| 2002年3月17日の礼拝説教 |
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キリストの証人
使徒1:6〜11 イザヤ43:10〜12 ルカ24:50〜53 皆川尚一牧師 |
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国の復興の時期 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、 「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって 定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、 わたしの証人となるであろう」。こう言い終ると、イエスは彼らの 見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなく なった。イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、 見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて、言った、 「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。 あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、 天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、 またおいでになるであろう」(6〜11節)。 ここに記されている「弟子たちが一緒に集まったとき」というのは、 主イエス・キリスト様が復活された日から40日目の記念すべきご昇天の日です。場所はエルサレムの都の向かい側にあるオリブ山のベタニヤのあたりでした(ルカ24:50〜51参照)。この日、この時にどんなドラマチックな出来事を目撃するのか、弟子たちは未だ予想もしていませんでした。 キリストの弟子たちは、イエス様のご復活をすでに見ましたし、間もなく聖霊のバプテスマが授けられるとの天父の約束が成しとげられると教えられましたから、心は躍り、胸はワクワクしていました。今こそ長年の間イスラエル民族が待ち望んで来たローマ帝国からの独立とイスラエル 国家の復興が成就するのではないか、復活されたイエス様がメシヤとして君臨し、ローマ帝国を滅ぼし、異教徒を改宗させて神の国を打ち建てるのではないかと考えて、主にお尋ねしたわけです。この問に対する イエス様の答えは、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」ということでした。 「時期(クロノス)」というのは、何年何月何日という暦の上で計算できる日のことです。又、「場合(カイロス)」というのは、その出来事が起こるにふさわしい機会のことです。それは天のお父様の心の中に秘められた 事柄なので、人は自分勝手に知ろうと要求したり、計算したりしては いけないのです。申命記にも記されています。 「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。 しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、 われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである」 (申命29:29)。 本当にそうなのです。イスラエル国家が再建されたのは1948年5月 14日のことでした。弟子たちがイエス様にお尋ねしてから約2千年近い 歳月が経ってからです。しかもそれは人が計算したり予測したり出来ない方法で奇跡的に再建されたのでした。これと同様に、世の終わりについてもイエス様は言われました、 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。 天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」 (マタイ24:35〜36)と。 ですから、わたしたちはすでにイスラエル国家の復興を見ましたけれども、世の終わりと神の国出現の時期について計算したり、予測したり、知りたがったりしてはいけないのです。 キリストの証人 では、神様が現わされた事柄とは何でしょうか?それは聖霊の降臨を受けたクリスチャンが地の果てまでキリストの福音を満たす働きを展開することです。 「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、 わたしの証人となるであろう」(8節)。 こう言い終わるとイエス様は弟子たちの見ている前で天に昇って行き、やがてそのお姿は雲の中に隠れて見えなくなりました。彼らが茫然として天を仰いでいると天使が彼らのそばに立っていて、あのイエス様は、同じ有様で再臨されるであろうと予告しました。ですから、弟子たちはキリスト再臨の日まで地球のすみずみまでキリストの証人となって救いの福音を宣べ伝える使命を与えられたのです。 神様は愛に満ちたお方ですから、神に背く罪深い人類にいきなり滅亡の日をもたらそうとは思われず、各時代にわたって預言者を遣わして 悔い改めのチャンスを与えて来られました。そしてこの終わりの時代には神の御子イエス様をメシヤ(即ちキリスト)として世に遣わされました。それは御子イエス様が罪ある人々のために、贖いの死を十字架上に 遂げて、罪の赦しと救いとを全人類にもたらすためです。キリストの弟子たちは、イエス様の愛のご生涯を見ました。十字架の死を見ました。 その復活を見ました。また、ここにイエス様の昇天を見ました。それらを目撃した生き証人として、このイエス・キリストを信ずる者はだれでも救われるのだということを世界中の人々に知らせなくてはなりません。 証人とは、現に自分が見たまま、聞いたままを語る人です。 * この点が選挙運動などとは異なります。選挙運動では 「皆さん、わたくしが相模太郎でございます。わたくしは○○○○をやりました。××××をやりました。このわたくしを当選させて下さい」と、 皆わたし、わたしと自己宣伝をするのです。 しかし、キリストの証人はキリストを語ります。わたしを紹介するのではなく、わたしを推薦するのでもなく、キリストを紹介し、キリストを宣伝するのです。それも、本で読んだキリストではなく、人づてに聞いたキリストではなく、自分が見て、信じて、知ったキリストです。キリストが自分の罪を一身に背負って苦しみつつ死んで下さったことを語り、あなたのためにも同じように死なれたことを証しするのです。だから、わたしたちは涙を持ってキリストを語ることが出来ます。そして、復活し昇天したキリストに 今、出会って救われたことを知っていますから、おどろき喜んで語ることが出来ます。その上、キリストは再び世に下って、この世の罪を清め、 神の国を完成するおかたですから、わたしたちは希望に目を輝かせながらキリストを語ることが出来るのです。要するにイエス・キリスト様は 生きておられます。 * 先日、S兄弟がわたしに「ユースタス・マリンズの本を読んでいると 闇の権力が世界中に手を広げていて、わたしたちの未来は絶望的だと思えてくるのですが」と尋ねました。「たしかにそう感じますが、聖書を 読めば、最後にはキリストによって悪魔とその勢力は滅ぼされることがわかりますから、希望が湧いてくるのですよ」とわたしは答えました。 聖霊の力 ここにはキリストの証人としての活動の範囲が示されています。 エルサレム→ユダヤ→サマリヤ→地の果てまで。つまり敵対する同国人から始めて、異邦人・蛮族と呼ばれる人々の住む地の果てまでです。 これは到底12人の使徒が一代限りでやれる仕事ではありません。弟子の数が増える必要があります。また、子から孫へ、世代から世代へと キリストを伝える必要があります。福音を世界に満たすためには、これを妨害し、クリスチャンを迫害する悪魔悪霊たちの勢力とその手先となって働く人々の反対に負けないでこの世を照らし続ける力が必要なのです。これが聖霊の力です。 * この力(デュナミス)はダイナマイトの語源ですが、鍛冶屋の使う 「ふいご」の力に似ています。以前テレビで見ましたが、村の鍛冶屋さんが何百年も前から使って来た「ふいご」の力を見ました。左手でふいごをグゥーッと押すとコークスが赤々と燃えて鉄を真っ赤に溶かします。それをかなしきに乗せて、きたえ上げます。それがやがて鍬(くわ)となり、 鉈(なた)となって行きます。 わたしたちも天からの聖霊の風と火の力を受けて証人の働きを続けて行こうではありませんか。 アーメン |
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