| 2003/11/30の礼拝説教 |
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神の幻は招く
使徒16:6〜10 箴言19:21 マタイ2:13〜15 皆川尚一牧師 |
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それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、 フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。 そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとした ところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。 それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。 ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、 「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、 彼に懇願するのであった。パウロがこの幻を見た時、 これは彼らに福音を伝えるために、 神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、 わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした(6〜10節)。 聖霊による禁止 「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、 フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った」(6節)。 このあたりの地図は、小型の聖書に附いている「聖書の古代世界」と いう地図では大きく「アジヤ」と書いてあるだけなので、細かい所がわかりません。大型聖書附属の「パウロの伝道旅行行程」の記された第1世紀の古代世界という地図で見るとわかります。これによるとパウロ、シラス、テモテ、ルカの一行は、シリヤのアンテオケを出発して陸路、キリキヤ州→コマゲネ王国→ルカオニヤへと西方への道を進みました。 そして、ルカオニヤ地方の町デルベ、ルステラ、イコニオム、アンテオケと進んで→アジヤ州に入りました。アジヤ州は小アジヤとも呼ばれた ローマ帝国支配下の州ですが、ルカオニヤ地方をふくむガラテヤ州と隣り合っており、アジヤ州の中にフルギヤ地方とムシヤ地方がふくまれています。ですから州だけで言えば、キリキヤ州→コマゲネ王国→ガラテヤ州→アジヤ州の順になります。地方だけで言えばルカオニヤ→フルギヤ→ムシヤと続くことになります。従ってルカオニヤまでは福音宣教の働きが許されていたけれども、「フルギヤ→ムシヤまでのアジヤ州では福音を語ってはならない」と聖霊が禁止されたというのです。 なぜなのか、理由はわかりません。 次に、二度目の禁止があります。 「そして、ムシヤのあたりにきてから、 ビテニヤに進んで行こうとしたところ、 イエスの御霊がこれを許さなかった。 それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った」(7〜8節)。 ビテニヤ州はアジヤ州に境を接する北方の州で黒海に沿って東の方へと細長く延びており、ビテニヤ州へ進めばポントス王国→パルティア王国→東方諸国・シルクロードへの道に通じることになります。なぜ、イエスの御霊はビテニヤから東方への伝道をパウロに禁じたのか。 これも正確な理由はわかりません。 ただ、現代のわたしたちが推測する理由の一つは、主がパウロに西方への伝道の道を開かれ、東方への道を禁じられることによって、パウロの「十字架の死」を強調する西欧キリスト教の特色とペテロ、アンデレ、 トマス、ヤコブたちの「復活」を強調する東方キリスト教の特色とが、 バランスを取って補い合い成長して行くことを望まれたのではないか、 と考えられることです。 次に、「聖霊」と「イエスの御霊」との違いはありません。どちらも同じ 「神の御霊」を意味します。この御霊の働きは肉眼では見えないで、声だけが心の耳に聞こえてくるのです。パウロかシラスが聞いたのか、二人が同時に聞いたのか、あるいは、パウロかシラスの口を通して預言するという形で聞いたのか、色々な場合があるでしょう。トロアスでパウロが幻のうちにマケドニヤ人が語りかけるのを聞いたというのも、御霊の働きの一形態だと言えます。というのは、パウロが後にマケドニヤに渡った 時、幻に現れたマケドニヤ人と出会ったという記録がありませんから、 これは聖霊の働きの一つの現れだと言えるでしょう。 そのほか、聖霊の導きの一つとして考えられるのは、人が予定したり、計画を立てて実行にうつそうとした時に、色々な条件が合わなくて、実行できなくなった場合、「神様がお許しにならなかったのだ」と解釈することもあります。しかし、それを「聖霊が禁じた」とは言わないのです。 予定変更 パウロたち一行が、御霊のお言葉に従って、アジヤでの福音宣教を せず、ビテニヤに行くことをもあきらめて、エーゲ海に臨む港町トロアスへと下って行ったことは、わたしたちにとって良いお手本だと思います。 * 戦争中、日本海軍の士官であった兄が、海軍にはこういう言葉があるんだ、「予定は未定にして、しばしば変更することあり」 と教えてくれたことがあります。それでこの言葉を利用して、予定変更をやったことが、 しばしばありました。 人というものは、自分の欲望や主張に囚われると、なかなか変えられ ないものです。しかし、それは不幸のもとになる場合が多いです。 箴言にもこう言われています、 「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、 み旨だけが堅く立つ」(箴言19:21)。 又、こうも言われています、 「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころ のままにこれを導かれる。人の道は自分の目には正しく見える、 しかし主は人の心をはかられる」(箴言21:1〜2)。 * 今一つの実例は、わたしのことですが、神学校を卒業して、最初の 任地「下関」に赴任した時には、「この地に骨を埋める」と宣言しました。にもかかわらず、わずか5年で下関を去らねばなりませんでした。そこでこの「相模原」の開拓伝道を始める時には、「ここに骨を埋める」と言わないで、「主が許される間はこの地で働く」と言いました。そしたら、いつの間にかもうすぐ45年になろうとしています。「ただ主の、み旨だけが堅く立つ」というみ言の通りです。主の測り知れない恵みと、兄弟姉妹の主に 在る愛の支えによって今日あるを得ましたことを深く感謝申し上げております。 神の幻は招く パウロはトロアスで夜ひとつの幻を見ました。それは一人のマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と彼に懇願するものでした。これをパウロは神のお招きであると確信して、 ただちにマケドニヤに渡って行くことにしました。前に申し上げましたように、こうした幻や夢というのも霊界の言語であります。聖霊の語るみ言の一つの形式である場合があります。しかし、よく吟味しなければ間違えることがあるのです。 * 十数年前に、ある姉妹がわたしに言いました、「夢で一人の中国人の男性が、ぜひ中国に渡って来て、わたしたちを助けて下さいと言いまし た。だから中国へ聖書を持って行かせて下さい」と。これは、パウロが トロアスで見たマケドニヤ人の話から、「自分にもそういう幻か、夢が 神様から来ないかなぁ」という願望が投影されて見た夢だということが、だんだんわかって来ました。 パウロの場合は、「マケドニヤに渡って行きたい」という強い願望があったわけではないのです。むしろ、アジヤからビテニヤへ行く願望が強かったのです。そういう願いが一つ、一つとどめられた末、マケドニヤへの道が開かれました。そこで予定を変更して神のお招きに従ったわけです。神の招きを大切にしたいと思います。 アーメン |
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