| 2003年6月22日の礼拝説教 |
![]() |
![]() |
無名人の働き
使徒11:19〜21 列王上19:1〜8 マタイ16:24〜25 皆川尚一牧師 |
![]() |
![]() |
地の果てまで進軍 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、 ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、 ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、 アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、 主イエスを宣べ伝えていた。 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、 信じて主に帰依するものの数が多かった(19〜21節)。 ここには世界宣教の基地となったアンテオケ教会の成り立ちが記されています。ステパノの殉教の死を契機として爆発的に起こった迫害によって、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちは散り散りに諸外国へと逃れて行きました。と言いますと消極的な感じですが、実は彼らは積極的に地の果てまでの進軍を開始したのです。主は、 「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、 わたしの証人となるであろう」(使徒1:8) と言われました。その通りのことが、キリスト教徒に対する迫害によって起こったのです。ユダヤの国境を越えて、ピニケ(フェニキヤ)→クプロ (キプロス島)→アンテオケ(シリヤ)までユダヤ人キリスト者たちは到達 しました。彼らは生まれ故郷を追われて逃げ出した人のような恐れや 不安を持たず、むしろ使命を帯びてつかわされた人として進軍して 行きました。 この生き方は主イエス様から始まっています。 ≪ヨハネ10:17〜18≫を見て下さい。 「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるので ある。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたし からそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。 つまり、イエス様はご自身の死を受動的に受けとめるのではなく、能動的にご自身の意志で「捨てる」のだと言われます。それは全人類を罪と死と悪魔の手から贖いとるための自己犠牲であると表明されたのです。 皆さん、ここにわたしたちが苦難に対処する秘訣があります。 即ち、わたしたちがこの世で受ける苦しみには神のご計画があり、積極的な目的があり、恵みがあるということです。苦難を恵みとして受けいれて進んで行けば、必ず良い収穫があります。 宣教の方法 次に彼らはどのような方法で主イエス様の救いを宣べ伝えたでしょう か。それは極く自然な仕方です。即ち、ユダヤ人はユダヤ人にイエスが待望のメシアだということを証ししました。その他にクプロ人(キプロス島の人)やアフリカ北部のクレネ人がまじっていましたので、彼らはヘブライ語よりもギリシャ語を話す方が得意でしたから、ギリシャ人に伝道しました。これは自然の道であり、たやすい道でありました。ユダヤ人から見れば仲間の端くれであったような人たちがギリシャ人とは親しみ易く、言葉も心も通じやすかったので、その通路をとおして福音が伝えられました。わたしたちもそのように、親しみやすい人、心の合う人、境遇の似た人、信じ合える人に福音を伝えて行けば良いのです。むずかしいことはありません。水が低い方にながれるように行けば、教会はおのずと多くの 違いを持つ人々の交わる所となり、神の恵みがあふれる百花繚乱 (りょうらん)の花園となり、バラエティーに富んださまざまの人材が 結びついて、すばらしい働きが生まれる所となるでしょう。 無名人の働き 次に、第21節を見て下さい。 「そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった」とあります。ここには個人の名が書いてありません。ということは、アンテオケ教会には未だ有名な人はひとりもいなかったわけで す。ただ無名人の働きが盛んに行われたのみです。では、なぜ彼らが すばらしい教会を形成するもとになったのか。それは「主の御手」です。即ち「主の御霊」であります。わたしたちは電線であって、聖霊は電流です。電線も大切ですが、電流の方はもっと大切です。電流が流れない 電線は役に立ちません。聖霊の電流が通りやすい電線になればよいのです。電線には、有名な電線はありません。ただの電線がドンドン電気 を流します。 では聖霊の通りやすい人とはどんな人でしょうか?主は言われます、 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」 (マタイ16:24〜25)と。又、言われます、 「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」 (ヨハネ15:5)と。 更に、あの有名な大預言者エリヤを思い出して下さい。彼は聖霊の力に満たされてカルメル山でバアルの預言者450人とアシラの預言者400人を相手に対決して勝利した英雄でした。しかし、邪悪な王妃イゼベルの脅迫を恐れて逃げ出した時には、聖霊の力を失って、ただの人になりました。そして荒野のレダマの木の茂みに倒れ伏して言いました、 「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。 わたしは先祖にまさる者ではありません」(列王上19:4)と。 そして、ただの人エリヤは再びシナイ山で聖霊の人となって後継者を作るために用いられました。 又、アンテオケ教会の有名な教父イグナティウスは言いました、 「わたしは永久に名を残す教会に対して、芥(あくた)であり、 犠牲(いけにえ)である」と。 又、イグナティウスはこうも言いました、 「すべてはあなたの肩にかかっているかのごとく行え」 そして、「すべては神にかかっているがごとく期待せよ」と。 この二つがバランスのとれた一つの生き方となるとき、聖霊はあなたを通して、力強く働いて下さるでしょう。 * 1976年に「日本のためのとりなし委員会」が東京で結成されました。その時の委員は日本人牧師3名、外国人宣教師3名でしたが、日本の とりなしであるから、委員長は日本人がなるべきだとの強い発言が日本側からあり、主導権をとりたかったある宣教師はしぶしぶ同意しました。そして、わたしが推薦されて委員長になりました。その時、その人はわたしに言いました、「あなたは有名になるよ」と。それで「あゝ、この人は有名になりたかったんだな」とわたしはさとったのです。しかし、有名になろうがなるまいがそんなことはどうでもよいことだとわたしは思いました。 なぜなら自分の名を挙げることよりも、キリストの御名を挙げる方が はるかに嬉しいことだからです。 皆さん、わたしたちは自分の名を挙げるよりも、キリストの名を日本全土、世界全土に高く挙げるために役立てば満足ではありませんか。どれだけの業績を残すかではない。天使のように名も知られず、忘れられてよい。仕事が中途半端でおわればだれかにバトンタッチすれば良い。 主のみわざは世の終わりまで続き、収穫は神の国となります。 かくて無名人の働きこそ最も偉大な教会の形成と神の国発展の力と なるでしょう。 アーメン |
![]() |
トップページ >> 説教 >> 使徒行伝 >> (49) >> (50)へ進む |