仲間に囲まれているのです。アーメン

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