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                                          2005/02/27の礼拝説教
  長寿の秘訣

   箴言3:1〜4
   Tヨハネ5:18〜21
   マタイ19:16〜22                皆川尚一牧師
わが子よ、わたしの教を忘れず、
わたしの戒めを心にとめよ。
そうすれば、これはあなたの日を長くし、
命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
いつくしみと、まこととを捨ててはならない、
それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
そうすれば、あなたは神と人との前に 恵みと、
誉とを得る(箴言3:1〜4)。

長寿を求める
 まず、初めに皆さんとご一緒にしたいことは、呼吸を整えることです。  

背筋を真っ直ぐに伸ばして、両手を臍下丹田(下腹)に当てます。そして、3秒息を吸って、2秒腹に貯め、15秒かけてゆっくりと吐いていくのです。心の中で、「いち、に、さん、」と数えると良いでしょう。吸う時には、腹を引っ込めて、吐く時には腹をふくらませます。とくに「吐く」ことに意識を
集中するのです。これをゆっくりと6回繰り返すならば、心が安らかに
なります。これが、長寿の秘訣の第一歩です。さあ、やってみましょう。

 さて、箴言第3章1節をご覧下さい。

 「わが子よ、わたしの教を忘れず、
  わたしの戒めを心にとめよ。
  そうすれば、これはあなたの日を長くし、
  命の年を延べ、あなたに平安を増し加える」。

 人間は遠い昔から、長寿を求めて来ました。西暦紀元前3世紀、秦の始皇帝は徐福(じょふく)という家来に「不老不死の薬を捜して持ち帰れ」
と命じて、彼を日本に遣わしました。徐福は3千人の若い男女を連れて船に乗り、日本に渡ってきました。そして、村人たちに米をもたらして、
米作を教え、葦の根に付く砂鉄を集めて製鉄を教え、農業を盛んにしました。村は平和で楽しく、此処こそ捜し求めた桃源境であると思いました。不老不死の薬は見つかりませんでしたから、あの恐ろしい残酷な独裁者のもとに帰ることをやめて、長生きをして死ぬまで日本に留まったということです。

 皆さんの中には、「こんな悪い世の中にいて長生きしても意味がない。だらだら長く生きるよりも、早く死んだほうがましだ」と思う人もいるでしょう。それも一理あります。

 けれども、箴言の言う「日を長くする」とか、「命の年を延べる」というのは、空虚な生き方を長く続けるのではなく、「生きがいのある充実した
日々を長く続ける」という意味なのです。それは「平安」の増し加わる人生だといわれます。「平安」はヘブライ語で「シャロ一ム」と言います。
満ち足りた安らぎです。

平安を保つ
 ところで、現代人には四つの不安があるといわれます。

 1. 今にも死ぬのではないか。死んだらどうなるか。
 2. いつか失敗して生活に困るのではないか。
 3. 人と巧くやっていけない人間関係の不安。
 4. 悪や罪があばかれて、辱めや罰を受けるのではないか。

 こうした不安を取り除き、心に平安を増し加えて下さるのは神様です。イエス様を信じ、罪の赦しと、まことの愛とを与えられて、初めてまことの平安が心に宿ります。

 更に、この平安を保つためには、「あおいくま」という知恵が必要に
なります。さて、「あおいくま」とは何でしょうか。

  「あ」は、「あせるな」。
  「お」は、「おこるな」。
  「い」は、「いばるな」。
  「く」は、「くさるな」。
  「ま」は、「まけるな」。

 自分の思うようにことが運ばないと、あせりが生じます。そして忍耐を
欠き、少しのことで腹を立てます。また、少しうまくいくとおごりが生じて、いばりたくなります。おごりは、失敗のもとです。しかし、失敗しても、
くさっていると、そこにあるチャンスを失うことになります。だから、
素直に反省して、どんな困難にも負けない人生を生きて行きましょう。

長寿の秘訣
 これを積極的に述べたのが次ぎの2節です。

  「いつくしみと、まこととを捨ててはならない。
  それをあなたの首に掬び、心の碑に記せ。
  そうすれば、あなたは神と人との前に
  恵みと誉とを得る」(3〜4節)。

 「いつくしみ」(ヘセド)は、「慈愛、親切」であって、「まこと」と対句をなしています。この世に受肉して人間となられたイエス様は「めぐみとまこととに満ちていた」(ヨハネ1:14)と記されています。わたしたちもイエス様から豊かな「めぐみとまこと」を聖霊によって心とからだに満たしていただくことが出来ます。今、その実例をご紹介しましょう。

 * 東京・本郷弓町教会に田崎健作先生が牧師として赴任して来たときのことでした。先生が隣組の集まりに出たところ、四方八方から批判が
とびだしてきました。戦争中のことだから無理もありませんが、その中には反省すべき点が多々ありました。伝道集会と称して、夜遅くまで歌を
うたう。ビラや新聞が風に吹かれて飛んで道路に散らかる。神社の寄付を頼めば断わる。町内にとってまことに迷惑だと。これは、もっともな言い分だと思ったから、沢山の竹ぼうきを買ってきました。疎開や空襲で道路は全くのゴミだらけでしたから、毎朝、毎晩、付近の道路を掃除しました。それを見た奥様が心配して、「あなたは掃除人夫になるために東京に来たのではないでしょう。海老名先生や額賀先生のような大先生の後継ぎとして来たのだから、もっと勉強しなくちゃだめじゃないですか」といさめました。しかし、先生は黙々として掃除をしているうちに不思議な真理を
発見しました。それは、この奉仕の世界が実に無限の世界に連なって
いるということです。ほうきを握り、雑巾をかけるところに聖霊が働かれることを発見したということです。神様からも、近所の人々からも喜ばれ、祝福されたのです。
 田崎先生はその後、昭和40年に80歳で吉祥寺に教会・診療所・老人ホ一ムの三者を総合した伝道を始めてかなりの高齢まで奉仕され、天に帰られました。先生の人生は聖霊に満たされて「ありがたさ、かぎりなし」だと著書に記されています。これが長寿の秘訣であります。

 このように神の恵みでありがたさ、かぎりなしの人生は、死を越えて続く生き通しの人生なのです。この世で祝福され、天国で祝福されて
ますます感謝しつつ生きて行こうではありませんか。       アーメン

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