![]() 2008/2/16 レポート 仏式葬儀でのクリスチャンの在り方 皆川尚一牧師 |
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序 言 わたしは長年にわたり、仏式葬儀や法事は偶像礼拝であるから手を合わせたり、焼香したりしないようにと指導して来ました。しかし、十把一束に偶像礼拝と決め付けるキリスト教界のやり方に疑問を感じて、研究してきた結果、次のような在り方が適切であると考えるようになりました。 1. 手を合わせること (1) 手を合わせることが神に対する礼拝形式であると解釈するのは、 聖書に基いているとは言えません。聖書では、神を礼拝したり祈り をささげたりするのに色々な形がありますが、基本的には二つ、 1.地面や床にひれ伏すこと、2.立って両手を挙げること、この 二つです。両手の指を組み合わせることはチュートン族から入って きた風習ですし、手を合わせることはインドの仏教から入ってきた 風習です。 (2) 仏教国のインドやタイなどでは、人と人とが挨拶するときに手を合わ せます。これはどの人の中にも仏性(ぶっしょう)があると考えて相 手に対する尊敬を表すのです。 (3) 従って、死者に向かって手を合わせるのは、死者を神として礼拝す るためではなく、人としての死者の霊魂の冥福を祈るためです。 経を読み、合掌して敬意を表し、冥福を祈るのは、偶像礼拝とは 言えないと思います。 (4) 「冥福を祈るのはキリストの福音に反する」と考えるのは、死後の 霊魂の救いについての誤った聖書解釈によるものです。つまり、 この世に生きている間にキリストを信じた人だけが救われるので あって、キリストを信じないで死んだ人のために死後の幸せや、 救いを祈っても無駄であるという考え方が「福音派」では行われて います。 しかし、「死後の霊魂」を救うためにイエス・キリスト様は十字架の 死と復活との間に陰府に降り、死んだ人々に福音を伝えた(Tペテ ロ3:18〜4:6)と記されており、キリスト教会は過去2千年間それ を信じて祈ってきました。詳細は小生の「死者の霊魂の救いに関す る研究」というレポートをお読み下さい。(教会HPのトピックの中に 記載されています)。私たちはむしろ、積極的に死者の冥福を祈る べきであります。 2.香を焚くこと (1) 礼拝で香を焚くこと 神に向かって香を焚いて礼拝することは旧約聖書で命じられていま す。これは聖なる香であって人に焚いてはならないものです。 《出エジプト記30章》 第1節「香を焚く祭壇を造れ」 第34節「香の調合法は、蘇合香、シケレテ香、楓子香、乳香の 四種を等量に混ぜ合わせ、塩を加える」 第9節「異なる香を神にささげてはならない」 このように造られた聖なる香は、新約聖書においても、聖徒たちの 祈りの象徴として天国でもささげられています(黙示録5:8)。一般 に、カトリックや正教会は礼拝で香を焚きますが、プロテスタント、 ペンテコステ、その他の教派では香を焚かないのが普通です。 (2) 葬式で香を焚くこと 旧約聖書では王の葬式で香を焚いたことが記されています。 《歴代下16章11〜14節》アサ王のためにおびただしい香を焚い た。 《歴代下21章18〜19節》ヨラム王には焚かなかった。 善い王に対しては敬意と栄誉をささげ、冥福を祈るために香を焚い て葬儀を行いました。但し、この香は神に対してささげる香とは種類 や調合法が異なります。しかし、悪い王には葬儀で香は焚きません でした。 又、ネストリウス派東方キリスト教は中国に入って「景教」と呼ばれ ましたが、景教の行っていた死者を弔う儀礼の中に慰霊の祈りや香 を焚く風習があって、それが中国の仏教に採り入れられてお盆の行 事を生み、それが日本にも伝えられたと考えられます。して見ると仏 式で香を焚くことはキリスト教の影響だということになります。 3.仏式における香の意味 仏式における香の意味は、仏典の中には説明されていないようです が、僧侶たちが色々な意味づけをしています。 (1) 死者の霊魂への敬意を表すため (2) 死者の霊魂の冥福を祈るため (3) 死臭を消すため (4) 仏の慈悲が香の煙のようにあまねく行きわたる象徴 ちなみに、仏式の香には沈香(じんこう)が用いられます。 結 語 中村 元著「佛教語大辞典」によれば、仏教では、一切衆生はみな仏性をもっていて、死者はいのちの本源である無量なるいのちとしての仏 (ほとけ)に帰すると考える。それで人は死んだら仏になると言うのです。 従って、仏になった死者が礼拝の対象になるわけではありません。 また、「如来(にょらい)」とは、修行を完成した人、煩悩から解脱した 人、仏になった人のことです。 また、「菩薩(ぼさつ)」とは、悟りを求める求道者。修行者、未来の仏のことを言います。煩悩と闘って苦悩しながら悟りを求めている人だというので、一般大衆からは如来よりも自分たちの気持がわかる人として人気があります。面白いことに同じ釈迦でも、釈迦菩薩の方が釈迦如来より人気があるそうです。つまり、こうした仏たちはみな人間であって、天地創造の神様とはちがいます。神道で人は死んだら神になると考える、その神も天地創造の絶対神とは異なります。人の中にある神性を尊ぶという程度の意識だと言えるでしょう。いずれにしても、仏教、神道の罪悪感はキリスト教ほど深刻ではありません。 キリスト教はだれでも死んだら直ぐ仏になるとか、神になるとか考えません。人はキリストを信じて、神に対し、人に対して犯した罪、咎、過ちをキリストの十字架の贖いによって赦され、清められ、キリストと一体化されて救われるのです。キリストの神性に与るとも、主と同じ姿に変えられるとも表現されます。天界の主はイエス・キリスト様ですから、何教を信じていた人であろうと、無神論者であろうと、みなイエス・キリストを信じて、神の子として生まれ変るのであります。だから、私たちは聖なる祭司として仏式の葬儀に参加しても良いし、手を合わせても、線香を焚いても良いのです。ただ心の中で死者の救いのために、主イエス様にとりなしの祈りをささげることが大切であります。もし、許されるならば遺族の方々に「私はクリスチャンですから、キリスト教式で冥福をお祈りさせて下さい」とお願いして、声を上げてイエス・キリストにお祈りしたら良いと思います。 以 上 |
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