| 2005/02/20の礼拝説教 |
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悪の楽しみ、善の楽しみ
箴言2:11〜22 Tペテロ3:8〜12 ルカ10:17〜20 皆川尚一牧師 |
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悪の楽しみ 「彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、 悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、 その道は曲り、その行いはよこしまである」 (13〜15節)。 この中に「悪を行うことを楽しみ」とありますが、 ここに人が悪を行う理由の一つがあると言えるでしょう。 * 精神病理学者の小田 晋(すすむ)博士が「悪の心理学」という本の序文にこう書いています。「多くの人間は悪に魅力を感じています。ときには悪に憧れを抱いてしまうことすらあります。そのことをあからさまに口にする人が少ないのは、口にしたとたんに悪者にされてしまう恐れがあるからではないでしょうか。それでも悪は心の奥底で執念深く出番をまっているといえましょう」と。 * そもそも悪の始まりは、エデンの園からです。園の中央にある 「善悪を知る木の実」を取って食べてはならないと、主なる神は戒められました。しかし、「いけない」と言われると余計やってみたくなるものです。エバが独りでいるとき、サタンの化身である蛇が忍び寄ってきて、エバをだまします。「その実を食べたって決して死なないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神は 知っておられるのです」と。これまでは神様の言われるとおりにして来たのが「善」でした。つまり善とは知らずに善をおこなってきたわけです。 ここで「悪」を知るというのは、神様の戒めに背くことを指しています。 言い換えれば、神様の戒めと関係なく自分の気ままに生きるということ です。これが「悪」の正体であります。 エバがその木を見ると、それはおいしそうで、美しくて、賢くなるには 好ましいと思われたから、その実を取って食べました。そして夫にも取って上げたのでアダムも食べました。「すると自分たちの裸であることがわかった」というのは、罪の意識と恥の感覚が生じたということです。だから神様の目からそれを隠そうとして、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻き茂みの中に隠れました。これは「暗い道に歩み」(箴言2:13)はじめたということです。暗い道とは、悪の遺伝子(DNA)を宿した人間は、一生を通じ、子々孫々までサタン(蛇)と戦い、産みの苦しみ、生活の苦しみを味わい、その結末としてエデンの楽園から追放されるということです。しかし、それだけではなく、大きな希望が与えられました。それは将来、 「神の遣わす救い主がエバの子孫から生まれ、サタン(蛇)の頭を砕く」 (創世記3:15)という神様の約束です。 追放後、アダムとエバの間に長男カインと次男アベルが生まれました。カインは逞しい農夫でしたが信仰薄く、アベルは優しい羊飼いでしたが 信仰厚い人でした。アベルが神様に愛されるのを見たカインは嫉妬心に駆られてアベルを殺し神様によってその土地から追放されます。しかし、カインは悪に強くて人々を支配し、城壁をめぐらした町を建てて、独裁君主となりました。カインはサタン(蛇)を崇めて曲がった悪の道を走ったわけです。しかし、やがて大洪水という神の裁きによって彼らは滅びます。これが悪の結末です。神様が禁断の木の実を食べれば必ず死ぬと 言われたのは本当だったのです。 * 今一つ「悪の心理学」の中に、こんな話が載っています。 1634年(寛永11年)に2万石の大名であった竹中妥女正(うねめのしょう) 重義という者が将軍から切腹をおおせつけられました。彼は長崎奉行を務めていた時、日頃から贅沢な生活をしていましたが、堺の大商人平野屋が建てた長崎の店にいた瑠璃という妾を召し出しました。しかし、平野屋が応じなかったので、大勢の人に命じて店を襲わせ、瑠璃を奪い取りました。瑠璃はある夜隙を見て塀をのりこえて店に逃げ帰り、主人と一緒に堺へと逃走しました。怒った重義は平野屋の兄・次郎兵衛を牢獄に入れ、堺にまで人数を遣わして平野屋を襲わせ、再び瑠璃を奪い取り、 長崎の平野屋の財産をことごとく没収しました。そこで平野屋は江戸に出て幕府に訴えたので重義の悪行が発覚し、切腹、家財没収となりました。するとその家財の中にご禁制の「村正の妖刀」が24本もあったということです。こうして見ると「悪の楽しみ」は人を滅ぼすということが よく分かると思います。 善の楽しみ 他方、神様は「善の楽しみ」というものがあるんだということを 教えて下さいます。 「慎みはあなたを守り、 悟りはあなたを保って、 悪の道からあなたを救い、 偽りをいう者から救う」(11〜12節)。 この後に「遊女や、みだらな女」に捕われないようにとの戒めがあります。これは男性本位の書き方ですから、「逆もまた真なり」です。男も女も神様の知恵により、聖霊の力によって慎みと悟りを得て、誘惑から助けだされるのであります。 「こうして、あなたは善良な人々の道に歩み、 正しい人々の道を守ることができる。 正しい人は地にながらえ、 誠実な人は地にとどまる。 しかし悪しき者は地から断ち滅ぼされ、 不信実な者は地から抜き捨てられる」 (20〜22節)。 「善を行う者」、「正しい人」つまり「真っ直ぐな心(ヤーシャール)の人」の楽しみは地に永らえることです。ここでは、「地」(エレツ)という語が5回も用いられています。これは「地」を強調しているのです。地は人の罪悪によって呪われますが、また人の善い心、善い行いによって祝福されるのです。 * 例えば、この土地に教会堂を建てたとき、近所に住む日蓮宗の 信者の人が、わたしに言いました。「先生、良いところに教会を建てて下さいますね。このあたりは昔の合戦で沢山の武者が死んだところです。死者の怨念が留まっているので、教会が出来てくれればみな助かりますよ」と。「ほう、そうですか」と答えたのですが、心の中では《大変なところに来たなあ》と思いました。でも、私たちはイエス様がこの地上に生きている人と死んだ人との救い主様であることを信じていますから、その両者に対する救いの働きをして来ました。悪霊は追い払いますが、死者の霊にはイエス様の救いに頼るように語りかけます。私たちがイエス・キリストの御名で祝福するならば、それを受け取る霊魂は祝福され、救われる からです。 現代の世界は霊的にも、物質的にも荒廃しています。呪われています。《こんな世の中にはいたくない。早く死んだ方が良い》と正直、思うことがあるでしょう。それは、もっともですが、わたしたちは出来るだけ長生きして、地を祝福で満たすために働く使命をイエス様からいただいているのです。自殺の誘惑も悪魔から来るものです。しかし、イエス・キリスト様を信じて救われた人には、この地上にいても天国にいるような喜びが満たされますし、死ねば実際に天国に行ってイエス様と共に永遠の楽しみを受けられるのですから、なんと幸せではありませんか。 アーメン |
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