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                                         2002年4月28日の礼拝説教
  聖霊による一致

   使徒2:5〜13
   創世記11:1〜9
   ヨハネ17:20〜23                皆川尚一牧師
国々の言語
  さてエルサレムには、天下のあらゆる国々から信仰深い
  ユダヤ人たちが住んでいたが、この物音に大勢の人が集まってきて、
  彼らの生まれ故郷の国語で、使徒たちが話しているのをだれもかれも
  聞いてあっけに取られた。そして驚き怪しんで言った、
  「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
  それだのに、私たちがそれぞれ、生まれ故郷の国語を彼らから
  聞かされるとは一体どうしたことか。私たちの中には、パルテヤ人、
  メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、
  ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近い
  リビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
  ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々が
  わたしたちの国語で神の大きな働きを述べるのを聞くとは
  どうしたことか」。みんなの者は驚き惑って互いに言い合った
  「これはいったいどういうわけなのであろう」。
  しかし、ほかの人たちはあざ笑って
  「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った(5〜13節)。

 聖霊がペンテコステの日にイエス様の弟子たちの上に降った時、
弟子たちは突然16ヶ国語の言語で別々に語りだしました。それは聖霊が語らせたのです。世の中には天才的に言語能力の優れた人がいて、5ヶ国とか7カ国の言葉をしゃべることが出来るのです。
あるアメリカ人は3ヶ月間特訓を受けて上手に日本語をしゃべることが
できるようになりました。
  しかし、ペンテコステの日の弟子たちは外国語を語る特訓を受けてはいなかったのです。彼らが習ったこともない外国語を聖霊が語らせたのです。それは色々な外国語を語る人たちに、神様の偉大な救いの時が来たことを証しさせるためでした。神の大いなるみわざとは、神の独り
子、救主イエス様を信じる人は救われるという福音です。この福音を聞いて喜び受け入れる人々は皆救われて一つの霊、一つの信仰、一つの愛によって結ばれています。神様は世界人類が一つになることを
望まれるのです。

バベル(乱れ)の原因
 さて、神の大いなるわざを崇めないで、人の大いなるわざを崇める
ときには必ず乱れと分裂が起こります。その実例はバベルの塔です。
《創世記11:1〜9》を見てください。
 大洪水の後、最初に出現した地上最大の権力者はニムロデでした。これは歴史学的にはハムラビ王のことではないかと言われています。ニムロデ支配下のバベルの町の建設は煉瓦(れんが)の発明によって促進されました。また、しっくいの替わりにアスファルトが発明され、煉瓦と煉瓦とを接着させたので大きな町と大きな塔を建てる計画を打ち出しました。

 「さあ、町と塔とを建てて、その頂きを天に届かせよう。
 そして我々は名をあげて全地の表に散るのを免れよう」(4節)。

 天にまで届く巨大な塔を建てる目的は二つありました。
 一つはニムロデ王の名を高く挙げること。ニムロデは偉人だと人々に崇めさせて団結させようとする。あたかもナチス・ドイツが「ハイル・ヒトラー!」の叫びで団結するようなものです。今一つは偶像礼拝。偶像の神の名を挙げることです。ジグラットと呼ばれる高い塔は7層になっていて、下から黒色(土星)、橙黄色(木星)、黄金色(太陽)、淡黄色(金星)、
藍色(水星)、白銀色(月)の順序で星の神々を祀るものでした。
 つまり、人間の力で天地万物の創造主に逆らって威勢を示すための
団結でした。
 この傲慢不遜な企てを破るために主なる神様の行われた裁きは人々の言語を乱すことでした。それまで人間は一つの同じ言葉をしゃべっていたのが突然通じなくなって職人同士が喧嘩をはじめたり、王の命令も行き渡らなくなり、スーパータワー建設の大事業は内側から崩壊しました。そこでこの塔を「バベル(みだれ)の塔」と呼ぶようになりました。
 人間は言葉が違えば思いも意思もなかなか通じにくくなるでしょう。
日本のような面積の広くない国土でも方言と風習の違いで一緒に生活
することが難しいと、離婚の原因にもなります。それは人間が自己主張をやめて和解と一致を求めることによって一つに結ばれるわけです。
その一致の力は神様の大いなる愛です。

神の愛に酔う
 キリストの弟子たちが外国語で神の愛を語った時、彼らは神の愛に
酔っていました。そして、神の愛を信じた人々は一つ心になりました。
 しかし、「朝っぱらから酒に酔って、わけの分からない言葉をしゃべっている」と嘲ったり笑った人々もいました。そういう人は折角の神様の愛も通じないで豚に真珠ということになります。 私たちが聖霊で満たされると神の愛に酔う幸せだけでなく、人々を神の愛の中に招き入れる不思議な力が与えられるのです。

異言を語る
 その不思議な力とは、習ったことのない外国語を使って神の愛を
証しするとか、どこの国の言葉かわからない異言を語るということが
含まれています。
 * インドネシアのチモール島のメルキオ・タリは聖霊で満たされて異言を語りました。しかし、ある日主イエス様がタリに「アメリカに渡ってキリストの偉大な業を証ししなさい」と言われました。するとタリは答えました。「主よ、ご存知のように私は少しの英語しかしゃべれません」。主は言われました、「言葉の問題は私に任せなさい。話そうとしても話すことができなかったら、『私のイエス様がだめだったのです』と人々に告げなさい」
と。イエス様はユーモアたっぷりのお方です。タリはアメリカに渡ってから自由自在に英語がしゃべれるようになりました。タリの証しはアメリカ人を驚かせました。何しろチモール島では、水がおいしいぶどう酒に変わる
とか、少しのパンが沢山に増えるとか、増水した河の流れの上を渡る
とか、聖書の奇跡がそのままに行われているのですから、人々は主イエス・キリストが聖霊によって大いに働いておいでになることを信じました。
 * 私も異言による聖霊の一致を多くの外国人との間で経験してきました。イスラエルのシュロモ・ヒザックさん、パキスタンのイクバル・マシーさん、ナガランドのベイリュー・シュヤさん、デンマークのハンス・クリスチャンさん、ユーゴスラビアのストヤン・ガイツキさん、アフリカ諸国の兄弟たちもそうです。イスラエルではアラブ人のテロでバスの長い行列が何時間も停っている間、「この日は主が造られた」という讃美の歌をそれぞれ
自分の国の言葉で歌って踊って楽しみました。しかし、2年たって一緒に集まった時には、それぞれ奥さんを連れて来たのです。すると皆子供のようになれないで、奥さんの手前威儀を正した牧師様になったので面白くありませんでした。

聖霊による一致
 このように聖霊による一致は様々の違いや気兼ねを無くして人々が
神様の愛に酔い、主をほめたたえるところに出現するのです。
どうか聖霊が私たちを神の愛の中にとかしこんで一つにして下さいますように祈りましょう。                           アーメン

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