| 2004/03/07の礼拝説教 |
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主はその民を知る
使徒18:1〜11 列王上19:13〜18 ヨハネ10:14〜16 皆川尚一牧師 |
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その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、 その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、 すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、 命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。 パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、 その家に住み込んで、一緒に仕事をした。 天幕造りがその職業であった。 パウロは安息日ごとに会堂で論じては、 ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた。 シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、 パウロは御言を伝えることに専念し、 イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。 しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、 パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、 「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。 わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方へ行く」。 こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に 行った。その家は会堂と隣り合っていた。会堂司クリスポは、 その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、 パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。 すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、 「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。 あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、 危害を加えるようなことはない。 この町には、わたしの民が大ぜいいる」 パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、 神の言を彼らの間に教え続けた(1〜11節)。 協力伝道の成果 パウロのアテネでの伝道は最高裁判所長官デオヌシオ夫妻の協力によって目ざましく進展し、多くの教会が生まれるという成果を得ました。 そこでパウロはアテネを去ってコリントに行きましたが、ここでもアクラとプリスキラというユダヤ人の夫婦が良い協力者となりました。これも偶然ではなく、神様の大きなご計画の一部であったのです。というわけは、 アクラ・プリスキラ夫婦がコリントでパウロに出会ったのは、彼らがクラウデオ帝の命令でローマから追放された結果でした。カイザル・クラウデオはこの夫婦だけでなく全てのユダヤ人をローマ帝国の首都ローマから 追放したのです。なぜそんなことをしたのかといいますと、スエトニウス著「クラウデオ伝」によれば、ユダヤ人たちがクレストスという人の煽動によって絶えず紛争を起こしていたからだという事です。このクレストスをクリストス(即ちキリスト)の事だと解する学者と、別人だとする学者とがありますが、クリストスだとする方が有力です。なぜなら、当時のローマは 日本でいえば東京のような都で、「すべての道はローマに通ず」という諺があるくらい多くの人々がローマへローマへと集まって来ました。ですから当然、イエスをメシヤ(即ちキリスト)と信じるユダヤ人たちもどんどん ローマにやって来て、ローマのユダヤ人社会の中で、排斥され、紛争の因となっていたのでしょう。アクラ・プリスキラ夫婦もローマでイエスをメシヤと信じてバプテスマを受け信者になっていたと考えられます。クラウデオ帝のユダヤ人追放令は余り長くは続かなかったようですが、アクラとプリスキラはイタリヤを去って、ギリシャのコリントに移住し、天幕製造業を営んでいました。そこへ、パウロがアテネから来て、多分会堂で説教したことによって彼らと出会い、彼らの家に滞在することになったのでしょう。なぜなら、パウロの故郷キリキヤ産の天幕用布は珍重されており、パウロも天幕布縫製の技術を身につけていましたから、彼らの仕事を手伝いながら伝道に励むことにしたのです。 コリント人への第1の手紙第2章を読むと、パウロは自分が弱い人間だということを痛感していて、恐れと不安でいっぱいだったようです。ギリシャ人は哲学と弁論に長けており、彼らの弁論術(ディベート)に対して自分は到底太刀打ちできないと感じていたのかも知れません。ですから今度は議論をやめて「十字架につけられたキリストとその復活」だけを証し すること一本槍で進もうと決心していたことがわかります。そのようなときに、信仰深く熱心なアクラ・プリスキラ夫婦に出会って、どんなに勇気づけられたことでしょうか。そこへ、パウロの同僚の使徒シラスと愛弟子テモテがマケドニヤから来たのですから、パウロは伝道に集中して働くことができるようになり、ますます熱心に「ナザレ人イエス様こそメシヤである」と証ししました。 このように伝道は一人でするよりも、複数の兄弟姉妹が協力一致して働くことにより、もっと大きな勢力となって発展して行くのであります。 主はその民を知る さて伝道の力が増大すると、抵抗勢力の力も増大します。抵抗勢力はユダヤ人の会堂(シナゴグ)の中にいました。これまでもそうでしたが、 「主は自分のところに来たのに、自分の民は主を受けいれなかった」 (ヨハネ1:11)と記されたことが、コリントでも起こったのです。ユダヤ人たちは結束してパウロに逆らい、イエス・キリストを口汚くののしり続け、もはや聞く耳ももたない状態となりました。そこでパウロは自分の衣を 脱いで、ほこりを払い、彼らと訣別するセレモニーを行って宣言しました、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ」と。この意味は、「イエスを十字架につけて流した血の責任は、自分で引き受けて、神の刑罰を招くがよい」ということです。「自分が播いた種は自分で刈りとれ、わたしは知らない」「今からわたしは異邦人の方に行く」と。パウロは前にピシデヤのアンテオケでも、ユダヤ人に対して同じような宣言をし、サンダルのちりを払い落としてアンテオケを立ち去りました。しかし、今度は衣のちりを払って会堂から出て行きましたが、コリントからは立ち去りませんでした。それどころか、なんと会堂の隣のテテオ・ユストという改宗ユダヤ教徒の家を礼拝所として説教を開始したのです。ユストの協力は大きいものでした。が、更に大きな協力は会堂司クリスポがイエスをメシヤと信じ、その全家族と共にバプテスマを受けたことでした。ユダヤ人の指導者だけでなくギリシャ人たちも、ぞくぞくと主を信じてバプテスマを受けました。 ある夜、主イエス様が幻のうちに現われて言われました、 「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたにはわたしが ついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。 この町には、わたしの民が大ぜいいる」と。 これはどういう意味でしょうか。主の民とはだれだれなのでしょうか? この場合主の民は二つに分けて考えられます。 (1)顕在的クリスチャン・・・ すでに信じて、受洗して、奉仕している人 (2)潜在的クリスチャン・・・ これも二つ に分けられます。 1.一度信じて離反したが、立ち帰って くる人 2.未信者であって、これから信者になる人 このコリントの町では、顕在的クリスチャンはまだわずかでしたが、 神様の目から見ると、潜在的クリスチャンは大勢いたのです。だから人の目に見える反対や無関心を恐れたり、失望したりしてはならないのです。反対している人々が目覚めて、パウロのように熱心な賛成者に変るからです。主イエス様が働いておいでになることを勘定に入れるとマイナスがプラスに変って来ます。無関心の人、偶像礼拝の人も、主の御霊に触れれば一瞬にしてクリスチャンに変えられるからです。そのためには、恐れず、たゆまず、語りつづける必要があります。祈りつづける必要があります。これについて一つの証し: * 1980年にわたしはキリスト福音宣教会の林実先生と伊藤常吉兄と 3人で支那の広州市の地下教会のクリスチャンたちに1000冊の支那語聖書を届けに行きました。命がけの仕事でした。秘密のうちに地下教会の2人の指導者と会い、共に祈りましたが、その時、「あなたがたは日本のクリスチャンに何をしてほしいと願いますか」と尋ねると、 「第1に、祈ってほしい。第2にも、祈ってほしい。 第3も、第4も、どうか祈ってほしい」という答でした。 今の日本においても、そうではありませんか。日本国民1億2千7百万人の救いのために祈ることです。毎日祈ること。旗を上げて伝道すること。聖書を配り、聖書を説き明かすのをやめない。協力してその活動をもり上げて行くことです。今から40年前、日本の信者は約35万人でした。 そのとき同調者(潜在的クリスチャン)は1千万人いました。今の信者は約100万人です。してみると、潜在的クリスチャンは3000万人になって いるかも知れません。「主はその民を知る」と信じましょう。 アーメン |
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